3 月 4 日から 8 日までウィーンで開催される European Congress of Radiology に参加する。 これは毎年ウィーンで開催されている放射線医学の学会である。 渡航費支援を大学に申請したが却下されたため、私費での参加である。 わざわざ大金を払って学会発表だけして帰るのは悔しいので、帰りにイスタンブールで遊んでくる予定である。 3 月 1 日の夜は東京の両親宅に泊まり、3 月 2 日 10 時 25 分成田発イスタンブール行きの Turkish Airlines TK51 に乗った。 現在、越前から若狭湾沖上空を過ぎ、大韓民国を横断し、山東半島にさしかかっている。
両親宅を出たのは 5 時 45 分頃であった。 蒲田駅から京浜東北線で品川に向かい、そこから 6 時 47 分発成田エクスプレス 3 号に乗り、成田空港に着いたのは 8 時頃である。 チェックインを済ませた後、どうも靴下が足りないような気がしたのでユニクロで 3 足 990 円のものと、ついでに半袖シャツも 1 枚購入した。 預け入れた荷物はウィーンまで運ばれるが、私はイスタンブールで乗継待ちのため 1 泊するので、その分の着替えを手荷物に移し替えた。
私は、あまりクレジットカード等で支払うのが好きではない。 というのも、あの種の決済代行サービスは手数料が高く、暴利を貪っているように感じられるからである。 私は、利子や手数料で稼ぐことを忌避するキリスト教的価値観に強い共感をおぼえているので、クレジットカード会社に儲けさせたくないのである。 なお、現代ではキリスト教徒を自称する人々ですら、こうした感覚を失い、公然と金融で稼いでいる者が少なくないことは遺憾である。
現金の両替は現地で行った方がレートが有利である、という噂をきいていたため、当初は現地で日本円から現地通貨への両替をする予定であった。 しかし、たまたま覗いた空港の両替商では円からユーロが 187 円/Euro, ユーロから円が 179 円/Euro 程度であり、レート比 5% 弱は許容範囲であるように感じられた。 そこで私は 200 Euro を購入し、自宅から持参した 300 Euro 弱と併せて 500 Euro 近くの現金を確保した。 なお、空港の千葉銀行はトルコリラを扱っていないようであり、私が両替した業者も円からリラが 6 円/リラなのに対しリラから円が 1.5 円/リラと、著しくレートが悪かった。 リラは、必要に応じてイスタンブールで確保することにした。
空港に着いた時点では、我が TK51 便は 10:25 発の予定が 10:55 発と遅延する、と表示されていた。私の手元の搭乗券にも、そのように記載されている。 しかし出国審査を過ぎた時点では、案内表示は「定刻」となっていた。 ところが実際は搭乗開始が 10:10 であり、その後も物事が緩慢に進行し、滑走路に向かったのは 11 時を過ぎてからである。 我が機の後方には JetStar, その後に Japan Airlines, Nippon Cargo, と航空機が滑走路進入待ちの列を成していた。 離陸は 11:15 頃であった。
私の座席は 52K, 機体後方の右窓側である。隣人のスマートフォンにはキリル文字が表示されており、時刻設定がイスタンブールと同じであるようにみえた。 ブルガリア時間であろうか。
離陸後しばらくしてから、機内食が供された。 予め配布されたメニュー表によれば、Chicken cutlet or Grilled basa fish with teriyaki sauce or Penne with pesto sauce とのことであり、私はチキンカツを選んだ。 ピラフのような米料理の上に、ふにゃふにゃのカツが載っており、正直なところ、あまり美味ではなかった。 私の認識では、Turkish Airlines は基本的に良質な機内食を提供するように思うのだが、今回はハズレだったようである。 他に Green beans with tahini, Garden fresh salad, Yuzu mousse も供された。 Tahini が何であるかは知らぬが、ここでいう green beans とはいわゆる隠元豆のようであり、私の天敵であるため、食べることを控えた。
我が機は山東半島の縁を通り、現在、北京上空を通過中である。
先日、米国およびその同盟者たる中東の武装勢力が、イランに対する攻撃を開始した。 これに関連して、日本では米国政府のプロパガンダのような報道が為されているので、批判を加えておこう。
まず前提として、国際紛争を解決する手段としての武力行使を禁止しているのは日本国憲法第 9 条のみではなく、国際連合憲章においても同様である。 仮にイランが中東の安定を脅かしている、という指摘が正しいとしても、それを根拠にイランに対し軍事攻撃を行うことは不法である。
日本の報道が不誠実であり親米プロパガンダ的であることは「核開発」という言葉の使い方に表れている。 現在の核不拡散条約において、核兵器の保有が認められているのは米英仏露中の五か国のみである。 一部の国のみ核兵器を保有できる、という不平等条約は認められない、と批判するインドやパキスタンの指摘は極めて妥当であるが、 条約に加わっている以上、日本やイランは核兵器を保有することができない。 従って、もしイランが核兵器の取得を試みているのであれば、その企ては阻止されるべきである。 一方、核兵器の開発を目指さない、いわゆる核エネルギーの平和利用として原子炉を開発することは、核不拡散条約においても全ての国に認められている。 ウランを濃縮することも、プルトニウムを製造することも、それ自体は禁止されていない。 すなわち、ウラン濃縮をはじめとする「イランの核開発」は、それが核兵器製造を目指すものでない限り、条約上、当然の権利として認められている。 そしてイランは核兵器開発を否定しており、また核兵器開発を試みているという証拠もない。 しかるに日本のマスコミは無造作に「核開発」という言葉を使い、平和利用の原子力技術開発なのか核兵器開発なのかを曖昧にし、イランが危険な国であるかのような印象を与えている。
2025 年に米国がイランに対し大規模な攻撃を行った際、IAEA をはじめとする、いわゆる国際社会は、何もせず、米国の蛮行を事実上黙認した。 核不拡散条約は、非核保有国による核兵器製造を禁じるだけの条約ではなく、平和利用の権利を保障する条約でもある。 ところが、原子力技術開発を行うイランの権利が公然と侵害されたとき、世界はイランの権利を無視し、大国の横暴を追認したのである。 これをイランは厳しく批判し、IAEA が本来の任務を放棄して米国の手先として働いているとして、IAEA の査察に対する協力を拒否した。 核不拡散条約を踏みにじっているのは、イランではなく、諸君の方ではないのか。
米欧とイランとの間に結ばれていた、いわゆる「核合意」についてもプロパガンダ報道が著しい。 これはそもそも、イランが核兵器開発を企てているのではないか、と米欧が疑い、経済制裁を加えたことに端を発している。 この経済制裁自体の正当性も疑問であるが、今回はその部分は触れないことにする。 経済制裁により困窮したイランは、経済制裁の解除とひきかえに、条約上は認められている平和的原子力技術開発の権利を自主的に放棄することに合意した。 これが、いわゆる核合意である。 これにより、米欧とイランの関係は一応、安定した。 ところが、この核合意は米国が一方的に離脱を宣言し、経済制裁を再開したことで崩壊した。 イランによる原子力技術開発の中止は、あくまで経済制裁解除の代価であった。 経済制裁が再開されたならば、もはや技術開発を自粛する理由はない。 欧州などは、米国による離脱後もイランに対し合意の履行を求めたが、これは条約上認められた権利の一方的放棄を要求するものであり、筋が通らない。イランが拒否したのは当然である。 このように、合意を破壊したのは米国であるのに、まるでイランが悪の権化であるかのように日本では報道されている。 一体、「ならず者国家」はどちらであるか。
なお、こうした不公正な報道姿勢や、日本の人々の横暴な偏見は、イランに限った話ではない。 湾岸戦争停戦後も、米英はイラク上空に「飛行禁止区域」なるものを何らの法的根拠もなしに主張し、 イラク領空を飛行するイラク軍の航空機に対し攻撃を行い、イラク領内のイラクの軍事施設や工場などに対する攻撃を継続した。 この蛮行に対し、日本の報道はほとんど関心を示さなかった。 イラクが大量破壊兵器保有疑惑をかけられ国連の査察を受けた際も、米英によるイラクに対する軍事攻撃は継続されていた。 査察団が偵察機の使用許可を求めた際、イラク政府は「事前に飛行計画を提出するか、米英による空爆をやめさせるか」という条件を出した。 米英による空爆が継続されている限りイラク軍は対空砲火で応戦せざるを得ず、その戦闘区域を査察団の偵察機が飛行すれば誤射の危険があるからである。 これが日本では「イラク政府が偵察機の使用を拒否した」かのように報道された。 そうして査察が進行したが、現実には大量破壊兵器は発見されなかった。 査察が継続される中、米軍がイラクに侵攻し、査察は中止された。 国連による査察を妨害したのは、一体、誰であったのか。
念のために書いておくが、私自身は、イランのイスラム体制は好きではない。 イランに限らず、アラブ首長国連邦やサアド朝アラビア王国、イスラエルと自称する中東の武装勢力支配地域、そしてアメリカ合衆国のように、 宗教勢力が政府と一体化して政治を行う体制を、私は好まない。信教の自由は、保証されるべきであると思う。 とはいえ、それは各国の国民自らが決めるべきことであって、外国勢力が口出しできる問題ではない。 イランの人々がイスラム体制を消極的にであれ支持し従うのであれば、それがイランの姿なのであり、外国が介入すべきではない。
ついでにいえば、日本においても、形式的な信教の自由は認められつつも、社会的には宗教差別や偏見が強いことに辟易している。
日本時間 3 月 2 日 23 時、我が機は黒海の南岸上空を西進している。 イランとロシアの間を縫うように、カスピ海を越えてアゼルバイジャンを過ぎ、トルコに入った。
先ほど書き忘れたが、成田空港で荷物を預け入れる際、係員は流暢な日本語を話していた。 Wien をヴィエンナと発音していたのは、英語式発音へのこだわりなのか、日本語でウィーンと呼ばれていることを知らないのか、いずれであろうか。。
先ほど、二度目の機内食が供された。Seasonal fresh fruit, Bircher muesli の他に、Omelette または Shrimp and veggie noodle である。 客室乗務員は egg or noodle? と尋ねてまわっており、私は noodle を所望した。 これは、いわゆるヤキソバのようである。
着陸予定時刻は 18:15 頃とのことである。空港を出る頃には日が沈みそうであるから、注意して街を歩かねばならぬ。
私が以前、イスタンブールに来たときは、アタテュルク国際空港発着であった。 イスタンブールは世界最大級の国際空港であり、アタテュルク国際空港は手狭になったため、何年か前にイスタンブール新空港が開業し、アタテュルクは貨物専門の空港になったらしい。 アタテュルク空港はマルマラ海側に位置するのに対し、新空港は黒海側である。 我々の飛行機は当然、新空港に着陸したのであるが、アナトリア半島北岸からボスポラス海峡東岸に沿って、一旦、南下した。 私は右の窓側であったため、ヨーロッパとアジアを分けるボスポラス海峡をよく眺めることができた。 金角湾も、よくみえた。 塩野七海『コンスタンティノープルの陥落』の愛読者である私にとって、興奮を抑えられない眺めであった。 マルマラ海に抜けると、アタテュルク空港を右にみつつ、我が機は旋回しながら高度を落としていった。 まさかアタテュルクに降りるのではあるまいな、と少しばかり不安になったが、結局、我が機は北に向かい、無事に新空港に着陸した。
イスタンブール空港でタラップを降りた我々乗客は、バスで到着ロビーまで運ばれた。 この便には、HIS ウルトライタリア 8 日間だとか、エジプト行きだとかのツアー客が多数、乗っていたらしい。 ツアー組は到着ロビーに集まって点呼していたようである。 ツアー参加者には還暦を過ぎたような高齢者だけでなく、大学生ぐらいのアベックや、友人同士らしき小グループも参加していた。 飛行機の中で私の前の席に座っていたアベックはイタリア行きであるらしく、機内でイタリアガイドブックをみているのが少しだけ視界に入った。 この種のツアーが悪いとは言わぬが、一体、何が良いのか、私にはよく理解できぬ。
私は大抵、飛行機を降りたら入国審査の前にトイレに行くことにしている。 空港のトイレは比較的キレイなことが多く、大抵無料であるが、入国後はホテルに着くまでキレイなトイレに遭遇できない恐れがあるからである。 ところが遺憾なことに、イスタンブール空港 (IST) のトイレはあまりキレイではなかった。 私は軽度の便意を感じていたのであるが、切迫はしていなかったので、ホテルまで我慢しようと思うぐらいには、空港のトイレはキレイでなかった。 極めて遺憾である。
入国審査の列では、台湾の高級中学校の学生らしき集団と遭遇した。 肩に大きな台湾国旗をつけており、学校名は忘れたが、ナントカ高級中学校、と漢字で書かれていた。 台湾の学制はよくしらないが、たぶん、高級中学校というのは日本でいう高等学校に相当するのであろう。 機械系の高級中学校であるらしく、トルコで開かれる今年度の機械系イベントに参加するようで、しおりを手に持っていた。 私の前に並んでいたヨーロッパ系の風貌の壮年男性は、私に向かって「彼らはどこから来たのだろうか?どこの国旗だっけ?」と問うた。 私が「台湾ですよ」と答えると、「あぁ、台湾か。香港だったか、マレーシアだったか、と思っていたんだ」とのことであった。 台湾と国交のない国から来た人であれば、台湾国旗に馴染みがないのも仕方あるまい。
入国審査は何事もなく通過した。 係官のお姉さんが、「もう疲れた」といわんばかりに、数秒間俯いて目を抑え、水を一口飲んでから審査にとりかかっていたのが印象的であった。
空港で両替レートを確認すると、詳細は忘れたが、日本円は売り買いのレート比が 2 倍ほどであり、成田よりはマシなものの、かなり割が悪い。 そこで ATM でクレジットカードからトルコリラを引き出そうとしたが、5000 リラを引き出すのに手数料が 700 リラだという。 高すぎる、と思い、結局、有人の両替商でユーロからリラに両替することにした。 ユーロからリラは 38 リラ/Euro 程度、リラからユーロは 57 リラ/Euro 程度なので、円から直接両替するよりは Euro を介した方がマシなようである。 とりあえずは乗継の 1 泊だけなので、100 ユーロをリラに交換しようとしたところ、係員が 200 ユーロ以上だとお得だよ、という。 どれだけ得なのか、と訊ねたのだが、英語の音は聞き取れるのだが、何を言っているのかほとんど理解できない。 トルコでは英語を苦手とする人が多く、街中でも英語を全く理解しない人にしばしば遭遇する。 おそらく、この両替スタッフも、アヤシゲな英語で頑張って仕事をしているのだろうが、あまりにアヤシゲで通じないのだと思われる。 なお英語のトルコ訛りは日本や朝鮮などの東アジア訛りにかなり近いようであり、発音自体は非常に聞き取りやすい。 結局、何がどう得なのかわからないが、私は 200 ユーロをリラに交換した。 後でホテルに戻って確認して理解したところによれば、200 ユーロ以上両替すれば「次回使える手数料 20% 割引クーポンがもらえる」ということのようであった。 ただし、元々両替手数料は無料 (レートに含まれている) なので、実際のところ何が 20% 割引されるのかは不明である。 両替商は「私からのプレゼントだよ」と言っていたが、調子の良いことである。
空港内の売店では、トルコ風のパンが 1 個 160 リラ等であった。 1 リラが概ね 5 円程度とすれば、かなり高い。 既に日は沈んでおり、なるべく早くホテルに移動したかったため、何も買わなかった。
空港の出口では、小銃を持った武装警察官らしき人物が警戒にあたっていた。私は、空港からホテルの近くまでメトロで移動することができそうだ、という情報だけを持ってイスタンブールに到着した。 具体的な乗り換え手順などは、知らぬ。現地に行けば何とかなるだろう、という態度で海外旅行に臨んでいる。
イスタンブール空港 (IST) では、メトロ空港線が 2023 年に開業したらしく、メトロはこちら、という案内が大きく示されているので、迷子になる心配はない。 案内に沿って歩くと、徐々に人影がまばらになり、本当に合っているのか心配になるが、表示を信じて進めばよい。 地下深く下りたところに改札口やチケット販売機があり、ここまで来れば少しは人がいる。 自動券売機で IC カード式の乗車チケットを購入し、チャージすることができる。 支払いはクレジットカードでよい。 このマシーンは英語表示にも対応しているので、トルコ語を理解しない我々のような蛮人でも問題ない。 日本語表示もあるようだが、少しみたところ、翻訳の質が低そうなので、英語を使った方が無難である。 私はカードを購入し、20 リラをチャージして改札口に向かった。 が、残高が足らぬ、というような表示が出て、通れない。 どうやら空港線は均一 38 リラ程度のようなので、20 リラのチャージでは足りないらしい。 私は追加で 20 リラをチャージした。
ところで私は Uranus Istanbul Topkapi というホテルに宿泊した。 Uranus はホテルのブランド名、Topkapi というのは地名である。 メトロで Topkapi まで行けば良いのだが、路線図をみても、具体的にどこで乗り換えればよいのか、わからなかった。 そこで、改札口を入ったところに立っていた係員の紳士に excuse me, sir. と声をかけ、このホテルに行きたいのであるが、Topkapi へはどうやって行けばよいのでしょうか、と訊ねた。 なお、私は高校時代に、こういう時には sir とつけるのが紳士の振る舞いだ、と教わったので、必ず sir とつけるようにしている。 係員氏は聞き取りやすい英語と笑顔で快く対応してくれたのだが、曰く「ihsaniye に行って、そこからは、まぁ、タクシーだね」とのことである。 「タクシーですか、ははぁ。わかりました。Thank you very much.」と言って私はプラットホームに降りたが、無論、タクシーを使う気はない。 なお、こういうときに very much をつけろ、というのも高校時代に教わったことを今でも実践している。
プラットホームには、国際線で到着したのであろう、外国人風の旅行客がたくさんいた。 ANA で到着したらしき日本語を話すビジネスマン風の集団もいた。
プラットホームで路線図をみても、やはり、どこで乗り換えればよいのかよくわからない。 先に結論を書いてしまうと、実はプラットホームの路線図は上半分と下半分が別物であり、上半分だけをみればよかったのである。 メトロは M1, M2 といった記号が路線ごとに振られているが、路線図の下半分は B1, B2 といった Suburban Line の路線図なのである。 現在位置はメトロ駅なので、つまり下半分は無関係なのであるが、日本の駅の路線図の感覚でみると、まるで下半分が「今、あなたが乗ろうとしている路線をピックアップして表示しています」 と言わんばかりにみえるので、私は勘違いしてしまったのである。 ほんとうは M11 の Istanbul Havalimani にいるのに、私は B1 の Halkali にいるのだと誤解し、Sirkeci で乗り換えれば良いのだな、と考えた。 プラットホームの行先表示と路線図上の行先が一致していないようにみえて困惑するうちに、列車が到着した。 とりあえず乗ってみたが、車内の表示と、私の認識している行先が合わない。 私と同じように路線図前でアレコレと悩んでいた東洋人風のアベックは、列車に乗らず見送る姿勢をみせている。 もしや、この列車は Sirkeci に行かないのではないかと思い、発車する前に私は列車から飛び降りた。
路線図の前で悩んでいるアベックの近くにいた現地人風の紳士に声をかけようとしたところ、アベックの男の方に先を越された。 一方、女の方は私をみて、同郷かもしれぬ、と思ったらしく「China?」と尋ねてきた。 私は「No, Japan」と答えたが、まぁ、異邦でメトロに悩まされる東洋人同士という点で親近感をおぼえた。 この路線図、わかりませんよねぇ、などと話しつつ、私が「現在地はここだと思うんですけど」と B1 の Halkali を指すと、 中国マダムは「いや、こっちじゃないですかね、Airport」と、正しい現在位置を教えてくれた。 どうやら、現在位置を理解できずに路線図を誤解していたのは、私だけであったらしい。 私は中国マダムに丁重に礼を述べ「I can get there. Thank you very much!」と述べた。
空港線は 20 分に 1 本である。私が載ったのは 20 時 20 分頃に出発するものであった。 座席が埋まるぐらいには多数の乗客が乗っていた。 チンピラのような者はおらず、文明的な乗客ばかりであった。治安は良さそうである。 イスタンブールのメトロは、トルコ語に続けて英語でもアナウンスがなされる上、扉が閉まる際にはアラームが鳴るという親切仕様であった。
ところで、成田空港のチェックインカウンターでみかけたトルコ人らしき Turkish Airlines の男性スタッフは、髯が薄かった。 それに対し、メトロで見かけた現地人男性らしき乗客は、ほぼ例外なく立派な髯を蓄えている。 おそらく、髯は男性らしさの象徴、という概念は現代トルコにおいても通用しており、日本勤務の男性スタッフは、日本文化に合わせた風貌を整えているのではないか。 もしそうであるならば、たいへん奥ゆかしいことである。 個人的には、日本で勤務・生活するに際してもトルコ風の容貌で構わないと思うのだが、近年の排外主義的傾向が強い日本においては、それは難しいのかもしれぬ。 もしそうであるならば、日本にとって恥ずべきことである。
私は終点の Gayrettepe で降り、M2 線に乗り換えた。 空港線 (M11) を降りた時点で、M2 乗り換えはこちら、という案内があるので、それに沿って歩けばよい。 ただし、日本の地下鉄のような改札内で乗り継ぐ方式ではなく、一度改札を出てから数百メートル歩かねばならぬ。 しかも、途中から「M2 はこちら」の案内が消失するようなのであるが、まぁ、旅慣れた諸君であれば雰囲気で何とかなるであろう。
M2 の車内では、アコーディオンを演奏しながらチップをねだる親子らしき 3-4 人の集団に遭遇した。 子供は 5-6 歳ぐらいであろうか、幼児である。アコーディオンの演奏は、あまり上手であるようには感じられなかった。 こうした行為がトルコにおいてどのように認知されているのかは知らぬ。 一方、後からやってきた男女のアベックは、ギターに合わせて歌い、なかなかの美声であった。 ある乗客の男はたいへん上機嫌になり、チップを渡していた。
車内で路線図を改めて確認したところ、私は金角湾を越えて、いわゆる旧市街に入り、Vezneciler Ist. U で T1 線に乗り換えて Topkapi に向かうことになる。 T1 はトラムとのことである。
私は Vezneciler Ist. U の駅で降りて地上に出た。 駅近くにはレストランだけでなくテイクアウト可能な軽食屋があり、たいへん惹かれたが、いかんせん時間が既に遅い。 きっとホテル近くにも店はあるだろうと思い、何も買わなかった。 早くホテルに向かおうとしたのだが、困った。トラムらしきものが、影も形もみあたらないのである。 既に時刻は 21 時を過ぎている。これ以上、移動に時間をかけたくない。 私はやむなく、駅近くのタクシー乗り場で運転手にホテルの名前や地図を印刷した紙をみせ「Can I go to this hotel?」と声をかけた。
このあたりのタクシーはメーター制ではないのか、乗るときに価格交渉が必要なようである。 運転手氏はスマートフォンで目的地の場所を調べ、500 リラでよいか?と訊いてきた。 空港でみた表示によれば、空港から市街地までが 2400 リラ程度であるらしいから、少し高いような気はするが、明らかな暴利とはいえぬ。 まぁ、よかろう、と思い、私は乗車した。 日本の感覚で当たり前にシートベルトを締めたのだが、もしかすると、この地ではシートベルトは着用しないのが普通であるのかもしれぬ。
タクシーはスマートフォンが示す場所に到着したのだが、それらしきホテルはみえない。 場所が違うのではないか、と思ったが、この状況で運転手氏と喧嘩したくないので、私は 500 リラを払って降車した。 周辺を少し歩いてみたところ、私が道に不慣れな異邦人であることを見抜いた通りすがりの現地人紳士が声をかけてきた。 どうもトルコ人には、困っている旅行者を助けることを美徳とする風潮があるらしく、やたらと声をかけてくる親切な紳士が多い。 無論、中には詐欺師の類もいるであろうから気を抜いてはいけないのだが、トルコ人に親切と声かけの性質があることは間違いなかろう。 私が「このホテルに向かっているのです」と示すと、その紳士は「ちょっと遠いぞ」と反応し、 バスで途中までいってそこから歩くか、それともタクシー呼ぶか?と述べた。 私は、ここまで 500 リラも払ってタクシーで来たので、再度タクシーを呼ぶことを躊躇した。 まぁ、歩いてみますよ、と言うと、紳士はこの道を行って、ロータリーを左だぞ、と道を丁寧に教えて去っていった。
私は少し歩いてみたのだが、どうも道が違うような気がする。 バスに乗ろうと思ったのだが、バス停の路線図をみても現在位置がわからない。 そこでバスを待っていた紳士に声をかけて Topkapi までバスで行き、そこからホテルまで歩こうとおもうのです、と述べた。 すると紳士は丁寧にもバスを調べてくれて、87 系統に乗って 5 個目のバス停で降り、そこから歩くことになる、と教えてくれた。 料金はクレジットカードでいけますかね?と訊ねると、大丈夫、とのことであった。 紳士は、私とは別のバスに乗って去っていった。
87 系統のバスを待とうかと思ったが、不安になった。 紳士がみせてくれた地図によれば、バス停を降りてからしばらく歩く必要があるらしい。 この夜遅く、本当に正しい道を安全に歩けるだろうか。 私は諦めてタクシーを拾うことにしたのだが、どうもタクシーの拾い方がわからない。 道行くタクシーを止めて大丈夫なのだろうか。ぼったくりタクシーにつかまらないだろうか。 そこで道行く紳士にタクシーの拾い方を訊ねようとしたのだが、どうも、この紳士は全く英語がわからないらしい。 それなのに、英語で尋ねる私に応えようとしてくれる底なしの紳士である。 そこに、通りすがりの喫煙者紳士も加わって、そのうちタクシーが通るだろうから、それを止めれば良い、と教えてくれた。
私は、トルコ式のタクシー呼び止め法を知らないのだが、こういうのはとにかく、乗りたい意志さえ伝われば充分なのである。 タクシーが見えたら手を挙げ、減速したら「そこに止まってくれ」というように地面を指せば、だいたい大丈夫である。 運転手氏に「このホテル、行けますかね?」と訊ねると、よろしい、とのことである。 How much? と訊くと、three hundred と言っているように聞こえるが、はっきり聞き取れない。 おそらく、この運転手氏は英語が不得手である。そこで指を折りながら 100, 200, 300 と数えて、300 リラで話がまとまった。 この運転手氏は、私をキチンとホテルの玄関前まで連れて行ってくれた。 手元に 200 リラ紙幣しかなかったので、400 リラを渡し、Thank you very much. と述べた。
このホテルは、飛行機の乗継が 23 時間以上あるために、Turkish Airlines が無料で確保してくれたものである。 交通アクセスは悪いが、キチンとしたホテルである。 ただし、近くにレストランの類はないようである。 ホテルのカフェは、デザートが 550 リラするような価格設定なので、気軽に食事に入るような店ではない。 私は、メトロを降りた時点で食料と水を確保しなかったことを後悔した。
本日の食事は、機内食のみである。 手元にはペットボトル半分ほどの水しかない。
本日は 7 時 30 分頃に目が覚めた。朝食は 7 時から 10 時 30 分まで、とのことなので、着替えてからゆっくりと地下に下りた。 ビュッフェ形式であり、パンと、サラミソーセジと、ジャガイモと、ホウレン草と、スクランブルエッグと、昨日の機内食で出たヤキソバ風の麺を食べた。 デザートに焼き菓子も食べ、オレンジジュースとリンゴジュースと水を飲んだ。 私は、生野菜サラダはあまり好きではない。野菜ジュースがあれば、なお良かった。
昨日書き忘れたことを追記しておこう。 結局、ホテルに着いたのは 22 時を過ぎた頃であった。 ホテルは 24 時間、レセプションに人がいるようであり、このような遅い到着でも特に問題はなかった。 宿泊する分には特に問題を感じないので、諸君がイスタンブールで乗継する際にはお勧めできる。 ただし、昨日書いたように、交通アクセスはかなり悪いので、タクシーで往来するべきであろう。 念のためホテルのスタッフに確認したが「ここには公共交通機関は来ていない」と言っていた。 ホテル名は Uranus Istanbul Topkapi である。 なお Topkapi の最後の i は非常に弱い u のように発音するようであり、カタカナで書けばトプカプが近い。
イスタンブールには、おせっかい紳士がいる。 私は昨日、メトロ M2 線に乗る際に 100 リラのチャージを行った。 これはチケットマシーンを英語表示で使用すれば一人でできるのだが、機械の反応が悪く、クレジットカードの読み取りに苦戦した。 すると、近くにいたおせっかい紳士がやってきて、いくらチャージするのだ、などと聴きながら素早く装置を操作してくれた。 しかし、あまりに速くて具体的にどう操作しているのか追いきれないし、画面をトルコ語表示で操作するものだから、 本当に 100 リラのチャージになっているのか、わからない。 私は言われるままにクレジットカードを読み取らせるしかなく、不安であった。 たぶん、この紳士は親切のつもりなのだろうが、むしろ迷惑なのでやめてほしい。 やるなら、わかるように説明してほしいところである。 これに類する紳士は空港駅でもみかけた。
先ほど確認したところでは、VISA カードの為替レートでは 1 リラが 3.7 円程度であるらしい。 空港での円からリラへの交換レートも概ね同程度であったが、リラから円は 1 リラ 1.8 円程度であったように記憶している。 成田空港では、それぞれ 6.0 円、1.5 円程度であった。 つまり、日本でリラを入手するのは手数料が高いが、トルコで外貨をリラに替えるのは実質手数料無料に近い。 これに対しリラを外貨に替えるのはかなり手数料が高い、ということになる。 従って、既にリラを現金で持っている場合、支払いをクレジットカードで行うのがレート的に得ということはなく、 むしろリラを使い切ることに専念した方がよかろう。
現在、イスタンブール時間 15:10、イスタンブール空港で待機中である。 イスタンブール 17:10 発、ウィーン行き TL1887 に搭乗予定である。 空港内では、市中に比して物価が 5 倍ないしそれ以上のようである。 おそらく、昨今のトルコの厳しい経済情勢を反映し、取れるところから最大限、外貨を毟り取ろうという国家戦略なのだと思われる。 たとえばイスタンブール市中では 500 mL のペットボトルの水は 15 リラないし 20 リラ、日本円で 60-80 円程度であるが、空港内では 2 ユーロ、380 円ほどである。 トルコが誇る美味なる菓子、Baklava は、市中ではバクラヴァマイスターが作った本物が 1 kg あたり 600 リラ程度で売られていたように思うが、空港内では 100 ないし 120 ユーロほどである。 空港内外では物資の移動が厳しく制限されているために、空港内では資本主義の原理に従って高値でも商売が成立する、という仕組みは理解できるが、 私は共産主義者であるから、こういう経済様式を好まない。 外国人から搾り取る必要があるなら、空港利用料などの形で徴収するべきである。
さて、話は今朝に戻る。 ホテルをチェックアウトする際、レセプションの係員に「Galata Bridge まで行きたいのだが、タクシーを呼んでもらえるだろうか」と訊ねてみた。 すると彼は、ここを出て右に 5 分も歩けばトラムの駅がありますよ、と教えてくれた。 トラムで 5 駅乗ると Galata Bridge ですよ、とのことで、親切にも降りるべき駅の名を紙に書いて渡してくれた。 なお Galata Bridge というのは金角湾に架けられている大きな橋の一つであり、人気の釣りスポットでもある。観光スポットとして有名なのかどうかは、知らぬ。 ともあれ、ホテル近くからトラムに乗れるらしいのだが、昨日、別のスタッフから「近くに公共交通機関はない」と教えられたのとは全く話が異なる。 こういう現象には日本ではあまり遭遇しないし、生真面目な諸君の中にはフンガイする者もいるかもしれないが、こういう変化を喜べる心のゆとりを持っておいた方が、世界を楽しめるであろう。 ついでにいえば、ホテルのロビーには自由に飲める水とクッキーのようなスナックが置かれていた。 昨日のチェックインの時には見落としていたようであるし、チェックインの際にスタッフ氏も教えてくれなかった。 これを知っていれば、昨晩、空腹をおぼえながら眠りにつく必要はなかった。
チェックアウトを済ませ、私はスタッフ氏に教えられたトラム駅に向かった。 いささか狭い道で、人通りは少なく夜は暗そうであり、昨晩のような遅い時間帯に通行することは憚られる。 もし諸君が Uranus Istanbul Topkapi ホテルに夜遅く到着する場合は、トラムで行くのではなく、タクシーを使うことが安全と思われる。 タクシー乗車の際には、キチンと正しい場所で降車できるよう、大きく表示されたみやすい地図を運転手氏に示すべきであえることは、いうまでもない。
トラムは空港からの地下鉄と同じ IC カードで乗車できるし、チャージに使うマシーンも同じものである。 私は 200 リラを現金でチャージした。 改札機に IC カードをしっかりと押し当てて認証されたら回転式のバーを動かして通過する。 この乗り方は地下鉄と同じなので、言語を知らぬ我々異邦人であっても何の問題もなくイスタンブール市中を動き回ることができる。
路線図をみると、スタッフ氏が教えてくれた「5 駅」というのは正しくないことがわかった。 彼は、トラムと地下鉄の乗り換え駅だけを数えて 5 駅と言ったようであるが、乗り換えのない駅も含めれば、もう少し駅の数がある。 また、私はトラムの Topkapi 駅がホテルの最寄だと思っていたのだが、実際にはその一つ西側の、名前をよく覚えていないが AOY というような駅が最寄であった。
私は未だトルコ語の地名に詳しくないので恐縮であるが、トラムが Grand Bazaar に停車した時、大勢の警察官が集まっているのがみえた。 目立つベストを着た群集もおり、どうやらデモか集会が行われているようであった。 これは面白そうだ、と思い、私は予定を変更して Grand Bagitizaar で下車した。 デモ隊は何かシュプレヒコールを上げていたが、トルコ語を理解しない私は彼らが何を主張しているのか、全くわからなかった。 彼らのベストには Egitim sen と書かれていた。 これを書いている現在、空港の Wifi にアクセスできないため、Egitim sen とは何であるのか調べることができない。 空港の Wifi を使用するのには、何か手続きが必要であるらしく、また Turkish Airlines の乗客は手続きなしで Wifi を使えることになっているらしいのだが、うまく動かない。
デモ隊を少し見学したる後、私はトラムの線路に沿って大通りを東に歩き始めた、つもりであった。 特に何か目的があるわけではないが、こうした異邦の街を歩くのはそれ自体が楽しいものであるから、飛行機の時間になるまで、金角湾でも眺めながら時を過ごそうと思ったのである。 少し歩いたところで、やや大きな通りとの交差点に出た。 これを左折すれば北上することになり、やがて金角湾に出るであろう、と考えた私は、現在位置をよく把握しないまま、左折した。 しばらく歩くと、メトロの駅があった。 はて、こんなところに駅はあっただろうか、と思いつつ、私は地下に降りた。 この駅では、メトロ M1A, M1B, M2, トラム T6, Marmaray などの乗り換えができる大きな駅のようである。 現在路線図を確認できないのであるが、どうやら M2 の南端の駅であるらしい。 おかしなことである。 私はホテル前からトラム T1 で東に向かい、Grand Bazaar で下車し、そこから北に歩いたはずである。 ところが M2 終点のこの駅は、トラム T1 よりも南側に位置しているのである。 どうやら知らぬうちに私は空間跳躍を行ったのかもしれない。 が、たぶん、実際のところは、私は Grand Bazaar から東に行くつもりで間違って西に行き、そこから北上するつもりで南下したのであろう。 本日は曇天で太陽がみえなかったために、方角を誤ったものと考えられる。 私は M2 線に 2 駅乗って、金角湾まで行くことにした。
M2 には、トルコ語表記は失念したが、金角湾という名の駅がある。 これは金角湾に架けられた橋の上にある駅であり、まさに金角湾をみわたせる場所である。 メトロの線路の下に歩行者用通路もある。東のガラタ橋、西アタテュルク橋に挟まれた位置にある。 特に深い考えもなしに、この金角湾駅で下車したのであるが、あいにく私は高所恐怖症である。 狭い歩行者用の橋は海面からそれなりの高さにあり、僅かに揺れる。 恐怖をおぼえつつ、私は南に向かって歩いた。恐怖に負けぬよう、頭をカラッポにして、ただ無心で歩いた。
橋を無事に渡り終えた私は、ガラタ橋に向かった。 これは目視できる場所にあり、金角湾沿いに歩くだけであるから、さすがに方向を誤ることはない。 途中、多数の野良猫に遭遇した。 イスタンブールには野良猫が多く、餌付けされているらしい。 猫を哀願しているのかもしれぬが、近年では、こうした野良猫の死亡率が非常に高いことが知られるようになっており、 はたして動物愛護の観点からいって適切な扱いなのか、疑問はある。 おそらくトルコは、こうした倫理観の点において、EU よりも何十年か遅れているのではないか。
ガラタ橋の上には多数の釣り人がいた。 ガラタ橋の南側は、橋の下部が飲食店街になっており、高級そうなレストランが並んでいる。 よく知らぬのだが、焼き鯖をパンに挟んで食べるのがイスタンブール名物ということになっているらしく、 ここのレストランでは 250 リラで焼き鯖サンドが提供されている。 しかし私の認識では、焼き鯖サンドはこうした高級店で食べるべきものではなく、夕刻になって街の随所に出現する屋台で買って立ち食いするような庶民的な軽食である。 たぶん、何も知らぬ観光客がこうした店で高い焼き鯖サンドを食べるのであろうが、そういう諸君はイスタンブールの街を全く分かっていないと言わざるをえない。 なおガラタ橋の北半分は船舶が通行するために、橋の上に上がって高い所を通行しなければならない。 とはいえ、この橋は幅が非常に広いので、高所恐怖症の私であっても問題なく渡ることができる。
ガラタ橋の北側に達した私は、そろそろ空港に向かおうかと考えた。 あいにく、ガラタ橋北端の近くにはメトロ駅はないが、トラム T1 の駅はある。 このトラムで南下して、M2 に乗り換えようかと思ったところ、メトロはこちら、という案内表示がみられた。 駅までの距離は示されていなかったが、徒歩圏内、という意味であろう図が示されていたので、私はその方向、つまり西に向かって歩くことにした。
ガラタ橋北端から西方向、つまり金角湾の北岸は、たぶん、観光客が往来する地区ではない。 地元客向けであろう水道屋や便器屋、工具屋などが並んでいる。 歩道は凸凹が著しく、あまりよく整備されていない。 私はトートバッグ一つという軽装で歩き回っているので問題ないのだが、大きなキャリーケースを引いて歩き回る諸君には、この道を通るのはお勧めしない。 この道の南側に、チキンピラフを食べさせる屋台があった。 白い米のピラフに、鶏肉が載っているものである。トルコ語で何と呼ばれるのであったか、よく覚えていないので、仮にチキンピラフと呼ぶ。 私が信じるところでは、イスタンブールの屋台のチキンピラフは、世界で最も美味な料理の一つである。 おそらく当地の庶民が食べるものであり、観光客向けのレストランでも提供されているのかどうかは知らぬ。 諸君がイスタンブールに赴かれた際には、ぜひチキンピラフの屋台を探して堪能されよ。 私は、今はウィーンへの道を急ぐところであるのでピラフをただ眺めただけで通過した。 また一週間後にイスタンブールに来る予定であるので、その時にムシャムシャと食べる所存である。
ウィーン時間 2026 年 3 月 3 日 21 時、ウィーン市内のホテルにて記す。
イスタンブールに乞食は少ないが、全くいないわけではない。 左下肢に何らかの腫瘤性病変を抱えているらしき乞食をみかけた。
先ほど、イスタンブール空港で書き忘れたことを追記しておこう。 まず Grand Bazaar でみかけたデモについてであるが、Egitim sen は教師をはじめとする教育労働者による労働組合であるらしい。 Turkish Minute によると 先日、17 歳の高校生がイスタンブールの学校内で教師を刺殺する事件があり、安全対策などが不充分であることなどに抗議して 複数の労働組合が一日のストライキを行ったようである。 多数の警察官、日本風に言えば機動隊のような人々が出動していたが、デモはたいへん平和的に秩序をもって遂行されていた。
金角湾のことをトルコ語では Halic と呼ぶ。正しくは c の下にヒゲがつくのだが、今は入力できないので c で代用する。 Halic は入り江を意味する普通名詞が固有名詞化したものであるらしい。 英語で Golden Horn, 日本語では金角湾と呼ぶが、これはトルコ語由来の名称ではないらしい。 メトロ M2 の金角湾上にある駅の名も、Halic である。
ガラタ橋の下に並ぶレストランの前を通過するとき、客引きの店員から何度も声をかけられた。 ある客引きの男は、Hello, などと私に呼びかけたのだが、私が軽く No, とだけ言って首を振り通り過ぎようとすると、後ろから Hey, とか ニィハオなどと呼びかけた。 私は、ふん、素人め、と内心で嘲笑しつつ、歩き去った。 私の立ち居振る舞いはどうも日本人的であるらしく、欧州の観光地などでレストランに入ると、しばしば こんにちは、と声をかけられたり、日本語のメニューを示されたりする。 理屈はわからないのだが、彼らには中国人と日本人の区別がついているのである。 それに比べると、私に対しニィハオなどと呼びかけたあの男は、レストラン店員としての水準が低いと言わざるをえない。
さて、金角湾の北岸を西に歩いたところから話を続けよう。 しばらく歩くと、メトロ M2 の線路がみえた。 これに沿って北上するのか、と思ったのだが、目の前に Halic 駅という表示があった。 私が立っていたのは金角湾北岸であるが、金角湾の中ほどあるいはやや北寄りの位置に Halic の停車場があるので、もうここは駅の入口ということらしい。 私は朝から歩き回って少し疲れていたので、一つ北側の駅まで歩く気にはならず、恐怖と戦いながら Halic 駅の停車場まで歩くことにした。 実際に歩いてみて気づいたのだが、Halic の改札口から北岸に行くのと南岸に行くのでは、前者の方がかなり距離が短いように思われる。 もし諸君が高所恐怖症であるのに誤って Halic で下車してしまった場合には、北岸に向かって歩くことをお勧めする。
Halic の線路上を野良猫が歩いていた。
少し待つと、M2 の列車がやってきた。 どうやら長い編成であるのに短い編成のつもりで誤った位置で停車してしまったようで、大幅な停車位置調整が行われた。 私は Gayrettepe まで乗車した。 途中、四人組の音楽家が現れ、質の高い演奏を披露していた。
Gayrettepe では M2 から空港線 (M11) に乗り換えた。 この乗り換えは地下通路で完結するのだが、途中、誤って地上に出てしまい、引き返した。 地下通路には売店がいくつも並んでいる。そのうち一つで 500 mL の水を購入した。20 リラである。
トルコはイスラム教徒が多い国であるが、政教分離は徹底されており、信仰の表し方にも個人差が大きい。 わかりやすいのは女性であって、スカーフも着用しない現地人女性も多いが、スカーフのみ髪に巻いている者や、全身黒ずくめで目だけを出しているニカブ姿の女性も散見される。 Gayrettepe の地下通路の隅で、スカーフを外して髪をまとめ直している女性をみかけた。 私の認識では、イスラム女性が髪を隠す場合、それは「女の髪は男共にとって魅力的にみえるのだから、それを公衆の面前で露わにすることはふしだらである」という観念に基づいている。 その場合、公衆の面前でスカーフを外して巻き直すのは、卑猥な行動ということにならないだろうか。 下品な例えであるが、日本の感覚でいえば服を脱いでブラジャーの位置を修正するような行為に相当するのではないだろうか。 このあたりについて、トルコ人がどのような感性を持っているのか、よくわからぬ。
空港線への乗り換え途上で、日本語を話す男女のアベックに遭遇した。
空港駅に着き、地上に出た。空港の建物には Ramadan Mubarak と書かれた装飾がなされていた。 うっかり忘れていたが、現在はラマダンの最中であり、イスラム教徒は日中断食しているのである。 昨日、遅い時間帯であるにも関わらずイスタンブールの街中の飲食店が賑やかであったのは、ひょっとするとラマダンだからかもしれぬ。 私は完全にラマダンを失念していたので、日中に平然と現地人の前で水を飲んでいたが、不躾であったように思われる。 もっとも、イスタンブールのような観光地では、ラマダンの日中に営業しているレストランも多く、あまり気にされていないかもしれない。
イスタンブール空港については、他に特筆すべきことはない。
オーストリアの入国手続きは、つつがなく済んだ。
ウィーンの空港から市中心部までは鉄道で移動できるらしい、ということは事前に知っていた。 市中心部への nonstop 列車のチケットマシーンが随所に置かれており、これで買えばよいのだろうか、と思案していたところ、初老の男に声をかけられた。 Do you speak English? Yes. Could you help me? Yes, if possible. Where are you from? Japan. Konnichiwa. といったやり取りの後に、男が言うには荷物等を全て失ってしまい困っている、市街へ移動するために 10 ユーロか 20 ユーロを都合してくれないか、とのことである。 私はウカツにも、一瞬だけ、詳しい事情を訊いて、航空会社のカウンターを教えてやろうかと思ってしまったが、すぐに気が付いた。 これは、単なる乞食行為である。 本当の旅客が、空港で通行人に金を無心することなど、ありえない。 私は以前、スイスのベルンの鉄道駅とデンマークのコペンハーゲン中央駅で、この種の乞食に遭遇したことがあるが、今回のウィーンで 3 回目ということになる。 私は単に No. と言って、その場を立ち去った。 男は Don't you help me? などと喚いていたが、こういう嘘つきを相手にしてはならぬ。身の安全にだけ注意して、立ち去るのが賢明である。 だいたい、日本人はカモにしやすいので、わざわざ Konnnichiwa などという単語を使っているのであろう。
ウィーン市街中央部には City Airport Train (CAT) が便利である。 これは空港と市街中央の直通 nonstop 便である。 私のホテルは Landstrasse の近くにあるのだが、この CAT に乗ってよいのかわからなかったため、CAT チケット売り場の係員に声をかけた。 私はこのホテルに行きたいのだが、Landstrasse の近くにあるらしい。 と述べると、係員は我々の列車 1 本でいけますよ、と教えてくれた。 なお、私はドイツ語に疎いので Landstrasse をランドストラッセのように発音したが、ラントシュトラーセに近いのが正しいようである。 チケットは片道 15 ユーロ、往復 25 ユーロで、往復は 30 日間有効とのことである。 私は往復チケットを現金で購入した。 係員氏は少しの日本語を理解するらしく、乗り場はそこを降りて san ですよ、と教えてくれた。 私は san の意味がわからず excuse me? と問うたところ、三番乗り場のことであったらしい。Three ではなく、敢えて san と言ったのである。 私は礼を述べて乗り場に向かった。
Excuse me で思い出したが、覚えておくべきトルコ語の一つに pardon がある。綴りが正しいかどうかは知らぬ。 英語の pardon とほぼ同じように聞こえるし、意味も概ね同じのようである。 トルコ人はこの語を列車の車内やエスカレーターなどで「すみません、ちょっと通してください」というような意味で使うことが多いようである。 なおエスカレーターは右側に立ち、左側は歩く人のために空けておくのが作法であるらしい。 日本では最近になってようやく、この片側を空けることで無意味に時間当たりの輸送能力を下げる、という悪しき習慣が改められつつあるが、 イスタンブールでは未だ「片側空けがマナー」のようである。
ECR 2026 の会場である Austria Center Vienna にて記す。現地時間 11:50、セッションの谷間である。
本日は 6 時に起床し、昨日スーパーマーケットで買っておいたサンドイッチを食べた。 ホテルを出たのは 6:40 頃であったと思う。 会場までは迷わずに歩けば 5 km 弱のようなので、徒歩圏内である。 8 時開始のセッションに参加するつもりで、歩いた。 ホテルからまずウィーン中央駅の方向に向かい、駅の手前で北上するとドナウ運河に出る。運河を越えてまっすぐ進むとロータリーに至るので、 そこから北東に進んだドナウ河の中洲に、会場がある。
道を歩いていると、しばしば Einbahn という標識にしばしば遭遇する。 最初は鉄道のことかと思ったが、どうやらこれは一方通行を意味するらしいことに途中で気が付いた。
最初の障害は、運河を越えることであった。 地図によれば、大通りを運河に向かって進めば橋があり、ただ直進すればよいはずである。 ところが私が進んだ道は運河で行き止まりになっており、橋がない。 左方には鉄道の線路がみえる。 昨日、空港で CAT の切符を購入した際に係員が地図もくれたので、それを開いて確認した。 どうやら鉄道の西側に橋があるらしい。私は、そちらに向かった。
運河さえ越えれば、ドナウ島に向かうのは簡単である。 ロータリーの近くに鉄道駅があり、そこから会場に向かう大通りは非常にわかりやすかった。
次の問題はドナウ河の中洲、ドナウ島に着いてからである。 会場の Austria Center Vienna がみあたらないのである。 地図によれば、私が渡った橋の北方に会場があるはずなのだが、それらしき建物がみえない。 子供達の通学時間帯であるらしく、親子らしき姿がたくさんみられた。 迷走するうちに、付近の案内地図をみつけた。どうやら私は会場を通り過ぎていたらしい。 改めて南東方向に進むと、Austria Center Vienna と書かれた建物がみえた。 が、道がわからない。 迷子になっていると、父と子らしき通学途中の二人連れの父が英語で声をかけてくれた。 私は建物を指さし、あの Austrica Center Vienna に行きたいのだ、というと、父は別の方向を示し、こちらから行けるよ、と教えてくれた。 私が礼を述べて速足で去ろうとすると、さらに言葉を続けて、その道を行って、教会の手前で左折だよ、と教えてくれた。 かくして私は、無事に会場に到着することができた。
会場は広く、豪華で、無駄に金がかかっているようにみえる。 学術的な話をするのに、このような華美な会場が本当に必要だろうか。 私は、このように過剰な装飾を伴う学会運営のあり方に常々疑問を抱いている。
会場に着いたのは 7:50 頃であったが、会場内で迷子になったため、私が目指していた Research Stage 6 の部屋にたどり着いたのは 8:15 頃であった。 部屋は広く、概算では聴衆用の椅子が 162 人分、そのうち 112 人分は机つきであり、質問用マイクは 56 個であった。 私は、椅子の高さの調節方法がわからなかった。
全体として概ね発表技術は高くなく、スライドは busy であり、字は小さく、淡々と緩急のない演説をするので、実にわかりにくいものが多かった。 私が参加したのは肺の画像数値解析のセッションであり、自分の専門分野に近そうだと思ったのだが、あまり面白い発表はみられなかった。
10 時からは EPOS pulse のセッションに参加した。 これはポスター発表であるが、決められた時間に発表者が 6 分間のプレゼンテーションを行う、というものである。 Radiomics についての発表があるはずなので参加したのだが、発表者が現れなかった。
午後は EPOS pulse のセッションに参加した。 どうやら、この学会は、企業展示や教育セッションに力が入っているが、研究発表やポスターセッションにはあまり力が入っていないようである。 EPOS pulse は、発表者の関係者を除けば多くても 3-4 人の聴衆しかいないのが大半であるし、 予定された時刻に現れない発表者や、発表時間の変更もしばしば行われるのが実情である。 発表者も、ポスターを表示して原稿を読むだけの、聴衆に何かを伝えようという意思を欠く者が少なくない。
15 時過ぎまで EPOS pulse に参加した後、私は会場を後にして市中心部に戻った。 朝と同じく、徒歩である。 ドナウ河はなかなかの大河であるが、ここはまだ上流なので、それほど川幅も広くない。 なお会場の Austria Center Vienna は、ドナウ島にあるのかと思っていたが、実は河の東岸に位置するようである。
ドナウ河を渡り、しばらく歩いてロータリーを過ぎ、ドナウ運河を渡るところまでは問題なかった。 しかし、ここからウィーン中央駅までがわかりにくい。 朝と同じ道を歩いたつもりが、どうも方角を間違えたようで、よく知らぬ教会の前に出てしまった。 こういう時は、道を引き返すのが無難である。 運河まで戻って地図を広げていると、親切なマダムが Can I help you? と声をかけてくれた。 ドイツ語ではなく英語で話しかけるあたり、私がドイツ語を理解せぬ異邦人らしい雰囲気を放っていたものとみえる。 昨日、空港でもらった地図には、ウィーンの広域地図と、観光地の拡大地図が掲載されているのだが、このとき私は観光地の拡大地図を眺めていた。 というのも、運河をわたる鉄道をメトロ U1 線だと思い、拡大地図の「U1 が運河を越えるあたり」の近くに自分がいると思っていたからである。 しかし実際には、この鉄道はオーストリア国鉄でありメトロとは別の線路である。 私が地図を示して Where are we now? と問うたところ、マダムは「この地図の範囲外、このあたりだよ」と枠外の位置を示してくれた。 Oh, I see... I am going to Mitte station. と言うと、マダムは、この道をまっすぐ行けば huge building があるので、そこが駅だよ、と教えてくれた。 私は礼を述べ、その道をしばらく進んだ。が、駅がみえないまま、運河の分岐点にさしかかった。 どうやら道を間違えたらしい。 とはいえ、「運河の分岐点」というわかりやすい指標があるのだから、もう後は簡単である。 私は駅の方向を正しく推定し、ついに中央駅まで戻ることができた。
駅前のスーパーマーケットで 1.5 L の水とツナサンドイッチを購入した。クレジットカード決済で 690 円であった。 ホテルに戻り、近くに魅力的なレストランがないかと調べたところ、どうやら徒歩 15 分ほどの場所にウクライナ料理店があるらしい。 が、今日は会場まで迷子になりながら 15 km ほど歩いたような気がするので、いささか疲れている。 私は昨日と同じケバブ屋に行き Kalb のドネルケバブプレートを購入した。12 ユーロほどである。 なお後で調べたところによれば、Kalb とは子牛のことであるらしい。 生野菜サラダと、米の上に牛肉のドネルケバブが載せられており、美味であった。 サンドイッチは、明日の朝食のつもりで買ったのではあるが、ケバブだけでは足りないような気がしたので、先に食べてしまった。
話が前後するが、昨日、ウィーン空港から市街地へ移動した時の話である。 City Airport Train (CAT) の駅は空港に直結されており、改札は存在しない、ヨーロッパの伝統的な方式である。 ただし乗車後に職員が検札に来るので、無賃乗車は防がれているようである。 私のチケットには QR コードが印刷されており、職員はこれを携帯端末で読み込んでいた。 私の他の乗客は空港職員が多かったようであり、彼らは職員証のようなものを提示していた。 たぶん、通勤の職員は無料で乗車できるのであろう。
CAT は空港と Wien Mitte をノンストップで往復している。 いうまでもなく Wien は日本語でウィーン、英語で Vienna と表現される、オーストリアの首都である。 Mitte という語は、調べてはいないが英語でいう Mid, つまり中央を意味するドイツ語であろう。 つまり Wien Mitte はウィーン中央駅、ということだと思われる。 私のホテルは Landstrasse にあるのだが、ウィーン中央駅はまさにこの Landstrasse 地区にある。 私はまだオーストリア国鉄の中央駅に行っていないのだが、CAT はたぶん比較的新しい鉄道であり、 CAT の中央駅は市街地に後から建設されたためであろう、ショッピングモール直結で便利な位置にあるものの、 ヨーロッパ各都市の中央駅でしばしばみられるような立派な駅舎はみあたらない。
地図によれば、中央駅は Landstrasse 通りに面しており、この通りを東に進めば我がホテルである。 問題は、どこが Landstrasse 通りなのか、ということである。 既に日は沈んでいるため、方角を定めることが容易ではない。 私は中央駅付近を右往左往して地理を観察し、ついに、Landstrasse 通りが思いのほか狭く、自動車が基本的に通行しない道であることを発見した。 ホテルにチェックインした際、客室清掃を毎日行うか、隔日にするかを問われた。 ここで毎日の清掃を依頼するのは素人もしくは成金である。知欧派であるならば隔日を選択すべきことは言うまでもない。
ホテルに荷物を置いた後、中央駅直結の Wien Mitte the Malal に入っている Interspar なるスーパーマーケットを訪れた。 水と食料を確保するためである。 海外旅行に際し、上等なレストランで現地風の料理を食さねばならぬと思っている人が世の中にはいるようだが、そのような決まりはない。 旅行の目的に応じて、食べたいものを食べればよく、気分次第で現地のケバブを食べたり、インド料理店に入ったり、スーパーマーケットのサンドイッチや Sushi を食べてもよいのである。 店に入った私は、まず水の確保を試みた。 1.5 L のペットボトルの水が売られており、Voeslauer と書かれていた。後で調べたところによれば、これはオーストリアの大手ミネラルウォーター会社であるらしい。 問題は、Voeslauer のミネラルウォーターにも ohne, mild, prickelnd といった種類があるらしいことである。一体、これは何を表しているのか。 私は当初、水の硬度、つまり金属成分の量を表しているのかと思い、軟水であろう mild を買おうとした。 そして翌日に持ち歩くために 500 mL のボトルも購入しようとした時、ohne の下に still と書かれていることに気が付いた。 これは 1.5 L ボトルには記載されておらず、500 mL ボトルのみにみられた。 still というのは炭酸なし、という意味の英語である。 欧州ではミネラルウォーターに炭酸を加えることが広く行われており、つまり、prickelnd とは炭酸ありのことを、mild は微炭酸を意味するのであろう。 そこで私は mild のボトルを棚に戻し、代わりに ohne を籠に入れた。 ところで、このスーパーマーケットでは水を 1 本単位で売っているのだが、棚には 10 本程度のパックで陳列されている。 これは 10 本セットということではなく、単に店に納品された単位をそのまま陳列棚に置いてあるだけのようである。 どうやら客は、パックを破って必要なだけ取り出して購入するらしい。 日本の感覚でいえば、陳列棚のパックを破って中身を取り出すというのは極めて野蛮で非文化的な行為のように感じられるのだが、 よく考えると、店員がイチイチと納品パックから個々の商品を取り出す手間を費やす必要はなく、客が自分でやれば済むことである。 水 1.5 L が 0.99 ユーロ、500 mL が 0.89 ユーロであった。 後でレシートをみて知ったのであるが、ペットボトル 1 本あたり 0.25 ユーロの pfand einweg が課されていた。 後で調べたところによると、これはペットボトルのデポジット制度であり、オーストリアでは 2025 年から導入されているらしい。 3 月 4 日の朝、街を歩いているとゴミ箱を漁りペットボトルを拾っている男がいたが、たぶん、そういうことなのであろう。
私は他に、オレンジジュース 0.7 L を 3.99 ユーロ、ツナサンドイッチ 2.29 ユーロ、チーズと野菜か何かを挟んだバゲット 2.49 ユーロを買った。 私は、チーズを挟んだパンが好きではない。ホットサンドなら別であるが。それにもかかわらずチーズを挟んだバゲットを買ったことに深い理由はない。 これらの他に、フライドチキンのようなものを挟んだサンドイッチも買った。閉店間際のせいか 50% 引きで 3.49 ユーロである。 今レシートを確認すると、これは Schweinschnitzel sesm と書かれている。sesm の意味はよくわからないが、schwein は豚であり、schweinschnitzel はいわばドイツ風トンカツである。 チキンではなく、豚であったらしい。 これらのサンドイッチは夕食と翌日の朝食のつもりである。 この店には有人レジと無人レジがあり、無人レジは英語にも対応しているので、ドイツ語を読むことも話すこともできない諸君も安心して買い物できる。 私は全部で 15.78 ユーロをクレジットカードで支払った。
なお、日本の感覚では、スーパーマーケットのサンドイッチは大抵、安い材料と多量の添加物を用いて値段を抑えていることが多いように思うのだが、 このスーパーマーケットのサンドイッチは充分に美味であった。 欧州では日本とは異なり、食品に厳密な定義が定められているので、schweinschnitzel と称するために使ってよい材料や調理方法が法令で定められており、 結果として一定の品質が担保されているものと思われる。 日本では「醤油」として売られている調味料の主成分が大豆ではなかったり、アルコールが添加されていることも珍しくない。 日本の伝統を大事に、などと主張する人々が近年政治的勢力を伸ばしているが、そうした人々であっても食品を巡る日本文化の破壊に無関心であることは皮肉である。
スーパーマーケットを出ると、道の向かい側にあるケバブスタンドに気がついた。 私は、Kalb のドネルサンドイッチ 6.9 ユーロを買った。 この日の夕食は、このケバブサンドイッチと前述の Schweinshnitzel とし、ツナサンドイッチとチーズバゲットは翌日朝食にした。 なお、朝食としてはツナサンドイッチのみで充分であり、バゲットは余計であった。 ケバブサンドイッチはボリュームたっぷりで、たいへん美味であった。 それ故に、先に書いたように、この翌日も同じ店でケバブプレートを買って食べたのである。
本日は、学会で是非とも参加したいセッションがなかったため、ウィーンの街中を散策した。 今回の欧州旅行には同伴者がいるのだが、日本での所用のため私より二日遅れて本日、ウィーン入りした。 同行者も Turkish Airlines で、羽田発イスタンブール経由で 8:55 ウィーン着の手筈であった。 私は電話も wifi 端末も持たずに旅行しているのだが、同行者とは e-mail で密に連絡をとり、City Airport Train (CAT) の Wien Mitte 駅まで迎えに行った。 同行者は 10:07 空港発の便に乗り、10:23 頃に Wien Mitte に到着した。 CAT の Wien Mitte 駅はショッピングモールに直結されているのだが、その出口部分にはソファつきの待合所が設けられており、我々はそこで無事に合流することができた。
ところで先日、私は Wien Mitte をウィーン中央駅と表現したが、これは誤りであった。 中央駅は Hauptbahnhof であり、Mitte とは別の駅であるらしい。 私はドイツで中央駅が hbf と表現されることは知っていたが、オーストリアでも同じであるとは知らなかったのである。
我々は荷物を一旦ホテルに置いて、近くのカフェで食事を摂った。 丸パンのサンドイッチ 2 個と 500 mL の水で、2,300 円ほどである。この時はクレジットカードの円建てで支払ったが、 たぶん、換算レートが 196 円/ユーロ程度と悪かったため、ユーロ建てで払った方が安かった。 サンドイッチは、特にパンの部分が美味であったが、なかなかの高級サンドイッチであるが、だいたい、これが当地の相場のようである。 近年、米国ニューヨークやハワイの飲食店では価格が高騰しているという話を聞く。 これを円安の影響と説明する人がいるが、それは正しくない。円安は、数年前に比してせいぜい 40% 程度の変化であるから、 ニューヨークのレストラン価格の高騰を説明することはできない。 一方、ウィーンのカフェの価格については、円安と換算レートの悪さで理解できる程度である。 円安の影響を除いて考えれば、ウィーンと東京でカフェ価格に大きな違いはないように思われる。
当初予定では私は午後から学会参加するつもりであったが、予定変更してウィーンの街中を散策した。 ホテルの近く、Mitte 駅とは反対方向に Istanbul restaurant というオーストリア風料理やトルコ風料理を食べさせる店があった。 さらに進むと、市場があり、野菜や果物の店や、ヴルストつまりソーセージの店などが並んでいた。 このあたりには公園があり、学生風の若者などが多数、食事していた。
我々のホテルがある地区から西方には、観光客が多数訪れる地区があるらしい。 我々はそちらに向かって歩いてみることにした。 トラムの通る大通りから行くこともできるが、我々はいささか細い道を通ってみることにした。 この細い道であったか、別の場所であったか記憶が定かではないが、大麻の絵が描かれた店があった。 同様の店はホテルから学会会場に歩く途中にもある。 オーストリアにおいて嗜好用大麻が合法であるのか、これらが脱法的大麻であるのか、それとも実は大麻ではないのかは、知らぬ。
日本も含め、近年では世界的に嗜好用大麻を合法化すべし、という意見が聞かれるが、私は大麻を合法化すべきではないと考える。 大麻推進派の中には「煙草よりも害が少ない」と主張する者がいるが、そもそも煙草のような極めて有害な薬物を合法化するべきではない。 歴史的経緯として、煙草が登場した当初はその有害性が認知されていなかったために嗜好品として広まってしまい、取り締まることが困難になってしまっただけである。 日本は禁煙活動の普及に成功し、喫煙者が年々減っていることは世界に誇ってよい。 だいたいヨーロッパではどこの国でも喫煙者が非常に多く、ここウィーンでも町中至る所に喫煙所があり、歩き煙草や吸殻の路上投棄も多い。 ヨーロッパの喫煙事情は日本よりも 30-40 年ほど遅れているとみてよい。 煙草に比して害が少ないことから大麻を容認するのではなく、むしろ煙草を「大麻より有害」として禁止すべきである。 現状、大麻が違法であることを知りつつも、その快楽を求めて不正に大麻成分を摂取し、そのために大麻を密売買する者が少なくない。 そのようなリスクを冒してまで大麻を摂取しようとすること自体が、その依存性の高さを示しているのではないか。
薬物関連でいうと、医療用麻薬についても大いに誤解がある。 以前、鎮痛目的で使う分にはフェンタニルなどの医療用麻薬に依存性はない、とする主張がみられた。 しかしそのような主張に明確な医学的根拠はなく、キチンとした薬理学の教科書には、そのような記載はみられない。 鎮痛目的の医療用麻薬にも依存性はあり、周術期に厳格な制御の下に投与される限りにおいては有意な依存性が生じにくい、というだけのことであろう。
本日は 7:30 に起床し、Schnitzel のサンドイッチを食べてホテルを出た。 Schnitzel というのは、薄肉のカツである。 Mitte 駅からオーストリア国鉄で一駅、Praterstern は一昨日に歩いた「ロータリー」の場所である。 そこでメトロ U1 線に乗り換えてドナウ河を越え、会場に至る。 会場には Vienna International Centre なる建物があり、そこに入っていく人が多かったが、私が向かうのは Austria Center Vienna である。 会場に着いたのは 9 時過ぎであったように思う。 会場には林檎や洋梨が山積みされた箱があり、参加者は自由にこれを取って食べてよいらしい。 中には飲料水で洗って食べる人もいるが、そのまま食べるのが通常である。 ヨーロッパでは慢性的に水不足だという事情を考えれば、林檎を洗うために飲料水を使うのは推奨されないかもしれぬ。
現在、学会第 3 日の昼休憩中である。 学会会場にはフードコートやレストランもあるが、値段が不合理に高いように感じられるので、行こうとは思わない。 会場前にはホットドッグなどを販売する屋台があり、6 ユーロほどである。後でおやつに食べに行くかもしれない。 一昨日の昼食は林檎 1 個、本日の昼食は洋梨 1 個、いずれも会場で提供されているものを食べた。
私の発表は学会第 3 日の 11 時からであった。 この学会では、通常の口頭発表の他に EPOS と呼ばれるポスター発表が 4541 件、そのうち 622 件には 6 分間のカジュアルな口頭発表の機会 (EPOS pulse) が与えられる。 私は、この枠であった。 私のセッションは開始時に聴衆が 20 人ほど、私の次のルーマニアからの発表が終わった時点で 10 人ほどが退出した。
European Congress of Radiology は、かなり大規模な企業展を伴っている他、学生や若手向けの教育セッションも多く、 必ずしも研究発表が中心というわけではない。 EPOS も、研究ではなく教育枠での発表も多く、学生、大学院生や、国際学会デビュー戦のような発表者が多いようである。 EPOS pulse の聴衆も少なく、発表者の友人や関係者を除くと 3-4 人程度、ということが珍しくない。 それを思えば私の発表の際に 20 人もいたことは (私の発表を聴くのが目的であったかどうかはともかく) 恵まれた状況であったといえよう。
率直なところ、この学会は「国際学会で発表した」という実績作りに使われている印象が強く、 本当に学術的な情報交換や発表の機会としてはあまり機能していないように感じられる。 はたして高い旅費を費やしてまで参加する意義があるかどうかは、慎重に検討すべきであろう。 そもそも、既に書いたかどうか覚えていないが、会場には今回の学会のための盛大な装飾がなされ、 莫大な費用が投入されているようであるが、それらは学術的情報交換の場に必要なものであろうか。 虚飾にまみれた内容の乏しい学会との印象を受ける。
さて、話を昨日のウィーン散策に戻そう。 観光客の多い地区を歩いていると、何やら華美な彫刻を伴う伝統のありそうな建物が多数みられた。 これらがいつ頃建てられた元々何の建物であるのか、私には教養が乏しくわからなかった。 ある高級そうなホテルでは、正面入口にいくつかの国旗が掲げられており、その中には日本やサウジアラビアの国旗もあったが、 いずれも生地が薄く、汚れており、たいへん美しくなかった。 特にサウジアラビアについては、宗教的な観点から侮辱的に解釈される恐れがあるように思われる。
我々は Albertina museum なる場所に至ったが、これが何であるかは、知らぬ。
オーストリアの市中から、ひときわ高い、カトリック風の尖塔がみえる。 これが何の建築物であるかはよくわからなかったが、教会か何かであろう、と思い、我々はそちらに向かった。 途中、何かよくわからない彫刻のまわりに人が群がっている箇所があり、たぶん、何か有名な彫像なのだと思われる。 この場所で日本語を話す若い二人組の女が、何やらはしゃいでいた。 良く知らないのだが、ウィーンというのは、若い日本の女にとって魅力的な海外旅行先なのだろうか。
昨日のウィーン散策の話の続きである。 大聖堂の周りは観光客であふれていた。 いささか露出の高い服装ではしゃぎ、ポーズをとって写真撮影している若者が多数みられた。 はたして、これが宗教施設たる大聖堂を背景にして行う適切な振舞であるといえるのか。 かれらがキリスト教徒であるならば信仰のあり方としていかがなものかと思うし、 キリスト教徒でないならば他宗教に対する敬意の点において問題があるのではないか。
大聖堂内には一般人でも無料で入れるが、カタコンベや尖塔などを見学するには一箇所あたり 8 ユーロの入場料が必要とのことである。 私は宗教施設を観光資源化することに違和感をおぼえるし、ぜひにとも見学したいと思うものではないので、立ち入らなかった。 同行者は、聖堂内の物販店で絵葉書を買っていた。 この物販店では、私と同じく ECR の参加者で、前日のセッションで顔を合わせていた韓国の二名と偶然に遭遇した。 先方も私を覚えているような反応であったが、場所が場所だけに、会釈だけして通り過ぎた。
この大聖堂の前には地下鉄へと続く階段やエスカレーターがある。 このエスカレーターから大聖堂をみあげる構図が、なかなか面白いらしい、という事前情報を同行者は得ていた。 我々は、一体、どこにそのエスカレーターがあるのかと少しばかり探したが、ついにそれを発見した。 大聖堂のある広場の片隅にある地下鉄出口がそれであった。 我々は一度階段を降り、すぐに昇りエスカレーターに乗った。 この昇りエスカレーターに乗っている最中に、ある ECR 参加者が階段を降りていくのをみた。 ECR は企業展が盛大であることは以前に述べた通りであるが、企業から参加者への贈り物も多い。 ミネラルウォーターやコーヒーなどを無償で提供してくれる他、たとえば Philips 社は金色の水筒を配布していた。 この水筒には ECR 2026 および Philips と書かれており、基本的には会場の給水所で水を入れることを想定しているものと思われる。 私は、こうした物品を多少なりとも利害関係のある営利企業から供与されることを快く思わないので、この種のコーヒーや物品は極力受け取らないようにしている。 ともあれ、その Philips の金の水筒を持った男が階段を降りていくのを、私はみつけたのである。 エスカレーターを昇りきった我々は、地下鉄に乗るために、再度階段を降りた。 すると、Philips の金の水筒の男は、階段を降りきったところでクルリと向きを変え、エスカレーターに乗った。 私と同行者は「我々と同じことをしていらっしゃる」と、笑った。
我々は地下鉄で Landstrasse に戻った。 小腹が空いていたので、ホテル近くの公園の前で営業しているヴルストスタンドに行き、ホットドッグを注文した。6.9 ユーロであった。 これはフランスパンの長軸方向に穴を空け、そこにヴルスト、つまりソーセージを挿し込んで再度焼く、というものである。 日本でみかけるような、パンに切れ目を入れるものとは異なり、食べている最中にヴルストがずれにくく、常にパンの中央にヴルストが留まる設計である。 我々はこれを、公園のベンチに座って食べた。たいへんに美味であった。
昨晩は早く就寝したので、今日は 6 時に起きた。
一昨日、3 月 5 日の午後の話をしよう。 ホットドッグを食べ終えた我々は、ウィーン中央駅に向かった。 特に用があるわけではないのだが、当初私は Mitte 駅を中央駅と誤解して「仁和寺にある法師」のような状態になっていたので、本物をみておこうと思ったのである。 中央駅は Mitte 駅から国鉄 (OBB) で 3 駅である。 ウィーンの交通チケットは 80 分 3.2 ユーロであるから、中央駅での滞在が短ければ 1 回チケットで往復できるであろう。 我々が乗った時、列車は 4 分ほど遅れて運航されていたようであった。 国鉄車内には「次は○○駅」というような表示がなされていたが、一駅分、ずれて示されていた。
本当のウィーン中央駅は、なるほど、Mitte 駅よりもいくぶん大きく、プラットホームも 12 番線ぐらいまであった。 ヨーロッパ諸都市の中央駅にあるような立派な駅舎はなく、眺めてもあまり面白くない。 これが、ウィーン中央駅の歴史が浅いためなのか、古い駅舎が何らかの理由で取り壊されたのかは、知らぬ。 駅には Schnitzel、つまり薄肉の唐揚げのようなものを食べさせる軽食スタンドがあった。
我々は Mitte 駅に戻り、スーパーマーケットで水、ヨーグルト、バナナ、ブドウジュース、サンドイッチを買った。 荷物をホテルに置いて、近くの istanbul restaurant という料理店で夕食を摂った。 名前からするとトルコ系のようであり、実際にトルコ風料理も提供しているのだが、Schnitzel をはじめとするオーストリア風の料理も提供している。 私は、名前は忘れたが羊肉と野菜の煮込みにライスが添えられた料理を、同行者は Schnitzel を食べた。 サラダと水をつけて、二人で 41 ユーロであった。 サラダは量が多く、水は 500 mL のペットボトル 2 本であった。
昨日、3 月 5 日の朝は 8 時頃にホテルを出て、鉄道で学会会場に向かった。 Mitte 駅から Praterstern まで OBB で行き、そこから U-Bahn の U1 線で会場前に至る。 この Praterstern で乗り換える際に、なるほど、と思う事件があった。 私が U1 のプラットホームに降りると、そこではかなりの人数が列車を待っていた。 ある婦人が、私にドイツ語で何かを話しかけてきた。私が sorry, I don't understand... と言うと、婦人は sorry と言って、他の人に話しかけた。 たぶん、列車の行先等を訊ねていたのであろう。 彼女はたぶん、たまたま近くにいた私に話しかけたのであろう。 ここで問いたいのは、たとえば諸君が見知らぬ日本の街で道を尋ねるとき、 たまたま近くにいたアフリカ系やヨーロッパ系の顔だちをした人物に、日本語で話しかけるか、という問題である。 何を言いたいかというと、彼女は人種差別をしなかった、ということである。 他人の皮膚の色や顔だちをみて、その文化的背景を決めつけることは、典型的な人種差別である。 この種の差別を行う人は、日本には非常に多い。 以前、日本には、日本語で質問をしたポーランド人記者に対し、下手な英語で問い返した外務大臣がいた。 相手が日本語を話しているのに、外国人は英語、という決めつけで発言したのである。 一般人でも肌の色から、外国出身であると決めつける発想は珍しくなかろう。 それに比して件の婦人は、私がドイツ語を理解するかどうか、当地の交通事情に精通しているかどうかについて 何らの決めつけを行うことなく、当たり前に私に対しドイツ語で話しかけたのである。 自分は人種差別などしない、と思いながら無意識に差別をする人が、日本には多いのではないか。
昨日の話を続けよう。 午前中に行われた私の発表については既に書いたので、繰り返さない。 午前のセッションが終わった後、会場近くの駅前にあるホットドッグスタンドで Hot Dog mit Bratwurst を 5.9 ユーロで購入した。 このホットドックは前日に街中で食べたものとは異なり、日本でも一般的な、パンに切れ目を入れてソーセージを挟むものであった。 どちらかといえば、前日に食べたものの方が美味であった。 午後のセッションにも出席したが、特に面白い話はなかった。
同伴者と合流したのは 16:00 頃である。学会会場最寄駅のパン屋の前で、無事に落ち合うことができた。 我々は Stephansplatz のあたりを散歩することにした。 よくわからないのだが、この区域には比較的庶民的な区域と、何やら高級なブランド店が並んでいる区域とがあるらしい。 ある場所では、ローマ時代、ルネッサンス期、および 19 世紀の建物の遺構が混在して出土し、展示されていた。 付近にはカトリックの教会があり、中を見学できるようであった。 我々が入ると、ミサが行われていた。我々は邪魔にならぬよう、そのまま退出した。 あのような状況において、ミサの様子を喜んで写真や動画に撮る観光客が何人かいたが、彼らの精神は卑しいと思う。 街中に、何やら理解の及ばぬ塔があった。 同伴者の調べによると、これはかつてペストの流行終息を記念して建てられた塔であるという。 確かに、基部にはペストを象徴しているのであろう悪魔のようなものを天使が退治している様子が描かれている。 しかし、その上には皇帝であろうか、金色の冠や剣を持つ者の姿も表現されており、全体としてあまり謙虚ではなく、何かを誇示しているような印象を受けた。
高級なエリアに隣接して、おそらく過去のハプスブルクの連中が住んでいた豪邸などがあるらしい。詳しいことは知らぬ。 皇帝が住んでいたような住居の一部に公衆トイレがあり、使用料は 1 ユーロであった。普通のトイレであった。 我々はこれらの区画をゆっくり歩いて抜けて、U-Bahn の U3 でホテルに戻った。 途中、1.5 L の水をスーパーマーケットで購入した。
当初予定では、ホテルの南方にあるウクライナ料理店で夕食を摂る予定であった。 しかし実際に行こうとすると、途中から妙に暗く人通りの乏しい道に入らねばならぬらしい。 これはよろしくない、と判断した我々は、道を引き返し、昨日と同じ istanbul restaurant に入った。 私は子牛の doner kebab を、同伴者は iskender kebab を、注文した。 飲み物はどうするか、と問われたので水を、と言ったのだが、結局、水は運ばれてこなかった。どういう行き違いがあったのかは知らぬ。 実際のところ、こうしたレストランでは 500 mL の水が 3 ユーロほどで売られており、実に高い。 我々は、何か飲み物を注文しなければならないような気がしたために注文しただけであって、是非とも水が欲しかったわけではないので、特に何も言わなかった。 この場合に水の代金を請求されるかどうかはわからなかったが、まぁ、どちらでも構うまい、と我々は考えていたのだが、結局、請求されなかった。 ケバブは美味であった。
今朝は朝食を摂らずに、8:30 頃にホテルを出た。 ホテルの近くにある U-Bahn U3 線の駅から乗車し、Landstrasse で OBB に乗り換え、Praterstern で U-Bahn U1 線に乗り継いで会場に向かった。 9:30 から参加したのは Beyond text mining: large language models as diagnostic and prognostic tools in radiology というセッションであった。 要するに GPT などの既存の言語モデルでどこまでできるか試してみた、というような発表が多く、あまり面白くなかった。 科学技術というよりも、臨床家がいろいろ試してみた、という報告である。 この学会における発表は、このセッションに限らず、目的がはっきりしない、いろいろ試してみた、という報告が多いように思われる。 一応「Purpose」は述べているのだが、医療や医学の観点から何を目指しているか曖昧なまま、なんとなく「研究」をやっているのではないか。 基礎医学、基礎科学であるならば、単なる興味・関心で研究するので構わない、というより、それが本来あるべき姿なのだろうが、 この学会で扱うのはそのような基礎学問ではなく、臨床医学が中心である。 彼らが何を目指しているのか、よくわからない。
昼前には EPOS pulse のセッションに参加した。発表者は、ある大学の准教授ということであったが、原稿を読んでいるだけであり、面白くなかった。
昼食は林檎 1 個で済ませた。
午後は Hot Topic: AI in paediatric radiology のセッションに参加した。 午前のセッションもそうであるが、口頭発表であっても当日欠席する発表者が散見され、たいへん迷惑である。 アジアの特定の国からの発表者に欠席が多い印象を受ける。 学会のプログラムに乗ってしまえば「発表実績」として自身の経歴に書ける (実際には発表しなくても「証拠」を出せる) ということなのだろう。
今回の学会では、いわゆる AI (Artificial Intelligence) に焦点が当てられていたが、技術的なことを理解しないまま「便利なもの」として使うことばかり考える発表者が多いように思われた。 例えば、午前のセッションでイタリアの Azzaro 氏は「Radiomics による画像解析にはプログラミングが必要であり、一般的な放射線科医の守備範囲を越える。 そこで ChatGPT などを使えば、プログラミングを習得しなくても radiomics 解析ができるのではないか?」という内容の報告をした。 要するに radiomics を、内容を理解しないままブラックボックスとして扱おうとしているのである。 だいたい、基本的な radiomics 解析技術の習得自体は、医学の習得に比して、大した困難を伴うものでもなかろう。 また、ChatGPT では定型的な解析はできるかもしれないが、学術研究に必要な非定型的解析が可能とは思われぬ。 一体、Azzaro 氏は何を目指しているのか。
また、深層学習を用いた CT の低被曝化についても、不可解な発表がみられた。 CT は X 線を使うので、当然、患者は被曝する。 被曝量 (吸収線量) を減らそうとすると、放射線計測上、統計誤差が概ね吸収線量の平方根に反比例して増加し、つまりノイズが大きくなる。 深層学習をうまく使えば、このノイズを減らすことができる、というのは、放射線医学の分野で近年注目されている技法である。 ここで技術をよくわかっていない者は「深層学習によって、低線量 CT でも高画質の画像が得られる」と誤解する。 しかし実際には、この手法は「それらしい高画質 CT を生成している」だけであるから、 「低画質 CT でノイズに埋もれて検出できなかった病変」は、深層学習でノイズ除去しても隠れたままである。 つまりノイズ除去は、低画質 CT を人間にとってみやすくするするだけであって、当然ながら情報量を増やす魔法の壺ではない。 これは昨秋にオーストラリアで開催された IUPESM World Congress で誰かが強調していた話なのであるが、 この当然のことを理解していない医者が少なくないのではないか。
「自分たちは臨床家であるから、技術的な詳細を理解している必要はない」と言い訳する者は少なくないであろうが、 技術を理解せずに、どうやって技術を適切に使えるのか。 自動車の F1 ドライバーが自動車の仕組みを当然に悉知しているのと同じように、 医者は医療技術を詳細に理解していることが当然に求められるのではないか。 その技術を活用した機器を実際に作り、管理し、操作するのは技術者に任せるにしても、技術自体を理解しなくてよいということにはならない。
この ECR の学会は、全体として「ただやってみた」というだけの発表が多く、学術的意義が乏しいように思われる。 会場には豪奢な装飾が施され、さも大層な学会であるかのように装っているが、虚飾である。 来年度以降も参加するかどうかは、慎重に検討したい。
14 時前に会場を後にした私は、Stephansplatz で同行者と合流した。 駅名は忘れたが地下鉄で 2 駅移動し、ホットドッグを食べた。 パンに穴を空けてヴルストを差し込む方式であり、美味であった。 近くの国会議事堂前で集会が行われていたようであるが、後で調べたところによると、 これは女性の日に関連するデモの一部であったらしい。
我々はウィーン大学を見学した。 入口付近には、ウィーン大学ゆかりの偉大な科学者の写真が紹介されていた。 その中にはローレンツという名があり、私はこれをローレンツ変換で知られる物理学者と誤解したが、 後で確認したところによれば別人の動物学者 Konrad Lorenz であった。 Erwin Schroedinger の名もあり、これは「シュレディンガーの猫」で知られる、あのシュレディンガーである。 その場には我々の他に大学生らしき男女二人組もおり、女の方がこれらの人々について英語で男に解説していた。 あの詳しさから想像するに、物理か化学を専門とする学生であろう。 大学内や大学周辺ですれ違った学生風の人々のうち、少なからぬ人数が英語を話していたことからすると、この大学では英語が準公用語になっているものと思われる。
ウィーン大学を出た後の話をしよう。 我々は Volksgarden、つまり市民公園を散歩した。多くの人々の憩いの場となっていた。 このとき、近くの路上でシュプレヒコールをあげるデモ隊の声がきこえた。 後で調べたところによれば これはイランに対する軍事攻撃に反対して在オーストリア米国大使館前で行われたデモのようである。
我々は Mitte 駅のスーパーマーケットでサンドイッチと、量り売りの Schnitzel および名も知らぬ肉料理、そして水とジュースを購入し、ホテルで食べた。
学会最終日は、会場に来る参加者も少なかったようである。 私は 8:30 頃にホテルを出発し、Mitte 駅から S-Bahn で Praterstern へ、そこから U-Bahn (U1) で会場に向かった。 9:30 からは「前立腺癌と AI」のセッションに参加した。 これは私の専門にかなり近い分野のセッションであるが、研究として興味深いものは特になかった。 先にも書いたが、この学会の発表は「やってみた」という具合のものが多く、技術的な工夫は乏しく、目的が曖昧な「研究」が多いように感じられた。 発表技術にも工夫が乏しく、字は小さすぎて読めず、発表者は原稿を読み上げるだけであり、聴衆に何かを伝えようとしているようには感じられず、何のために発表しているのかわからない。 ひょっとすると彼らは、履歴書の「研究経歴」欄を充実させることを目的に学会参加しているのではないか。
唯一、ほぅ、と思ったのはハンガリーの S. Totin の発表である。 これは PROSTATEx という有名な前立腺 MR 画像の公開データセットに対し 専門家が領域ごとのセグメンテーションを施したデータセット ProstateZones を発表するものであった。 このデータセットは前立腺 MR 画像の研究にあたり、たいへん有意義なものであり、私も使用している。 発表自体から何か新しく得るものがあったわけではないが、知っているデータセットの話だけに、印象に残った。
11:30 からは女性骨盤部癌のセッションに参加したが、こちらは特に書くべきこともない。
全体を通して、この学会は研究や発表の水準があまり高くない印象を受けた。 特に、深層学習などを用いた機械学習ソフトウェアの性能評価のような発表をするにあたり、 AI software という表現で済ませ、その内容に言及しない発表があまりに多かった。 諸君は患者に対する治療の話をする際に「鎮痛薬を投与した」「抗菌薬を投与した」というような表現をするのだろうか。 具体的な薬剤名か、せめて NSAID, オピオイド、セフェム系、キノロン系といった、作用機序に基づく分類に言及するのではないか。 医師の多くはコンピューター技術に疎く、機械学習の技術的な部分がわからない、という事情は理解できる。 しかし、そうした機械学習技術が放射線医学研究の重要な部分に組み込まれつつあるならば、諸君はそれを学び習得する必要があるのではないか。 それとも「薬理機序は医師の守備範囲を越える」と言って、薬剤の作用機序を無視して「医学研究」を行うのか。 病理医ならば (実際に自分でできるかどうかはともかく) 組織標本の作成方法を理解していなければならず、 放射線科医ならば CT や MRI の原理や画像再構成法を悉知していなければならないのと同様に、 機械学習を扱う医師ならば関連するコンピューター技術を習得している必要があるのではないか。 それを「医師の守備範囲外である」などとして無知なるままに済ませるのは怠慢である。
要するに彼らは、研究業績リストを豊かにすることには関心があっても、本当に医学を研究する意思はないのである。 学会で発表し、論文を書くことが重要なのであって、その研究の医学的意義、臨床的妥当性を本当に考えてはいないのである。 実質を伴わないのに形式ばかり整った学会に参加して満たされるのは、ただ虚栄心ばかりではないのか。
ついでに、この学会の人種差別的な部分にも言及しておこう。 今回の学会ではギリシア神話がマスコット的に使われており、会場にもいくつかのバリエーションのアテナ像などが設置されていた。 中には東洋風の武装をしたアテナ像もあったのだが、眼裂が極端に細く造られていた。 おそらく、アジア風、という注文を受けた制作者がステレオタイプに基づいて造形したのであろうが、これは典型的な人種差別である。 アジア人に対する差別については、差別する側もされる側も鈍感であることが多いために、こういう造形がまかり通ったものと思われる。 私は日記に原則として画像を載せない主義であるが、これは証拠写真が必要と思われるので例外的に掲載する。 東洋風 (全体) 東洋風 (頭部) 西洋風 (全体) 西洋風 (頭部)
なお、私が参加した口頭発表セッションについていえば、聴衆は 20 人から多いもので 100 人程度であるが、 それらのうち半数程度はスマートフォンをいじるなどしており、発表を聴いていない。 この聴衆の少なさは、上述のような研究発表の質の低さを他の人々も感じているためであろう。
医学界と企業の関係についても批判を加えておこう。 3 月 9 日付の朝日新聞の記事に東大病院の汚職事件「医学界全体の問題」 医師と企業の不適切な関係 というインタビュー記事があった。これは、いわゆる産学連携研究における不適切な利益相反について述べられたものであるが、追及が甘い。 今回の European Congress of Radiology にせよ、国内学会にせよ、医療関係企業から莫大な資金提供を受けて開催されているものと思われる。 学会会場では企業展が併催されることが多く、特に放射線分野では市場規模を反映して、大規模な展覧会が開催される。 今回の例でいえば、MRI などの機器を扱う Philips などの会社が広大なスペースを使い、大規模な展示を行っていた。 彼らは学会のスポンサーでもあり、学会を通じて医師や医学研究者に資金や便宜を供与しているだけでなく、 前述のようにコーヒーや水筒などの物品も供与している。 無論、これらの費用は最終的には患者等が負担する医療費や保険料に転嫁されている。 これらは、通常、論文発表などに際して申告すべき利益相反には含まれないであろうが、おそらく、社会一般の人は、企業と医師・医学研究者の間に そのような親密な関係があることを知らないのではないか。 産学連携は必ずしも否定されるべきとまではいえないが、研究の公正中立を脅かす恐れがあることから、不必要な金品の授受は控えるべきである。 たとえば学会開催についていえば、今回の ECR のような過剰な装飾、過大な会場使用を控えれば、スポンサーに頼らずに運営することも可能なのではないか。 医学の世界には、利益相反についての認識が甘い者が多すぎる。
3 月 8 日の学会終了後の話である。 私と同行者は Praterstern 駅のマクドナルド前で合流し、トラムに乗って Cafe Rafael という料理店を訪れた。 これは高級レストランの類ではなく、街中の、ごく普通のカフェである。 私は同行者に引率されて行ったので同店の正確な位置を把握していないが、後で調べたところによれば Kagelgasse にあるらしい。 我々は、ここで肉料理とペリメニを食べた。料理自体には全く文句はないが、サービスにはある種の疑念を抱いた。 私の認識した事実関係は以下の通りである。 店の親爺は、我々に対しにこやかに Where are you from? などと問い、我々が Japan と言うと、arigatougozaimasu であったか konnichiwa であったか、簡単な日本語を発した。 我々は料理の他に水を注文したが、親爺が運んできたのはラベルの剝がれかけた瓶に入った水であり、親爺は蓋を開けてグラスに水を注いでくれた。 オーストリアでは瓶のリサイクルないしリユースが一般的であるようだが、ラベルが剥がれかけているのは通常ではない。 親爺は我々を日本人と確認した上で水道水を高値で売りつけているのではないか、と我々は疑った。 無論、この水は 1 本 2.6 ユーロであったか 2.9 ユーロであったか、しっかりと有料である。 親爺は、食後にコーヒーはどうか、apfelstrudel はどうか、と執拗に勧めた。 私は apfelstrudel に興味はあったがまだウィーンで食べてはいなかったので、これを注文した。料理の味には文句はない。 会計は 2 人で 48.4 ユーロであった。 親爺は伝票を持ってきて「サービス料は含まれていない」と述べた。 どうやら、これは「サービス料はいらぬ」という意味ではなく「この金額の他にチップをよこせ」の意味であるらしい。 ウィーンではチップ文化が根付いている、というのが多数意見であるが、ウィーン式ではチップを含めた支払額を客側が伝える、というものであるらしく、 店側が明確に要求するのは一般的ではない。 だいたい端数切り上げ等で 5-10% 程度が相場とされているらしいが、サービスに不満がある場合などは、この限りではないという。 また、比較的少数意見ではあるが、このチップ文化に対する批判的意見もあるらしい。 我々は黙って 50.4 ユーロを提出した。釣りはなかった。
ロシア料理店を出た後、我々はウィーン医科大学を訪れた。附属病院はなかなか大規模であった。 病院前では 10 歳に満たないであろう女児姉妹であろうか、ペットボトルでフットボールをしていた。 将来のブンデスリーガーかもしれぬ。 ウィーンには喫煙者があふれているが、それは病院敷地内でも変わらず、また喫煙している患者も多数みかけられた。 禁煙や分煙については、たぶん、日本は世界最先進国であり、その点は誇ってよい。 大学は見学できなかった。
我々はトラムで Westbahnhof, つまり西鉄道駅に向かった。 途中、路上駐車している自動車とトラムが接触しそうになった。 自動車には運転手が乗っていたが、すぐ後ろには別の路上駐車車両があるため、動けない。 モタモタしている間に、一部の乗客はトラムを降りて行った。 我々は少し様子をみていたが、かなりの乗客が降りた時点で、我々も降りた。 その直後、トラムが少し後退し、自動車が移動し、トラムは何事もなかったのように出発した。 我々は、降りなければよかった、と笑いながら、近くのトラム乗り場に移動し、改めて Westbahnhof に向かった。 なお、この日は 24 時間の乗車券 10 ユーロを購入していたので、時間を気にする必要はなかった。
Westbahnhof に向かう途中で、別のトラブルが発生した。 どうやらトラムのポイント切り替えに障害が発生したものらしく、我々の乗った 5 系統が本来行かないはずの停留所に至った。 名前は忘れたが、U-Bahn U6 線の駅の近くのことである。 トラムは一旦、発車したが、駅舎をぐるりと一周して、また同じ停留所に止まった。ドイツ語で何かアナウンスがあったが、我々には理解できなかった。 我々の前に立って路線図を見上げていた若い女は、一旦着席したが、やがて降車していった。 我々も降車した。 すると、我々の後ろに座っていた乗客も、降車した。 我々は U6 線で Westbahnhof に移動した。
西鉄道駅には一部が損傷した Elizabeth 像があった。 この像は 1860 年に建てられたが、1945 年に損傷したという。 駅舎自体は新しいようであるが、これが戦争で損傷して新しくなったのか、別の理由で再建されたのかは、知らぬ。 またナチス時代に、オーストリアや周辺国から 10,000 人ほどのユダヤ人の子供を United Kingdom に脱出させた、 という逸話があるらしく、その記念像も建てられていた。 駅自体はそれほど大きなものではないが、Innsbruck 等に向かう国内線の他、ミュンヘンやシュトゥットガルトへ行く国際線もここから発車するようである。 駅内には子連れで英語を話す乞食が徘徊していた。 駅に隣接して IKEA があったが、日曜日のため休業していた。
夕食は Mitte 駅のスーパーマーケットで調達した。
最後に、我々が宿泊したホテルについて書いておこう。 これは Mitte 駅近くの Mercur Grand Hotel Biedermeier である。 基本的なサービスに不満はない。 ただ、一つだけ疑念があったのだが、濡れ衣かもしれないので、話半分で読んでいただきたい。 私はエピナスチン塩酸塩錠を常用している。今回の旅行にあたり、この錠剤 13 錠を持参していた。 ウィーンで 1 泊した後、私は未使用の錠剤 1 シート (10 錠) を机の上に置いて外出したと記憶している。 その日の晩、私は、エピナスチン錠のシートを発見できなかった。 私がどこかに落とした可能性も完全に否定はできないが、1 錠分だけ残っている飲みかけのシートは机の上に残っていた。 あの 10 錠のエピナスチンがどこに行ったのかは、知らぬ。
3 月 9 日に、我々はイスタンブールへと移動した。 7 時 7 分 Mitte 発の CAT で空港に移動した。 私はウィーン到着時に CAT の往復乗車券を購入していたのだが、うっかり、それをゴミと間違えてホテルで処分してしまったらしい。 やむなく、片道乗車券 15 ユーロを買いなおした。
ウィーンからイスタンブールへはブダペスト、ブカレストの近郊を通り 2 時間あまりの飛行である。 出発は 10:00 であるが、ウィーンとイスタンブールでは時差が 2 時間あるため、到着は 14 時過ぎである。 上空からみるオーストリアのドナウ沿岸地域には広い農地が広がっていたのに対しハンガリーでは農地の規模が小さかったように思われる。 これが何を反映しているのかよく知らないが、ハンガリーに比してオーストリアでは人件費が高いことが関係しているのだろうか。 雪を冠するカルパチア山脈やバルカン山脈が、よくみえた。 我が機は一度マルマラ海に出て、南側からイスタンブール空港に着陸した。
イスタンブール空港は広い。 我々は既に多額のリラを保有していたので、両替は行わなかった。 メトロ空港線から M2 へ乗り継ぎ、ガラタ塔の近くにある Karakoy で下車した。 ガラタ塔というのは、金角湾の北側であるガラタ地区に建てられた塔である。 ビザンツ帝国時代の 1348 年に監視塔として建てられ、オスマン帝国時代にも活用されたらしい。 このガラタ塔から南西に少し歩いたところが、我々の宿泊するホテルである。 ここは観光客も多く往来する地区ではあるが、道によっては細く暗く、人影が少ないため、日没後の通行は慎重になるべきところも多い。 我々は手ごろな飲食店を探したが、みあたらないため、Karakoy 駅近くのレストランに入った。 肉料理を二人で二皿、Manti と水 2 本で 1,690 リラであった。 Manti というのは、ロシアでいえばペリメニ、東アジアでいえば水餃子にあたるような、包み物である。 料理の味はよろしかったが、1 リラ 4 円換算でいえば日本円で 6,760 円相当の食事であったかというと、いささか疑問であった。 これはトルコにおける物価や食事の値段が高いというよりも、観光客から毟り取る経済体制なのであろう。
以前にも書いたが、私の信じるところによれば、イスタンブールの屋台で食べるチキンピラフは、世界で最も美味なる食事の一つである。 このチキンピラフは、観光客よりも、地元民の普段の食事として提供されるものである。 シンプルなピラフなら 50-70 リラ程度、鶏肉やケバブなどが乗っているバリエーションでは 150 リラ程度が通常であろう。 普段であれば、昼時には街中の随所にピラフ屋台が出現すると思われるが、現在はラマダンであり、 地元民が昼食を摂らないからであろう、ピラフ屋台は全くみかけない。 普段はピラフを食べさせる店も、ラマダン中は提供を中止しているらしく、我々が入ったとある店では、 メニューのピラフを求めようとしたところ「ラマダン中だから、ないよ」と言われた。 我々がピラフの存在を確認したのは、ガラタ橋の北端から西方のメトロ駅 Halic に向かう大通りの南側に位置する bufe である。 たぶん、当地では bufe というのは軽食屋の意味である。 この bufe では、鶏肉などが乗ったピラフを 150 リラで食べることができた。 客は地元民らしき者が多かった。 この店以外にも、地元民が出入りするような飲食店であれば、大抵、ピラフはメニューに乗っているので、ラマダンでなければピラフを食べること自体は容易であろう。 また、我々が本日トラム内から観測したところによれば、街中には pilavci もしくは pilavcisi と称する飲食店が存在し、これはピラフ屋のようである。 ただし、pilavci の多くはトラム沿いなどの観光客が多く出歩く区域ではなく、一本奥の通りなどに位置するようであり、 積極的に探さなければ遭遇することは困難である。 我々は現在までに、実際に pilavci に入ったことはない。 おそらく、イスタンブールの飲食店の多くは観光客に積極的にチキンピラフを食べさせようとはしない。 というのも、チキンピラフはイスタンブールが誇るべき美食であるものの、いかんせん、価格が安い。 飲食店としては、観光客には高価な食事を食べさせて高額な食費を支払わせようとするであろうから、もっと高価な食事をさせたがるものと思われる。 そのため、セットメニューにピラフが含まれることはあっても、ピラフ単品はメニューに乗っていないか、あくまでサイドメニューの位置づけになっているのではないか。
イスタンブールには Balkan Lokantasi というフランチャイズの飲食店が数軒、存在する。 これはバルカン料理の大衆食堂である。 ピラフをはじめとして、当地で一般的な料理を安価に提供している。 店に入ると、まずトレイを一枚とり、並べられている料理のそれをくれ、あれをくれ、と指しながら注文すれば、皿に取ってくれる。 欲求に応じて飲物やデザートも取ったら、レジで会計する。 後は好きな席について食べるだけである。 昔ながらの大学の学生食堂のようなスタイルを思えばよい。 なお、食べ終わった食器は、席に残して帰ればよく、係員が回収してくれる。 我々が行ったのは Sirkeci 駅の近くの店舗である。 肉の入った煮込み料理を 2 皿、鳥の中に米を詰めたもの、ピラフ、Baklava 3 個、水、Ayran (塩入り飲むヨーグルト) で 685 リラであった。 二人でたらふく食べて満腹になって 2760 円程度であるから、実に安い。いうまでもなく、美味である。 我々はラマダン中の日没直後に入店したので、他の客は「さぁ、食べるぞ」とばかりに何皿も食べていた。 諸君がイスタンブールを訪れた際に、高級料理店で浪費するという低俗な快楽に興味がないならば、ぜひ Balkan Lokantasi に行かれるとよい。
昨日、3 月 10 日は一日中、イスタンブールを観光した。 朝からホテル周りを出歩いたが、私はほぼ同行者に追従していたので、どこをどう歩いたのか理解していない。 金角湾のほとりのパン屋台で 1 個 20 リラのパンを買って食べた。朝食である。 我々は金角湾南岸を東に向かって歩いた。その先にアタテュルク像があるらしい、という情報を得ていたためである。
ムスタファ・ケマル・アタテュルクはトルコ共和国の建国の父と呼ばれる人物である。 元はオスマン帝国の将軍であったが、第一次大戦後にオスマン帝国とは別のアンカラ政府を樹立し、ついにトルコ共和国を成立させた。 オスマン帝国に対し反乱を起こしたというよりは、第一次大戦の戦勝国 (連合国) に対する抵抗活動を、オスマン帝国を無視して展開し、 実権を握り、やがてスルタンの位を廃して共和制移行を実現した、というべきであろう。 ムスタファ・ケマルは、国民主権、政教分離、女性参政権、アラビア文字からラテン文字への移行を含む言語改革、学校教育の普及、 一夫多妻制の廃止、太陽暦の採用、メートル法の導入などといった改革を進めた。 彼は独裁的立場を活用してこれらの急進的な変化を実現し、トルコを西欧諸国と比肩する大国に留まらせた。 その功績は全てのトルコ人が知っている。 ただし、ムスタファ・ケマルの改革は、トルコ共和国をトルコ人の国として確立させるものであった。 オスマン帝国は、トルコ人が中心となりつつも、多民族・多文化・他宗教・多言語の共存する多様性に富む帝国であった。 これをトルコ人の国に作り替えるということは、非トルコ人にとっては必ずしも歓迎されるものではなかった。 特にトルコに住むクルド人にとっては、トルコへの同化を求めるかのようなムスタファ・ケマルの政策は受け入れられないものであっただろう。 1923 年のトルコ共和国成立後、長年にわたりクルド人の一部は反トルコ武装闘争を展開してきた。 近年ではクルディスタン労働者党 (PKK) による武装闘争が目立っていたが、2025 年に PKK は解散を宣言した。 私自身は、トルコ共和国に好感を持っているが、クルド問題についてはクルド側を支持したい。 とはいえ、PKK が不法な武装闘争を展開していたのは事実であり、民間人殺害も行ったことを思えば、 PKK 協力者を日本等が難民として受け入れることを拒むのは適切である。 日本では「特定政党を支持したことでトルコ政府から弾圧されたクルド人」というような表現で自称クルド人難民を擁護する者がいるが、 PKK 関係者であれば難民として認定されないのは当然である。
さて、クルド問題を別にすれば、ムスタファ・ケマルはトルコの英雄と呼ぶべき人物である。 我々は彼に挨拶するために、アタテュルク像を訪れたのである。 この像のある広場にはイスタンブールの要所を地面に大きく描いた地図があるので、ぜひ諸君も訪れてみるとよい。 また、この広場はガラタ橋と同様に釣り人で溢れている。