2018/04/25 非アルコール性脂肪肝炎

前回の話の続きである。 非アルコール性脂肪性肝疾患 (Non-Alcoholic Fatty Liver Disease; NAFLD) の基準として脂肪化の割合を肝細胞の「5% 以上」とする意見は、どこから来たのか。 これは、NAFLD Activity Score (NAS) (Hepatol. 41, 1313-1321 (2005).) や、 それを修正して開発された SAF score (Hepatol. 56, 1751-1759 (2012).)) が「5%」を基準として用いていることに由来するのであろう。 しかし、これらの文献を読むと、著者は単なる便宜として 5% に閾値を設けただけであって、それ未満の脂肪化は病的意義が乏しい、というようなことは述べられていない。 また、こうしたスコアは臨床試験に適用することなどを前提として作られた客観的な指標である、という点も注意を要する。 客観的、といえば、素人は「公正で正確」というような印象を持つかもしれないが、少なくとも臨床医学の場合、 これは「個々の患者の具体的な背景を無視して統計的な傾向だけをみる」という意味に過ぎない。 従って、生検に基づく診断を議論するにあたっては、この「5%」にこだわることは、病理学的ではない。

さて、NAFLD が進行すると、肝炎が起こり、肝細胞の構造が破壊される。 たとえば、肝細胞の中間径フィラメントであるサイトケラチン 8 (CK8) やサイトケラチン 18 (CK18) が、なぜか失われ、あるいは凝集する。 病理診断の観点からいえば、免疫染色で CK8/18 が陰性化したり、あるいは CK8/18 陽性の Mallory-Denk body が形成される。 こうした肝細胞の変性のことを balooning と呼ぶ。日本語では「膨化」とか「風船化」とか呼ばれるようである。 この 1) 脂肪化; 2) 炎症や繊維化; 3) balooning、の 3 つの所見が揃った状態を、非アルコール性脂肪肝炎 (Non-Alcoholic SteatoHepatitis; NASH) と呼ぶ。

NAFLD のうち、単純性脂肪肝と NASH の中間にあたる病態については、名前がない。いささか不便である。 この部分を診断する時には「NAFLD」としか言いようがないが、本来の NAFLD は、もっと広い意味であることを忘れてはならぬ。

このように、NAFLD は、単純性脂肪肝から NASH, さらには肝硬変までの、一連のスペクトラムから成る。 名前をつけて区分しているのは、単に、病勢を評価するだけの目的である。 従って、前回紹介した「病理と臨床」2017 年 3 月号で述べられているように、「NASH なのか、その手前の NAFLD なのか」という境界は曖昧であるし、 そこを厳密に診断する意義もない、ということになる。

だから、学生時代からずっと私が思っていた「NASH の概念が、よくわからない」というのは、当たり前のことだったのである。 物理学に例えれば、「青色の光は、波長でいえば何 nm から何 nm の範囲なのか、よくわからない」と言っているのと同じことである。 決まっていないのだから、わかるわけがない。


2018/04/24 非アルコール性脂肪性肝疾患

非アルコール性脂肪性肝疾患 (Non-Alcoholic Fatty Liver Disease; NAFLD) や 非アルコール性脂肪肝炎 (Non-Alcoholic SteatoHepatitis; NASH) は、 医科の学生にとって、理解に苦しむ疾患概念の一つであろう。 少なくとも私は、学生時代にロビンスの病理学の教科書を読んで、よく理解できなかった。 正直に言うが、研修医になってからも、NAFLD/NASH の概念をキチンとは理解しないままに、二年間を過ごした。 オタク向け雑誌である「病理と臨床」では、2017 年 3 月号で NAFLD/NASH を含め「びまん性肝疾患」の特集を組んでおり、一応は目を通したが、読んでもわからなかった。

で、専門医資格を持たないヒヨコとはいえ、一応、病理医になったのが現在である。 むろん指導医の監督つきではあるが、北陸医大 (仮) 病理部の診断の一翼を担っているわけである。 あたりまえだが、NASH 疑い、という肝生検の標本も私の所に届く。 あるいは肝癌の手術検体を病理診断するにあたっては、背景肝も、診る。 「NAFLD/NASH は、わかりません」と言える立場ではない。 もし「わかりません」といえば、指導医のセンセイが優しく丁寧に教えてくれるであろうが、こういうのは、教われば身につくという性質のものではない。 自分で勉強し、自分で考え、自分で診断して、初めて理解できるものであろう。 そもそも、指導医の教えてくれる内容が正しいという保証もない。 今のうちなら、もし自分の診断が間違っていれば、指導医が指摘してくれる。そこを信頼して自分の足で歩こうとすることは、甘えではない、と思う。

そういう状況になってから、改めて教科書や「病理と臨床」を開くと、不思議と、理解できるのである。 結局、細胞や組織の変化というものは、言葉で表現できるものではなく、実際にモノをみなければ、わからない、ということなのであろう。

NAFLD/NASH の病態は、いまなお、よくわかっていない。 飲酒が肝障害を惹起することはよく知られているが、ここで議論するのは、それ以外のものである。 アルコール性肝障害と非アルコール性肝障害の異同については、別の機会に述べることにしよう。

肝細胞においては、機序はよくわからないのだが、しばしば脂肪の蓄積がみられる。 そのような脂肪が蓄積した状態を NAFLD と呼ぶ。 炎症があろうがなかろうが、肝細胞に著明な変性があろうがなかろうが、全て NAFLD である。 つまり、この言葉は、非常に幅広い病変を包含するものである。

NAFLD のうち、単に脂肪が蓄積しただけで、炎症は起こっていない状態を単純性脂肪肝と呼ぶ。 この脂肪の蓄積量について、Hepatol. 56, 1751-1759 (2012). のように「肝細胞全体の 5% 以上に脂肪化がみられるものをいう」という基準を設ける意見もあるが、 「病理と臨床」の記事によれば、「5%」という値に科学的根拠はなく、少量でも脂肪化がみられれば異常である。

こうした脂肪の蓄積は、それ自体が、どうやらマクロファージの活性化を通して炎症を惹起するらしい。 炎症を全く来していない単純性脂肪肝を NAFLD に含めない流儀もあるようだが、 病理診断学の聖典 Goldblum JR et al., Rosai and Ackerman's Surgical Pathology, 11th Ed. (Elsevier; 2018). の記載によれば、含めた方が合理的である。 というのも、単純性脂肪肝は古典的には可逆的な変化であると考えられてきたが、実際には脂肪の蓄積自体が炎症を引き起こし、やがて非可逆的な繊維化に至る。 つまり単純性脂肪肝は、既に、非可逆的な NAFLD の初期病変なのである。

少し長くなってきたので、続きは次回にしよう。


2018/04/20 遺伝率 (2)

4 月 18 日の記事で書いたように、「遺伝率」という概念は、疾患の原因について、 遺伝的要因と環境的要因を分離できる、という前提で導入された概念である。 しかし、この分離は、実際には不可能であると考えられるから、遺伝率というものを厳密に定義することはできない。 この点について、たとえば医学書院『標準精神医学 第 6 版』は次のように述べている。

... 集団内でその疾患を引き起こす危険因子のなかで, 遺伝により引き起こされている部分の割合が, 遺伝率 heritability と呼ばれる (ただし遺伝率は, その時点における環境に依存した値であり, 例えばある疾患のリスクとなる大規模な環境変化が起これば, その疾患の遺伝率は低下することになる).

間違ってはいないのだが、上述した分離の不可能性について言及していないという点において、適切な説明ではないように思われる。

たとえば、ある変異型遺伝子 A' を有する人が、ある化学物質 B に曝露された場合にのみ生じるような疾患があるとする。 A' 遺伝子を持っているだけでは罹患しないし、A' を持たない人が B に曝露されても発症しない。 こういう複合的な要因によって生じる疾患は、現実に珍しくないであろう。 しかし、こういう状況では、前回の記事で紹介したような Genetic variance と Environmental variance とに分離することができず、遺伝率も定義できないのである。 換言すれば、計算方法によって、遺伝率はどのようにも変わってしまう。 『標準精神医学』は学生向けの入門書に過ぎないとはいえ、こういう議論を曖昧にして「わかった気分」にさせてしまうことは、あまりよろしくないように思われる。

精神医学の聖典である Sadock BJ et al., Kaplan & Sadock's Comprehensive Textbook of Psychiatry, 10th ed. (Wolters Kluwer; 2017). は、 こうした問題にもキチンと言及している。 詳細は割愛するが、結局のところ

Heritability has a precise technical meaning and reflects only the degree to which a given trait is associated with genetic factors. It says nothing about the specific genetic factors involved or about the mechanisms through which they exert their influence. Furthermore, the concept of heritability provides no information about how a particular trait might change under different environmental conditions.

遺伝率 は、数学的には厳格な意味を持っているが、ある表現型と遺伝的要因との関連の程度を表しているに過ぎない。 特定の遺伝的要因や、それがどのようにして表現型に結びついているか、といったことには、何も言及していないのである。 さらに、遺伝率の概念は、異なる環境でどのように表現型が変化するかということについても、何の情報も含んでいない。

と、まとめている (1995 ページ)。

「遺伝的要因が占める割合」という漠然とした表現に疑問を抱かない人は、騙されやすいので、注意が必要である。


2018/04/19-2 修正

下に書いた「セクハラと女性問題」の記事において、「遵法意識が低い」は適切な批判ではないので、削除した。

毎日新聞の記事は、下で紹介した朝日新聞とは少し違った印象を与える。 米山が軟弱な男なのは間違いないが、しかし中年の独身男が少し道を踏み外しただけのことであって、人倫にもとることは行っていない。 魅力的な女性に好かれたいと思い、金で歓心を買おうとしたことは、恥ずかしいことではあるが、それだけである。 知事には不適格だというだけのことであって、悪い男ではない。


2018/04/19 セクハラと女性問題

甲状腺瀘胞と遺伝率の話の続きを忘れたわけではないが、別の時事社会問題を、今日は書こう。

福田淳一という財務事務次官が昨夕、辞任を表明したらしい。 事実関係は知らぬが、テレビ朝日の女性社員から取材を受けた際に「胸触っていい?」などのセクハラ発言を繰り返した、という疑惑を週刊新潮が報じていたらしい。 この問題については、財務省が、被害女性に名乗り出るよう求めるなどという常軌を逸した話もあったようだが、それについては今回は触れぬ。

テレビ朝日の女性社員は、セクハラを受けている旨を自社に相談したが、報道することを認められず、やむなく録音データを新潮に渡したという。 形式的には「取材で得た情報を他社に渡した」ということになる。 朝日新聞の記事によれば、 この点についてテレビ朝日は昨晩の記者会見で、 「取材活動で得た情報を第三者に渡したことは報道機関として不適切な行為であり、遺憾に思っています」と述べたらしい。 また、朝日新聞の別の記事によれば、録音データを第三者に渡したことについて、当該社員は 「不適切な行為だった、という私ども (註: 上司ら) の意見を聞いて、反省している」 とのことである。

はたして、データを他社に渡した当該社員の行動は、本当に不適切であったのか。 法的には、報道機関に守秘義務は課されていない。 報道機関としての業務を遂行するためには情報提供者からの一定の信頼が不可欠であるために、報道機関側が自主的に、「秘密を守る」という契約をしているに過ぎない。

今回の件は、取材中に犯罪被害に遭った社員が、上司に相談したにもかかわらず、適切な対応を受けられなかったために、やむなく他社に情報提供した、というものである。 問題があるとすれば、社員にそうさせた、上司の対応ではないのか。 なぜ、社員が「不適切だ」と叱責され、反省を求められねばならないのか。 一体、社員はどうするべきだったというのか。

朝日新聞などの報道をみる限りでは、テレビ朝日は記者会見で、社員の行動を擁護する発言をしていない。 「そういう会社」なのであろう。

セクハラとは話が違うが、同様に性的な不祥事で昨日、辞職したのが新潟県知事の米山隆一である。 詳しくは知らぬが、買春していたのではないか、という疑惑を週刊文春が報じたらしい。 事実であれば、売春防止法違反でる。

金を払ってでも女性と「そういうこと」をしたい、という気持ちは、理解できないでもない。 が、それを実際に行ったのであれば、精神が軟弱であり、人としての尊厳が乏しいという点において、知事にはふさわしくない。 辞職すべきである。

ただし、朝日新聞の記事によれば、米山の記者会見は見事であった。 「援助交際と言われることをどう思うか」という記者の質問に対し 「援助交際は漠然とした言葉だが、『売買春』ととられる可能性はあると思う」と答えたのである。

「援助交際」というゴマカシた言葉を否定し、自ら「売買春」と表現したのである。 この男は、知事としては不適格であるが、人間としては信頼できる。

2018.04.19 語句削除

2018/04/18 遺伝率 (1)

4 月 20 日の記事も参照されたい。

名大時代の友人の一人から、ふと「遺伝率」の話をふられた。 これは疫学用語であるが、特に精神医学の分野で扱われることが多いように思われる。 精神疾患に限らず、大抵の疾患は、程度の差こそあれども遺伝的要因と環境要因とによって生じると考えられている。 そこで遺伝的要因の寄与がどの程度なのか、ということに関心を持つのは自然なことである。 おおまかにいえば、その「遺伝的要因の寄与の割合」のことを「遺伝率」と呼ぶのであるが、その正確な概念は難しい、というより、正確には定義できない。

改めてみると、「遺伝率」をキチンと説明した教科書は、多くない。 私の手元にある書物の中では、小児科学の名著 Kilegman RM et al., Nelson Textbook of Pediatrics, 20th ed., p.628, (Elsevier; 2016). にのみ簡潔に記載されている。 この Nelson の説明によれば、

Phenotypic variance = Genetic variance + Environmental variance + Measurement variance

という関係を仮定した上で、遺伝率 heritability を h で表すことにすれば、

h2 = Genetic variance / Phenotypic variance

と定義される。 ここでいう variance というのは、統計学でいう分散のことである。 上述の式をみると、統計学の初歩を修めた人であれば、分散分析をしようとしているのだな、と想像できるであろう。 分散分析になじみのない人は、小野滋氏が書いた 読めば必ずわかる分散分析の基礎という文書が、正確かつ簡明なので、読まれると良い。

問題は、上述の定義において、遺伝要因による分散と環境要因による分散を加算していることである。 Nelson では、この関係について

The phenotypic variance of a particular trait can be partitioned between the contributions of the genetic variance, environmental variance, and the measurement variance.

と決めつけている。 これは、実は遺伝要因と環境要因が互いに独立に作用する、と仮定することに等しいのだが、常識的に考えて、両者は独立ではない。 現実には、遺伝要因と環境要因は複雑な関係にあると考えられるから、上述の「遺伝率」の定義は、 計算を可能にするための強引で不適切な近似に基づくとみるべきであろう。 この近似を最初に導入したのが誰であるかは知らぬ。 Wikipedia 英語版の記事では O. Kempthorne の `An introduction to genetic statics' (1957). を引用しているが、この文献は北陸医大 (仮) に所蔵されていないので、私自身は確認していない。

さて、この話には続きがあるのだが、長くなってきたので、次回にしよう。


2018/04/17 信じること

詳しいことは書けないので、曖昧な話に終始することをお許しいただきたい。

カルテをキチンと書かない医師や看護師は、少なくない。書かない、のではなく、書けない、のかもしれぬ。 自分が行った医療行為の正当性を主張する根拠としてカルテは重要であって、「なぜ、それを行ったのか」が他人にわかるように記載を行うのが本来の姿である。 逆に、キチンとした記載がなければ、不正なことをしたのではないか、不適切な医療行為なのではないか、と疑われても仕方ない。 少なくとも私は、学生時代も研修医時代も、そう教わった。

ところが、少なからぬ医師は、そう考えていないようである。 カルテの記載が曖昧で乏しく、不適切な診療を行ったのではないかとの疑念が拭えない状況であっても、 大抵の医師は「これだけでは情報が不足していて、わからない。明かに不正であったという証拠はない。適切な診療だったかもしれない。」と言って、 可能な限り「仲間」を擁護しようとするのである。

冷静に考えれば、この態度は、おかしい。 「適切だった可能性もあるから、責めるべきではない」という論理は、少なくとも医療においては、誤りである。 患者第一を謳うならば、「不適切だった可能性を否定できないから、責められるべきである」という態度をとらねばならぬ。 だから、その「不適切だった可能性」を否定するために、カルテはキチンと記載せねばならないのである。

むろん、キチンとしたカルテ記載を行っている医者もいる。 特にトラブルの多い産科領域などは、常に、訴訟になっても問題のないように精緻な記録を残しているらしい。 が、そういう例は、現状では少数派であろう。

あなたが患者として医療機関を受診し、手術などを受けた場合、特に疑問や不審点がなくても、カルテの開示請求をすると良い。 カルテをみれば、それがマトモな医療機関なのか、そうでないのかは、一目瞭然である。 もし、キチンとした記載がなさそうであれば、医事訴訟を得意とする弁護士にでも相談して、病院相手に戦ってほしい。 そうすることが、適切なカルテ記載の必要性を医師に認識させ、まっとうな医療を実現するために、必要なのである。 あなた自身の利益のためでなく、未来の患者のため、これからの医療のために、不適切なカルテ記載を撲滅すべく、戦っていただきたい。 昨今では、適切なカルテ記載がない場合の医事訴訟は、患者側が圧倒的に有利である。臆する必要はない。

カルテがキチンと書かれていない、ということ自体が、医療行為として不適切なのである。


2018/04/16 科学者としての誠実さ

ある放射線関係企業の広報誌を読んで、憤慨した。 その記事は、水素を検出する材料の開発についての読み物であった。 概要としては、水素があると色が変わるような材料を開発した、というものであり、水素検出器としての応用が期待される、とのことである。 工学的観点からすれば、この記事には 2 つの重大な欺瞞がある。

一つは、次の記載である。

したがって、水素を石油、石炭などに代わるエネルギー源として利用するには、その製造、貯蔵、輸送、そして消費の各段階で、 保安上の問題に配慮しながら新しい技術を開発しなければなりません。

完全に、素人を騙しにかかった記述である。 確かに、水素を次世代エネルギー源として利用しようという話は、何十年も前から研究されている。 ただし、それは石油や石炭の代わりではなく、電気の代わりとして利用しよう、という話である。

現在、我々は石油や石炭、あるいは原子力などを一次エネルギー源として利用しており、そのエネルギーを輸送する手段として電気が広く用いられている。 これに対し、電気ではなく水素で輸送した方が高効率なのではないか、というのである。 だから、仮に水素利用の技術が確立しても、石油や原子力から脱却できるわけではないのに、そこをゴマカシて、素人を勘違いさせようというのが上述の記事である。

ついでにいえば、このゴマカシは、電気自動車などについてもあてはまる。 電気自動車は、確かに走行時には汚染ガスなどを排出しないが、代わりに発電所で多量の汚染物質を産出している。 そして電気は、送電時のエネルギー損失が非常に大きいので、電気自動車というのは、全体としてはエネルギー効率が悪く、環境負荷も大きい。 エンジン効率の高いハイブリッド車に比べて「クリーン」であるかどうかは疑わしいのだが、その点について素人に誤解させる広告戦略が採られている。

そして、元原子力物理学者として私が許せないのは、次の記載である。

この水素検知材料は、ガンマ線の照射に対してほとんど影響を受けない素材で構成されていることから、放射線環境下においても水素検知が可能です。

水素検知と放射線の関係について何も触れずに、いきなり、放射線環境下の話を始めているのである。 これでは素人には何のことだか、全くわからない。 もし、これが、単なる書き忘れ、説明不足であるならば、文章が下手だというだけのことである。 が、おそらく、これは故意に省いたのであり、科学者としての誇りと良心にもとる行為である。

水素は、天然資源ではない。石油などの燃焼エネルギーを変換して生成する必要がある。 実は、水素の発生源として有力視されているのが、原子炉なのである。 現在の原子力発電所は、熱エネルギーを利用してタービンを回して発電している。 これに対し、熱エネルギーをうまく変換すれば水素を生成できるのではないか、というわけである。

このように、原子炉と水素の組み合わせでエネルギーを生成・輸送することを念頭に置いているから「放射線環境下で水素検知」という話になるのである。 しかし原子炉を前提とする技術は、昨今の社会情勢ではウケが悪いから、敢えて省いたのであろう。

諸君には、科学者としての誇りがないのか。 風力だの太陽光だのは、原理的に重大な欠陥を抱えているために、主たるエネルギー源としての利用は不可能である。夢物語に過ぎないのである。 現実に社会を支えるエネルギー源としては、原子力を使用せざるをえない。 そのために、安全な原子力技術の確立をめざして、我々は研究していたのではないか。 なぜ、自分の仕事を貶めるような文章を書くのか。


2018/04/15 シリア攻撃

米英仏が、シリアに対する攻撃を行った。 シリア政府が化学兵器を自国民に対して使用したことに対する対応である、という。 いうまでもなく、この攻撃はシリアの国家主権を侵害するものであり、不法にして不当である。平たくいえば、侵略である。

そもそも今回の件においては、シリアが化学兵器を使用したという証拠はない。 証拠もないのに一方的に非難して攻撃を行うのは、近年の米英が得意とする手口である。 イラクの時も、そうであった。 米英などは、イラクが大量破壊兵器を密かに保有している、と主張した。 イラクは国連決議に基づく査察を受け入れたが、そのような兵器は、全く発見されなかった。 そして査察が継続されている最中に、米軍はイラク侵攻を開始した。 結果として査察は中止され、査察団は、何の証拠も発見できないままに撤退したのである。 ついでにいえば、イラクに対しては米英は湾岸戦争以降も武力攻撃を継続していたのだから、悪質である。

仮にシリア政府が化学兵器を自国民に対して使用したという事実があったとしても、諸外国が武力介入する根拠にはならない。 確かにシリアは、化学兵器の放棄に同意している。 この同意自体が、米国等の武力的威嚇によるものであって無効である、とする意見もありえるが、少なくとも形式的には、放棄に同意した。 だから、その同意を反故にして化学兵器を使用したとなれば、非難されることはやむをえない。 しかし、シリアが約束を反故にしたからといって、シリアに対し武力攻撃を行って良いということにはならない。

国際連合憲章は、各国家の主権を互いに尊重することを、加盟諸国に求めている。 シリアで虐殺が行われているというのが事実であって、それに対し武力介入が必要であるとしても、それを実行するにあたり、 少なくとも国際連合安全保障理事会の決議は必要である。 さらにいえば、安保理決議があれば主権国家に対する攻撃が容認されるのか、という点にも疑問の余地はある。

シリアが現に国際平和に脅威を与えているという証拠がない以上、安保理にもシリア攻撃を承認する権限はないと考えるべきであろう。 だいたい、パレスチナ人に対する虐殺を何十年も続けている某国に対し、米英は制裁を加えるどころが、武器を供与しているではないか。

いずれにせよ、今回の攻撃は、安保理決議なしに、米英仏が独自に行ったものである。 かつてイラク共和国軍がクウェートに侵攻し、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、大日本帝国軍が中華民国に侵攻したのと、全く同じことである。

外国からの不正な武力の脅威が存在するとき、それに対し抵抗し、反撃することは、国際連合憲章においても認められている。 米英仏による不当な侵略が現に存在する以上、これに対し武力をもって反撃することは、正当な権利である。 2001 年の時にも、そういって、対米攻撃を支持する勢力がいた。


2018/04/12 甲状腺瀘胞 (1)

甲状腺の話をしよう。 甲状腺は、組織学的に独特の形態を有する瀘胞と、間質から成っている。 瀘胞にはコロイドと呼ばれるゲル状の物質が充満しているが、この「コロイド」は「膠様」という意味であって、紛らわしいがチンダル現象などを呈するコロイドとは意味が異なる。 さて、細胞の観点からいえば、瀘胞を形成する瀘胞上皮と、間質にいる C 細胞とが甲状腺に特有である、と、教科書には記載されている。 このうち瀘胞上皮は甲状腺ホルモンの産生を担い、C 細胞はカルシトニンの産生に与るという。 ただし、細胞の分類というのはたいへん恣意的なものであることに注意を要する。

正直に告白するが、私は、つい最近まで、甲状腺ホルモンの生成過程をよく理解していなかった。 昔、組織学や生化学だかを修めた時に一応は学んだはずであるが、完全には我が物としていなかったために、歳月の経過と共に忘却したのであろう。 要するに、単なる怠慢である。 甲状腺ホルモンの生成機序は、伊藤隆『組織学 改訂 19 版』(南山堂; 2005). にも記載されているが、こういう話は藤田『標準組織学 第 5 版』(医学書院; 2017). の方が詳しい。 しかし、その『標準組織学』でさえ、説明が不完全で、充分に合理的な説明にはなっていない。 いくつかの文献を総合すると、全体像は次のようなものである。

まず、瀘胞上皮がサイログロブリンを生成して瀘胞腔に放出する。その結果、ゲル状のコロイドが形成される。 さらに、瀘胞上皮はペルオキシダーゼを有しており、ヨウ素を活性化して瀘胞腔に放出し、結果としてサイログロブリンのチロシン残基がヨウ化される。 ヨウ化チロシン同士はエーテル結合し、トリヨードサイロニン (T3) やチロキシン (T4) となる。 生化学をキチンと勉強しなかった人は、教科書を開いて、T3 や T4 の構造を確認されると良い。 瀘胞上皮は、甲状腺刺激ホルモンの刺激などに反応してサイログロブリンを細胞内に取り込み、加水分解して T3 や T4 を「解放」する。 これが細胞外に放出され、血中甲状腺ホルモンとなるのである。

問題は、ヨウ素は、どこで活性化するのか、という点である。 伊藤の『組織学』は 「ヨードは細胞内 (註: 瀘胞上皮細胞内) でペルオキシダーゼ thyroperoxidase によって酸化され活性型ヨードイオンとなる.」と述べている。 一方、藤田の『標準組織学』では 「ヨードが蛋白質と結合する場は, 瀘胞腔の中である」としている。 これは、放射性ヨウ素を用いた実験結果に基づく記載であり、瀘胞上皮細胞内では、サイログロブリン以外の蛋白質ともヨウ素は結合していない、という意味である。 ところが、その直後に藤田は 「この反応には, 水解小体 (註: リソソーム) に含まれるペルオキシダーゼが働く」と述べている。 リソソームは細胞内小器官であるから、瀘胞腔には存在しない。記述が混乱しているのである。

常識的には、活性化したヨウ素が蛋白質と結合することなしに瀘胞腔へと輸送されるとは思われない。 従って、藤田が引用した実験結果を信じるならば、ヨウ素の活性化は瀘胞腔で起こっていると考えるべきであり、伊藤の記載は誤りだということになる。 なお、医学書院『医学大辞典 第 2 版』によれば、ペルオキシダーゼは膜蛋白質であり、瀘胞腔側に多いというが、これだけでは伊藤説と藤田説のいずれとも矛盾しない。

こうなると、教科書の記載の根拠となったであろう文献をみる必要がある。 あいにく、本件についての重要論文の一つが我が北陸医大 (仮) に所蔵されていないので、現在、図書館に取り寄せを依頼中である。 到着したら、続きを書くことにしよう。


2018/04/07 白衣

北陸医大 (仮) で私が普段着用している白衣の背中に「北陸医大 病理」と大きく刺繍が入っていることは以前に書いた。 研修医時代には、左袖に「病理研修医」という肩書と私の氏名も入れていたので、研修医を終えて専攻医となった 4 月からは、新しいものに換えた。 今は「病理専攻医」と刺繍されたものを着ている。

この白衣は、刺繍なしなら一着 5,000 円しないものであって、白衣としては安い部類である。 高級白衣になると、一着 2 万円以上したり、ものによっては 3 万円を超えるようなものもあったと思う。 実際、病院内で医師の白衣を観察すると、やたら高級感のあるものを着ている者も多い。 3 年目ぐらいの若い医師でも、1 万円超えの白衣を愛用している者は少なくないように思われる。

実は私も、少しだけ、迷った。 せっかくだから、と、1 万円クラスの白衣にしようかと思ったのである。 が、結局、やめた。 KAZEN の、学生が着ているのと同じような白衣に刺繍を入れて使うことにしたのである。

価値観は多様であろうが、私の感覚でいえば、もし自分が患者なら、そういう高級白衣に身を包みブランド腕時計をつけているような医者には、診られたくないからである。

なお、白衣の素材については、好みが分かれるであろう。 私は研修医時代、綿 35% ポリエステル 65% で比翼仕立ての KAZEN 110-70 を頻用していた。 今回は、綿 15% ポリエステル 85% でダブルの KAZEN 255-90 にしたのだが、生地がイマイチ好みでない。 少しばかり後悔した。 次に白衣を新調するときは、110-70 に戻そうと思う。


2018/04/06 前立腺癌と基底細胞過形成

医学の話をしよう。前立腺癌についてである。 前立腺癌を疑う臨床所見としては、直腸診における所見として前立腺が大きく硬くなっている、というようなものもあるが、むろん、感度も特異度も低い。 経直腸超音波検査も、前立腺過形成と前立腺癌を正確に鑑別するのは難しい。 血液検査では、PSA (Prostate-Specific Antigen) が前立腺癌マーカーとして測定されることが多いが、結果の解釈が難しい。 癌以外の原因で PSA 高値になることは多いし、逆に、PSA 低値でも癌は多いのである。 実際、PSA 高値であることから前立腺癌を疑われて生検をしたところ、既に前立腺癌が非常に大きくなっていた、というような事例は珍しくない。 PSA 値をみるだけでは、早期発見に失敗することが多いのである。 そういった事情から、内科学の名著 Kasper DL et al., Harrison's Principles of Internal Medicine, 19th Ed. (McGrawHill; 2015). は、 PSA 値に cutoff 値を設けることはできない、としている。 さらにいえば、前立腺癌には latent 癌も多いので、癌があったとしても治療するべきかどうかは、実は難しい。

医学科の高学年生であれば、前立腺癌の特徴として「二相性の喪失」があることを知っているだろう。これは「二層性の喪失」と書かれることも多い。 すなわち、正常の前立腺は分泌細胞と基底細胞の二種類の細胞によって形成されているが、通常、癌化するのは分泌細胞である。 分泌細胞が腫瘍性に増殖するとき、基底細胞の反応性過形成を伴わないらしく、結果として、基底細胞を伴わない腺管が形成され、これを「二相性の喪失」と呼ぶのである。

これは、不思議な話である。 前立腺過形成の場合には、分泌細胞と基底細胞とが共に増えるのに、癌の場合は違う、というのである。 なお、前立腺過形成は臨床的には「前立腺肥大」と呼ばれることもあるが、正しくは肥大ではなく過形成である。 最近では、そのあたりに気を遣って prostatic hypertrophy ではなく prostatic hyperplasia と記載している臨床の教科書も増えているようである。 一方、日本語で書かれた組織学の教科書として双璧を成す伊藤隆『組織学 改訂 19 版』と藤田・藤田『標準組織学』は、 いずれも「前立腺肥大」という表現を用いており、遺憾である。

ところで、前立腺には基底細胞過形成、と呼ばれる変化がみられることもある。 これは、通常は単層である基底細胞が反応性変化により過形成して多層になるものであるが、 Mills SE, Histology for Pathologists, 4th Ed. (LWW; 2012). によれば、通常は管腔側に単層の分泌細胞を伴っている。 この基底細胞過形成は、1983 年頃には「稀な良性病変」と認識されていたようであるが (Am. J. Clin. Pathol. 80, 850-854 (1983).) 前立腺癌に対するホルモン療法を行うと、反応性変化として高頻度に出現する (Am. J. Surg. Pathol. 15, 111-120 (1991).)。 ただし、そのことは上で引用した Mills の教科書には記載されていない。

なぜ、癌では分泌細胞のみが増え、ホルモン療法後には基底細胞のみが増え、前立腺過形成では両者が増えるのか。 このあたりについて、遺伝子の発現具合の変化を調べた報告はあるが (Prostate 77, 1344-1355 (2017).) 機序について何らかの仮説を唱えるには、到底、至っていない。


2018/04/05 衆議院議員の資産と統計解釈

衆議院議員の資産についてである。 朝日新聞が、現職衆議院議員の資産の男女差について報じた。 男性は平均 3116 万円 (新人では 2519 万円) に対し、女性は 1144 万円 (新人は 439 万円) と、著明な男女差があるという。 これについて 「選挙をはじめ政治に金がかかる状況は改善されておらず、こうした男女間の資産の格差も『女性の政治参加を阻む一因になっている』と識者は指摘している」と記載している。 むろん、この記載は正しくない。 女性の政治参加と資産の多寡の関係は、このデータからは読み取れない。 むしろデータからは、「女性であれば、資産がなくても国会議員になりやすい」と解釈する方が自然である。 おそらく、記者は科学や統計学の素養が乏しいために、適切に情報を解釈することができなかったのだろう。

同様に、統計情報を適切に解釈できていない例は医学・医療の分野でも実に多い。 たとえば、食品会社の明治が内閣府の支援を受けて行った「研究」で、まるで「カカオの多いチョコレートを食べると脳に良い影響がある」かのような内容を 発表したのが昨年 1 月である。 これに対し、朝日新聞の科学医療部記者杉本崇などが猛攻撃を行っている。 この問題の重要な点は、明治が、科学的に不適切な「研究」の成果を誇張して発表し、自社製品に対する優良誤認を意図的に誘導しただけでなく、それを政府が後援したことである。

他にも、統計の扱いが酷い事例は多い。 健康診断における「基準値」を巡る問題では、 そもそも血中コレステロール濃度などにカットオフ値を設けて判断すること自体に無理があるのに、そこに目をつぶって、 延々と無益な論争を続けている。 数値の高低により盲目的に判断するぐらいなら、健康診断に医者が関与する必要はない。 さらにいえば、信憑性の低いコホート研究に基づく統計を根拠に、高コレステロール血症の良し悪しを議論しているのも、無茶苦茶である。

そんな中、朝日の Webronza に 4 月 2 日、 学校で教えてくれない「疫学」の大切さという記事が掲載された。 細かい所をネチネチと突くのが好きな私でさえ唸るほどの、見事な記事である。 さぞ高名な疫学者が書いたのだろう、と思って記者をみると、北海道大学の玉腰暁子教授である。 経歴をみると、名古屋大学医学部卒、同大学大学院医学系研究科満了、とのことである。 「満了」ということは「修了」ではなく、つまり、満期になるまで在学はしたが、博士の学位は取得せずに退学した、という意味であろう。優秀であることの証左である。


2018/04/04 塩沢教授

日本語で書かれた膠原病学の教科書、といえば、塩沢俊一『膠原病学 改訂 6 版』(丸善; 2015). が名著である。 膠原病に関心のある医師ならば、必ず、この教科書を読んだことがあるだろう。 私も、この日記で過去に、この教科書に言及したことがある。 特に、2015 年 11 月 4 日には『膠原病学』の「抗二本鎖 DNA 抗体は SLE に特異的である」という記載に対し噛みついた。

塩沢教授については、2016 年 9 月 25 日の記事において 「九州大学が輩出した優れた教育者である」という趣旨の記載をし、九州大学を賞賛した。 しかし本件について、ある人から「塩沢教授は神戸大学の出身である」というご指摘をいただいた。

私の確認不足である。 塩沢氏を教授として迎えた九州大学の見識が高いことは間違いないのだが、「輩出」というのであれば神戸大学を挙げるべきであった。 たいへん失礼した。

ところで、上で紹介した 2015 年の記事を読み返して、少しばかり恥ずかしくなった。 当時の記事の医学的水準が低い、といっているのではない。むしろ逆である。 医師 3 年目の現在、名古屋大学 6 年生の頃あるいは研修医 1 年目の頃に比べて、はたして医学に対し、より深く真摯な考察を積み重ねるようになっただろうか。 特に病理研修が始まってから、診断業務に直結しない医学的研鑽が、おろそかになっているように思われる。

名古屋大学時代の同級生諸君から「奴も、その程度の医者になったか」と嗤われることのないよう、心して医学と向きあう所存である。


2018/04/03 蛋白分解酵素阻害薬と「エビデンス」

近年の医療界では evidence-based medicine (EBM) という語が好んで用いられている。 キチンとした学術的根拠に基づいて医療を行うべきだ、という意味合いである。 ところが、この「エビデンス evidence」という語の意味は曖昧である。 一応、教科書的にはランダム化比較対照試験や、いわゆるメタ解析などは「エビデンスレベルが高い」つまり信頼性が高い、とされることが多い。 しかし、たとえ二重盲検ランダム化比較対照試験であっても、試験の設計次第では、不適切な結果が意図的に、あるいは意図せずに、誘導されることもあるという事実は、 これまで何度も書いた。 また、現実には、ランダム化や盲検化が不充分で、プラセボ効果や観測者バイアスが大きいと思われる臨床試験も多い。 さらに、理論を軽視して統計が全てであるかのように考える者の少なくないことも問題である。

過日、図書館でたまたま、看護師向けの、診療のエビデンスを解説した本をみかけた。 薄い本で、イラストを多用し、「わかりやすく」さまざまな状況における治療のエビデンスを簡略に解説した書物である。 その中で気になったのが、急性膵炎に対する蛋白分解酵素阻害薬の投与についてである。 症例によって蛋白分解酵素阻害薬を使ったり使わなかったりするのはなぜか、というような項目を設け、その適応条件を「解説」していたのである。

日本では、急性膵炎に対し、蛋白分解酵素阻害薬と称される薬剤を投与することが少なくない。 膵由来の消化酵素の異常活性化による組織傷害を防ぐためである、というのが、その「理論的根拠」である。 ただし、その有用性は統計的には確認されていない。 朝倉書店『内科学』第 11 版によれば 「治療成績向上における明らかな有効性が示されていないことから, 2015 年に改訂された『急性膵炎診療ガイドライン』でも明確な推奨を受けておらず, その適応条件を明らかに示すことが今後の課題となっている」とのことである。

そもそも「蛋白分解酵素阻害薬」という呼称からして、「止血薬」と同様の胡散臭さがある。 「抗プラスミン薬」ならわかるが、「止血薬」となると、実にインチキくさい。 まともに生理学や薬理学を修めた者であれば、そんなもの、あるはずがない、と感じるであろう。 同様に、もし「蛋白分解酵素阻害薬」なるものが本当にあって、それを充分に全身投与したならば、たぶん、患者は死ぬ。 蛋白分解酵素と総称される酵素の中には、全身の細胞の機能を維持するために重要な酵素が多数、含まれているからである。 「キモトリプシン阻害薬」などなら大丈夫かもしれないが、「蛋白分解酵素阻害薬」は、ありえない。

このような「止血薬」「蛋白分解酵素阻害薬」といったものに疑問を感じない、違和感をおぼえない人は、生理学や薬理学を勉強しなおした方が良い。


2018/04/02 北陸医大の未来

初期臨床研修が終わり、病理専攻医としてのキャリアが始まった。 北陸に来てから二年間、苦しい研修であった。 むろん、私自身が学んだところは多かったが、はたして、私はこの二年間に、どれだけのものを北陸医大 (仮) に生み落とすことができたか。

率直にいえば、北陸医大を本当の第一志望として志願して我が大学の医学科に入学する学生は、少ない。 国立大学医学科の中では比較的入学しやすいがゆえに選んだ、という者が多いものと思われる。 初期臨床研修あるいは専攻医として就職する者も、地元だから、とか、北陸医大卒だから、というような消極的な理由の者が大半であろう。 私のように、数ある大学の中から敢えて北陸医大を選び、縁もゆかりもないのにやってくる者は、少ない。 が、少ないものの、私以外にも存在する、という点において、この大学の未来を照らす灯は、未だ消えていないといえよう。

過去二年間にも何度か書いてきたが、我が北陸医大の良くない点は、新しいものを自分達が開拓する、時代の最前線を進む、という気概の乏しいことである。 誰かが作った最新技術を取り入れる、とか、北陸地方では一番、というような矮小な志に満足する者が、遺憾ながら、少なくないように思われる。

ところが、よくみると、その北陸医大にあって、なお世界に目を向ける者もいる。 詳しくは知らないのだが、噂では、一部の学生グループが、週刊 The New England Journal of Medicine に連載されている Case Records of Massachusetts General Hospital を読む勉強会を定期開催しているらしい。 具体的な内容は知らぬが、私が学生と共に行っているのと類似の催しであろう。 そういう、試験の役に立たない、臨床にも直結しない勉強を、自分達でやろうと考え行動する姿は、たいへん、よろしい。 精神の有様において、日本有数の水準にあるといえよう。 そして、優れた精神には豊富な学識がおのずから付随するものであるから、彼らが将来、秀でた医師や医学者になることに疑いの余地はない。

そうした学生諸君には、ぜひ、北陸医大に残らず、見ず知らずの地で初期臨床研修を受けてほしい。 いずれ、専門医資格を取得した後などに北陸に戻るのも良いが、別に、戻らなくても良い。

地元に医者を確保しよう、などと近視眼的で姑息的な発想をする大学には未来がない。 我が北陸医大は、21 世紀後半から 22 世紀にかけての日本あるいは世界の医学を牽引する立場にあるのだから、 広く日本中に人材を送り込むべきであって、「我が大学に残ってほしい」などと考えるべきではない。


2018/04/01 患者の気持ち

患者の気持ちを考えろ、というようなことを、私は、言いたくない。 というのも、私は、いささか頭がオカシイようで、世間の標準から少しばかりズレており、要するに非常識な人間だからである。 医学転向する前の私を知っている人であれば、私が「患者の気持ちを考えろ」などと言っているのをみれば噴飯するであろう。

しかし遺憾なことに、医学・医療の世界においては、私は、かなりの常識人であるように思われる。 あまりに医者連中が世間から乖離しているので、相対的に、私はマトモなのである。

詳しいことは、書けぬ。 しかし、救いを求めて病院にやってきた患者を、諸君は、自分と対等の人間として、みているだろうか。 患者の苦しみを、まるで自分のことであるかのように、真摯に受けとめることが、できているだろうか。

医は仁術である。 諸君は、いつのまにか、そのことを忘れ、「助けてやろう」と、上からみおろしているかのような錯覚に、とらわれていないだろうか。

患者に対し、横柄な言葉遣いをする者は少なくない。 高齢者に対し、まるで幼児に接するかのような話し方をする医師や看護師は、なぜか、多い。 些細なことのようであるが、そこには、相手を格下にみる意識が潜んでいる。 そして、そういう意識が、もっと重大な事案を引き起こしているのであるが、本人達は、気づいていない。 悪意がないからといって許されるものではない。


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