2024/11/21 中島敦 『名人伝』

私がはじめて中島敦の 『名人伝』を読んだのは、 中学校だか高校だかの現代文の授業においてであった。 当時の私は現在にくらべて教養が著しく乏しかったので、この作品を 老荘的な観点から名人というものを描いたのである、と単純に理解していた。

『名人伝』の解釈について、特に紀昌を真の名人として解釈すべきか、 あるいは世間からもてはやされるだけの虚像と解釈すべきか、という点について、文学者が様々な見解を示している。 比較的新しいところでは 山口大学の郭玲玲の論文 ( 東アジア研究 11, 167-179 (2013).が詳しく議論している。 郭は、紀昌のいう「至射は射ることなし」が老荘的な観点でいう無為とは質的に異なることを指摘した。 「名人の一代記ではなく、寓意を込めた作品である」という郭の指摘を念頭に、改めて『名人伝』を読んだ。 すると、文章の構成に中島の意図が込められているように思われる点があった。それは次の箇所である。

ところが紀昌は一向にその要望に応えようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。 山に入る時に携えて行った楊幹麻筋の弓もどこかへ棄てて来た様子である。 そのわけを訊ねた一人に答えて、紀昌は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。 なるほどと、至極物分りのいい邯鄲の都人士はすぐに合点した。弓を執らざる弓の名人は彼等の誇となった。 紀昌が弓に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、紀昌の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。 名人の内に宿る射道の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、妖魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。 彼の家の近くに住む一商人はある夜紀昌の家の上空で、雲に乗った紀昌が珍しくも弓を手にして、 古の名人【げい】と養由基の二人を相手に腕比べをしているのを確かに見たと言い出した。 その時三名人の放った矢はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ参宿と天狼星との間に消去ったと。 紀昌の家に忍び入ろうとしたところ、 塀に足を掛けた途端に一道の殺気が森閑とした家の中から奔り出てまともに額を打ったので、 覚えず外に顛落したと白状した盗賊もある。 爾来、邪心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。

「至極物分かりのいい」邯鄲の人々は、紀昌の「至射は射ることなし」という言に納得し、 評判が高まり、その次に噂が広まったのである。 もし紀昌を天下一の弓の名人として描くなら、邯鄲の人々を「至極物分かりのいい」などと敢えて形容する必要はないし、 話の順番を入れ換えて

ところが紀昌は一向にその要望に応えようとしない。いや、弓さえ絶えて手に取ろうとしない。 山に入る時に携えて行った楊幹麻筋の弓もどこかへ棄てて来た様子である。 そのわけを訊ねた一人に答えて、紀昌は懶げに言った。至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなしと。
様々な噂が人々の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、紀昌の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ弓弦の音がする。 名人の内に宿る射道の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、妖魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。 彼の家の近くに住む一商人はある夜紀昌の家の上空で、雲に乗った紀昌が珍しくも弓を手にして、 古の名人【げい】と養由基の二人を相手に腕比べをしているのを確かに見たと言い出した。 その時三名人の放った矢はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ参宿と天狼星との間に消去ったと。 紀昌の家に忍び入ろうとしたところ、 塀に足を掛けた途端に一道の殺気が森閑とした家の中から奔り出てまともに額を打ったので、 覚えず外に顛落したと白状した盗賊もある。 爾来、邪心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
弓を執らざる弓の名人は彼等の誇となった。 紀昌が弓に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。

と、したほうが話の流れが自然になる。 敢えて「至極物分かりのいい邯鄲の人々」を出した点に、中島の意図が表れているとみるべきではないか。 このあたりについて、文学者がどのように議論しているのかは、知らぬ。


2024/11/18 アムステルダムにおけるイスラエル人襲撃

今月 7 日にアムステルダムで、フットボールの国際試合が行われ、 オランダのアヤックスとイスラエルのマッカビが対戦した。 朝日新聞の11 月 8 日11 月 9 日の記事、 読売新聞の11 月 8 日の記事などによると、 この試合の後に、イスラエル人サポーターに対する親パレスチナ勢力による集団暴行事件があったという。 これらの報道は、はなはだ不公正である。

日本の大手マスコミに比べると、BBC は幾分、ましである。 BBC Japan の記事 (原文 1, 原文 2) では、 この試合の前に重要な事件があったことを次のように報じている。

6日にはマッカビのイスラエル人サポーターがタクシーを襲い、パレスチナの旗を外壁からはぎとって燃やしたという。
(中略)
また、イスラエル人サポーターたちが花火を打ち上げたという報告もあった。 検証されていない動画には、エスカレーターを降りるファンたちが、反アラブのスローガンを唱えている様子が映っていた。

これを、もう少し詳しく報じているのが Newsweekである。 これによると

現地からの報道によると、親パレスチナ派はイスラエルのクラブとサポーターがアムステルダムに来ることに抗議するため、 11 月 7 日にデモを計画していた。 前日の 6 日夜、イスラエルのサポーターがパレスチナ国旗を燃やし、タクシーを破壊した。
(中略)
試合当日、イスラエル人サポーターがムスリムに対する侮蔑的、敵対的なフレーズを繰り返しながら行進した。 騎馬警官と機動隊が親パレスチナ派とイスラエル人サポーターの間に入り、衝突を防いだ。 しかし試合後、いくつかの場所で対立や衝突、襲撃事件が起きた。

とのことである。

BBC や Newsweek の記事が事実を適切に伝えているならば、これはイスラエル側が先に挑発し、 暴動を起こしたのであって、朝日や読売の記事から受ける印象とは大きく異なる。 なぜ日本のマスコミは、イスラエル人が受けた被害だけを報じ、イスラエル人が行った悪行を隠すのか。 ユダヤ人は「かわいそうな人達」だという決めつけ、 そして「かわいそうな人達を批判してはいけない」という遠慮が、あるのではないか。


2024/11/10 メタノールによる殺人事件

先月末、妻にメタノールを摂取させて殺害した疑いで起訴されていた吉田佳右氏に対し、 東京地方裁判所で懲役 16 年の判決が下された。 吉田氏については、朝日新聞は 10 月 30 日の記事で 「元大手製薬会社研究員」として報道しているが、 2022 年 9 月 16 日の逮捕時の記事では 「第一三共社員」としている。 吉田氏が、いつ、なぜ第一三共を退職したのかは、私は知らない。 なお読売新聞は今回の判決を報じる際にも 「第一三共の元研究員」としている。

報道されている範囲の情報から考えるに、今回の判決は不当であると私は考える。 吉田氏が犯人として疑わしいことや、他に疑わしい人物がいないことは、私も同意する。 朝日の記事に書かれているような「(吉田氏が犯人だとする考えに) 不合理なところはない」という判断も、妥当であろう。 吉田氏は実に疑わしい。

しかしながら「疑わしきは被告人の利益に」というのが刑事訴訟の鉄則である。 いくら疑わしくとも、確たる証拠がないならば、刑事罰を加えるべきではない。 「疑わしい」で処罰することを許してしまうと「魔術を使って人々を呪ったと疑われる女」を魔女として火炙りにしたり、 政治的に対立している相手に「収賄したという疑い」をかけて失脚させたり、 あるいは政府に批判的な言動をする人物を「破壊活動を行った疑い」で投獄したり、という社会が実現してしまう。 実際、歴史的には、そういう社会・時代が長く続いていた。 それは不健全である、そういう刑罰の乱用は社会全体を不幸にする、という考えから、 現代では「疑わしい」という理由での刑罰を禁じる法秩序が確立された。

吉田氏の件でいえば、確かに、吉田氏には妻を殺害する動機があり、殺害することが可能であり、 メタノールを入手することも可能であった。 しかし吉田氏が妻を殺害したという証拠はなく、メタノールを入手したという証拠もなく、 あくまで「吉田氏が殺したとしても矛盾はない」という範疇に留まる。 矛盾がない、では、本来、有罪とする根拠にならないはずである。 そもそも、検察が吉田氏を起訴したこと自体が無理筋であった。 疑わしきを罰する決定を下した裁判員諸君も、社会や法に対する見識が乏しいのではないか。 自分は法律の専門家ではないから、というのは、言い訳にならない。 法とは何か、刑罰とは何か、ということは社会人としての基礎的な教養の範疇であり、 中学校や高等学校でも教育されているはずだからである。

なぜ、吉田氏は第一三共を退職したのか。 第一三共は吉田氏が逮捕された 2022 年 9 月 16 日付で 当社社員の逮捕に関するお詫びなるプレスリリースを出しているが、一体、どういう了見なのか。 なぜ、逮捕されたことについて詫びる必要があるのか。 推定無罪の原則を、知らないのか。

報道されている限りでは、被告人側は「妻が自殺した可能性」を主張していたという。 妻が夫に対するあてつけとして自殺した、という可能性は、確かに、考えられなくはない。 それを否定する証拠を、検察側は示していないからである。 朝日の記事によれば、この被告人側の主張を、判決は 「妻には精神科への通院やメタノールの購入歴がないことなどから退けた」という。 馬鹿げている。 自殺する人が皆、事前に精神科に通院するとでも思っているのか。 むしろ通院する人は、適切な治療を受けることで自殺を回避できるのである。 通院しなかったからこそ、うつ病などの疾患が治療されず、自殺してしまうのである。 これは、精神科医を侮辱する判決である。


2024/10/11 科学の業績を賞で評価する

ここ数日、学問の業績を称えるナントカ賞というものの受賞者が発表され、一部の人々が騒いでいる。 いうまでもなく、自然科学や人文科学の成果を賞によって判断するのは、下劣である。 ある学術研究の成果が偉大であるというのは、その成果自体が偉大なのであって、賞を受けたから偉大なわけではない。 学問を讃えるならば、受賞しなくても讃えるべきである。 それまで低く評価していたならば、受賞したからといって評価を変えるべきではない。 それなのに、日本の少なからぬ人々は「受賞したから、すごい」というようなことを平然と言う。 その態度そのものが、学問に対する冒涜であり、研究者に対する侮辱である。

ノーベル賞は、スウェーデン生まれのアルフレッド・ノーベルの遺産を元に設立された。 ノーベルは、高性能爆薬を発明し、軍需産業に売り込むことで莫大な特許料収入を得た。 そして死の商人として名を馳せたが、自分の死後に悪名だけが残ることを恐れて ノーベル賞の設立を遺言したという。 せめて生きているうちに財団を設立すればよいものを、死ぬまで財産を手放さなかったのがノーベルという男である。

学問に対する業績を賞で評価すること、しかも、その賞が死の商人によってもたらされていることを理由にして ノーベル賞の受賞を拒否した者は、極めて少ない。 他者からの強制によって辞退させられた例や平和賞を別にすれば、 自身の信念に基づいてノーベル賞を拒否したのは、1964 年に文学賞を拒否したサルトルのみである。 自然科学者は誰一人として、ノーベル賞を拒否していないのである。

私は北陸医大 (仮) にいた頃、この問題について、直接の上司とは別の病理学教授と、語り合ったことがある。 当時博士課程の学生であった私に対し、教授は「君は、ノーベル賞でも狙っているのか。」と問うた。 私は「いいえ。学問の業績を賞で評価するということ自体が、くだらない。」と答えた。 すると教授は「では、学問は何によって評価されるのか。」と問うた。 私は少し躊躇して「本当に価値のある研究であれば、その価値は自ら明らかになります。」というようなことを述べた。 すると教授は、私の躊躇を見透かしたように笑い、こう述べた。 「曖昧だな。学問の価値は歴史が評価する、ぐらい言ったらどうなのか。」

私が言いかけて、気恥ずかしさから引っこめた言葉を、教授はサラリと口にしたのである。 私がそれを言えなかったのは、自分はいずれ歴史に否定されるのではないか、 という恐れが心の片隅にあったからであろう。 自分が正しいという自信さえあれば、堂々と「歴史が評価する」と言えたはずなのである。

あの屈辱は、生涯、忘れまい。


2024/10/10 北陸医大教授との思い出 (9)

私にとって、病理医として北陸医大 (仮) で過ごした 6 年間は、基本的には楽しいものではなかった。 北陸の地そのものには恨みはないが、かの教授の研究者や教育者としての資質に問題があったものと私は認識している。

当時、我々は、病理解剖を行った症例について、解剖担当者が報告をまとめ、 それを原則として全員で検討するカンファレンスを行っており、剖検検討会と称していた。 この検討会における教授の態度は、教育者としていかがなものか、と思うものであった。

我々は新人病理医であるから、時には診断を誤りそうになることがある。 それを正すのは、指導医の責任であろう。 ところが剖検検討会の場で我々が的を外した診断を述べると、 教授は「ハァ?」と言い、「これのどこが異常なしなんだ」などと我々を詰問するのである。 なぜ、そのように険悪な雰囲気を積極的に作ろうとするのか。 かの教授が若かった頃に、そういう「指導」を受けたのかもしれないが、 自分が受けた「教育」を無批判に再生するのは、教育者として適切な態度ではない。

さらに、教授が剖検検討会の場で述べる内容が、しばしば正しくないのである。 むろん、教授も時には間違うのは当然であるのだが、あたかも「俺は絶対的に正しい」といわんばかりの態度で 正しくないことを言うのだから、困る。

強く印象に残っているのは腎臓の「甲状腺化」であったか「甲状腺様変化」であったかについてである。 何らかの疾患により慢性腎炎を来し、最終的に腎機能のほとんどが失われた状態を「終末期腎」などと呼ぶことがある。 この状態の腎臓は、組織学的には尿細管が嚢胞状拡張して好酸性物質を容れ、甲状腺の組織に似た様相を呈することがある。 これを腎臓の甲状腺化、などと呼んだ人がいるらしい。 むろん、この呼称は不適切である。ヘマトキシリン・エオジン染色の標本で甲状腺と似ている、というだけのことであり、 機能的には全く甲状腺とは類似しない病変なのであるから、本来は「甲状腺に似ている」などと言うべきではない。 また尿細管の嚢胞状の拡張自体も、腎機能が失われた結果の二次的変化であって、 それ自体に重要な病的意義があるとは考えられない非特異的な変化なのだから、 これを診断上の重要な所見と考えるべきではない。 しかし昔の病理医は、機能を無視し、形態だけから判断して名称をつけることが多かったようである。 そのため教授も、これを甲状腺化、などと表現していた。 むろん、現代ではこのような不適切な呼称は通常、用いられない。 私も、そのような表現は、知らなかった。 そこで私は炎症細胞浸潤や繊維化、尿細管拡張、糸球体の消失などがあることを指摘したのだが、 「甲状腺化」と言わなかったことが教授には不満であったらしい。 「甲状腺化があるじゃないか」と、私を叱りつけたのである。 私は「甲状腺化」という不適切な言葉自体を知らなかったので、反論もできなかった。

繰り返すが、甲状腺化というのは表現として不適切なだけでなく、 その所見自体が非特異的なので診断上の価値が乏しい。 その言葉を使わなかったからといって、叱責されるようなものであるとは、私には思われない。 人を叱りつけることを教育だと思っているならば、教育者としては不適格である。


2024/09/22 学会発表

先日、中部地方で開催された国際学会に参加した。 学術的な内容の口頭発表は京都大学時代の 2010 年に米国のピッツバーグで行ったのが最後であったから、 14 年ぶり、ということになる。

京都大学時代の私の研究は原子炉物理学を専門にしていたが、その中でもマイナーな分野である 「加速器駆動未臨界炉における未臨界度測定」の研究を行っていた。 この研究が実際の社会において、どれだけ役立つのかははっきりしなかったし、 そのあたりについて深く考えていなかったのは、当時の私の研究者として至らない点であった。 それでも、私の研究は原子炉物理学あるいは原子炉工学における新しい解析手法として画期的であった、という点は 今でも自信を持っている。 ただ、その内容が原子炉物理学の標準的な手法とは大きく異なるために、他の研究者にとってはわかりにくく、 この手法の有効性を他の研究者達に理解してもらうことができなかったことは、遺憾である。 もし私が原子炉物理学の世界にあと 5 年か 10 年、留まっていれば、きっと日の目をみたであろうと思う。 ただ、当時の准教授 (後に教授) との諍いが原因で、私が原子炉物理学を離れてしまったために、 私の研究は原子炉物理学の歴史の中で埋もれてしまった。 それでも、ひょっとすると 30 年ほど後に誰かが発掘してくれるのではないかと、期待している。

何を言いたいのかというと、原子炉物理学時代の私の研究は業界の標準から外れていたために、 学会発表においても基本的な考え方、概念を説明することに常に苦労していたのである。 高々 10 分程度の発表時間では、基本的な原理・理論を説明することすら、ままならなかった。

それと同じ問題に、現在も悩んでいる。 現在、私は広い区分としては放射線医学の分野にいる。 私は病理医としての、放射線医学者とは異なる視点から、かなり独特のアプローチで研究を行い、 新しい解析手法を提案する、というのが今回の発表趣旨であった。 しかし、このアプローチは斯界の常識から大きく外れているため、 そもそも何を解析するのかという背景の説明も、どういう方法で解析するのかという手法の説明も、 かなり丁寧に説明しなければならなかった。 通常、学会発表では基本的な問題意識や基礎知識を発表者と聴衆が共有しているのであるが、 私の場合、その前提が成立しないのである。 それでも、背景や手法を理解していただかねば、研究の意義も価値も、到底、伝えることはできない。 おそらく、これは何か本当に新しいことを研究している人々が、学会発表で常に苦しむ点なのであろう。

そうした悩みを抱えつつ、私は 7 分間の発表時間を厳守し、プレゼンテーションを行った。 会場からは、質問が出なかった。

学会発表において質問が出ないということは、聴衆にとって発表がつまらなかったか、 内容を理解できなかったかの、どちらかである。いずれにせよ、発表者にとっては敗北である。 私は、負けたのである。

ただし、発表を終えた後に 5 人の若手研究者や学生が、 私の発表について関心を示し、細かいことも含めて質問してくれた。 我々は楽しく議論することができた。

病理学会もそうであったが、今回私が参加した学会も、いささか雰囲気が悪い。 口頭発表に対して質問するのは学界の重鎮やベテランが多く、若手が質問に立ちにくいのである。 私が京都大学にいた頃の原子力学会では、学生を含め若手が積極的に質問していたし、 ベテラン研究者の中には「若手が質問しないような学界は衰退する」などと言い若手の発言を促す人も多かった。 むろん、私も修士課程一回生の頃から積極的に質問に立った。 なお、2008 年に高知で開催された日本原子力学会秋の大会のことは、忘れようがない。 私は、自分の専門とは少し違う分野のセッションに参加し、少しばかり的を外した質問をしたために、会場から失笑を買った。 いかに的を外した質問であったとしても、若手、特に学生の質問を笑うのは言語道断である。 その意味において、あの場にいた原子力関係者は、学術研究者としての資質を欠いていた。 しかし、私の後ろに座っていたベテラン研究者は、その空気をまずいと思ったのか、 私の質問を擁護するコメントを発してくれた。 そういう人も、必ず、いるのである。

今回も、私の発表に興味を持ってくれた若手はいたのに、その人々が質問に立つのを遠慮するような空気があった。 学生が質問できない、ということについて、どれほどの教員や研究者が問題意識を持っているのであろうか。


2024/09/16 学校健診

今年の 6 月頃に、学校健診における診察のあり方が不適切であった例について、 一般ニュースで取り上げられた事例があった。 たとえば朝日新聞は 6 月 12 日付で 市立小の学校健診「下腹部を触られた」複数の児童が不快感訴えという見出しで報じている。 要は、医師が外性器や乳房を視診・触診した行為について、医師は第二次性徴の確認のための診察と主張しているのに対し、 診察を受けた側は猥褻行為と感じた、という事案である。 これについて日本医師会は 7 月 20 日付で プレスリリースを出している。 このプレスリリースでは、児童・生徒や保護者に誤解されないよう、プライバシーへの配慮を充分に行い、 かつしっかりと説明することが重要である、という旨のことが述べられている。

この問題については、当該医師も日本医師会も、基本的な部分に勘違いがあるように思われる。 学校健診を含め、健診は、あくまで医療行為の一環である。 すなわち、児童・生徒には健診を受ける義務はなく、また医師は児童・生徒を診察する当然の権利は有していない。 あくまで本人が同意した限りにおいて、すなわちインフォームドコンセントが得られている範囲に限って、 診察することが許されているに過ぎない。 なお学校健診の場合、本人は通常未成年者であるから、その保護者が代諾者となる。 ここでいうインフォームドコンセントの概念は、学校健診であるからといって特別なものではなく、 病院等における通常のインフォームドコンセントと全く変わらない。 インフォームドコンセントなしに行われる外性器の触診は、それが純粋に良心に基づく診察であったとしても、 強制猥褻にあたる。

詳しい診察内容に言及せず「健診を行う」という漠然とした通知に対して承諾したからといって、むろん、 全ての診察を受け入れたことにはならない。 このような包括的な同意が含むのは、「健診」という言葉から社会通念上、当然に想起される内容に限定される、 と解釈するべきであろう。 これは、たとえば大学病院において「学生が臨床実習として診療の場に加わることがあります」という通知に 同意したとしても、たとえば手術中に学生がメスで患者の体を切ったり、 あるいは産婦人科の内診を行ったりすることについてまで同意したことにはならない、というのと同じである。

話が若干逸れるが、2023 年度に施行された改正医師法に基づいて、医科学生の臨床実習前に行われる共用試験 (いわゆる CBT および OSCE) が公的化された。 これにより、医師免許を取得する前の学生も公的に Student Doctor たる身分が与えられることになった。 これについて、学生が診療に加わる際に、患者の同意をイチイチ確認する必要がなくなった、かのように 考える者がいるかもしれないが、それは正しくない。 この医師法改正は、これまで法的位置付けが曖昧であった学生実習について、法的立場を明確化しただけのことである。 学生が診療に加わる際に患者の同意が必要であることは以前と何ら変わりがない。 この点については令和 4 年度第 1 回医道審議会 医師分科会医学生共用試験部会 参考資料 3などを参照されたい。

話を戻す。 児童・生徒が「猥褻行為をされた」と感じるような態様で診察を行ったならば、医師の真意が何であったかにかかわらず、 それは猥褻行為である。 時間的制約からイチイチ説明できない、というならば、それを何とかするために学校側と協議するのが当然ではないか。 なぜ、インフォームドコンセントなしに触ってよいなどと思えるのか。 インフォームドコンセントという概念については、なぜか医師会のプレスリリースでも言及されていない。 朝日の記者も言及していない。 健診にもインフォームドコンセントが必要である、という当然の事実を、健診医も、新聞記者も、医師会も、 誰も明確に意識していように思われる。

なぜ、医師には対象者の身体をまさぐる権利がある、などと思えるのか。 人権や法について、キチンと考えたことのない医師が多すぎるのではないか。 医者はエライのだ、という歪んだ特権意識が、いまだに心の中に潜んでいるのではないか。


2024 年 8 月末に行ったベトナム旅行の記録はベトナム旅行記に記載した。


2024/08/09 データ盗用

少し古いニュースだが、6 月 13 日付で朝日新聞に 研究者にとって「データ」とは何か? 阪大処分に見解の相違という記事があった。 これは、大阪大学名誉教授の某氏が、データ盗用の不正行為を働いたと認定され、 大学当局から懲戒処分を受けたという事案である。 朝日新聞の記事と、本件と思われる事案についての 大阪大学の発表文部科学省の発表および 日本学術振興会 (学振) の発表を総合すると、 これは以下のような次第である。

大阪大学大学院文学研究科の教授 (当時) は、日本学術振興会の科学研究費助成事業 (科研費) の基盤研究 (A) として 2011 年度から 2014 年度にかけて「中国における土地領有の慣習的構造と土地制度近代化の試み」の研究課題に対し 2067 万円の研究費を交付された。 また、これに関連する研究として、科研費の「学術図書」として、 「中国における土地領有の慣習的構造と土地制度近代化の試み」に対し 2016 年度に 300 万円の研究費を交付された。 なお、この文献は実際に大阪大学出版会から 刊行されたが、後に回収された

朝日の記事によると、以前に教授の下で博士の学位を取得した「研究者」が、2016 年 3 月に、 当時未公表の文献を教授のもとに持ち込んだという。 このとき、教授は閲覧および写真撮影の許可を得て、この文献を預ったという。 そして 2017 年に、この教授の下にいた招聘研究員である某氏は、前述の 「中国における土地領有の慣習的構造と土地制度近代化の試み」に掲載された「論文」の執筆にあたり、 上述の「研究者」から預った文献の写真を、事前の承諾なしに使用したという。 その後、この招聘研究員は後に立命館大学文学部講師になった。

大阪大学および文部科学省によると、2020 年に、この論文に盗用が認められる旨の告発が学振に対し行われた。 この告発を回付された大阪大学は予備調査を行い、当事者が現に在職している立命館大学に調査委員会が設置された。 この立命館大学の調査委員会は、調査結果の確定後に 「研究活動上の不正行為に係る調査報告書」を大阪大学に対し送付した。 これを受けて大阪大学は、上述の発表を 2024 年 3 月に行ったが、当事者が既に退職しているため、 実効性のある処分は大阪大学からは行われなかったようである。 立命館大学は、当該講師に対し論文取り下げを勧告した。懲戒処分が行われたという記載はない。 当該講師は、この時点で既に退職していたようであり、文部科学省の発表では「元講師」とされている。 学振は、当該「学術図書」の研究費について返還を求めた。 基盤研究 (A) については、当該不正行為が行われた研究と学術的な連続性はあるものの、 研究費からの不正な支出はなかったため、返還などは求められなかった。 また学振は、この二人の当事者に対し、2024 年度から 2026 年度の 3 年間にわたり、 研究資金を交付しないことを決定した。

さて、朝日の記事では「本件はデータ盗用にあたるのか」という点について 関係者の間で意見が分かれている、という趣旨のことが議論されているが、これは的外れである。 規則の文言だけを考えて、この「未発表資料」がガイドライン上の「データ」に当たるかどうかを問題にする者が いるようだが、本件の本質はそこではない。

文部科学省の発表によれば、この二人は「他の研究者の所有する未公開史料を論文に掲載する際には、 事前に所有者の承諾を得ることが当該分野における通例であることを認識していた」とのことである。 これは、ほとんどの学術分野で共通する観念であると思われる。 そして上述のように、この史料の所有者である「研究者」にとって、この教授は元指導教員であったことが問題である。

つまりこれは、次のような構図なのである。 「研究者」が、自分の発見した史料を自慢したくて教授にみせたのか、 それとも教授から強く求められて史料をみせたのかはわからない。 しかし、元指導教員から「写真を撮らせて欲しい」と言われた際に、拒絶することは難しい。 断わるならば、以後、関係が断絶することも覚悟した上で断わらなければならない。 そのような、事実上、強制力のある形で、史料の貸与と写真撮影が行われた。

また、こうした史料は、初めて世間に公表された文献が、以後、引用され、 「あの史料を公表した論文」として認知されることになる。 朝日の記事によれば、教授は「掲載にあたって了解を得るのは事後でよいと判断し」たらしいが、 その判断は、ありえない。 あるとすれば「あいつは俺の下僕のようなものだから、事前了解は必要ない。どうせ文句を言うはずがない。」 と考えた、としか解釈できない。 要するに、この史料を発見・入手したという学術上の功績を、教授が「研究者」から強引に奪い、講師に与えたのである。 これに対し、予想に反して「研究者」が怒った、というのが真相なのではあるまいか。

つまりこれは、「データに該当するかどうか」という問題ではなく、悪質なアカハラ事案である。 ただ、現時点で加害者と被害者の間に形式的には上下関係が存在しないことから、 「データ盗用」という形でしか処分できなかったのである。


2024/07/15 民主主義

米国で大統領選挙への立候補予定者が銃撃を受けた。 犯行の目的は現時点で明らかではないが、思い込みによる報道が世界には充満している。

現時点で明らかなのは、銃を用いた殺人および殺人未遂事件があった、ということだけである。 これを特定の政治的目的を達するための犯行である、と決めつける報道が目立つし、 それを前提として「民主主義を脅かす蛮行」というような表現もみられる。 しかし、もし、これが単なるトランプへの個人的な恨みによる犯行であるならば、 その被害者がたまたま大統領選挙への立候補予定者であったというだけのことであり、民主主義云々とは別の話である。

日本でも二年ほど前に、内閣総理大臣経験者が街頭で射殺される事件があった。 当時マスコミ等は、今回と同様に「民主主義に対する冒涜」というような表現を安易に用いた。 結局、あの犯人の目的が何であったのかは確定していないが、どうも、政治的主張を実現する目的ではなく、 安倍個人に対する恨みによる犯行であった、という解釈がもっともらしい。 すなわち、安倍がいわゆる統一教会を支援しており、その統一教会のせいで家族がひどい目にあった、という理屈で 安倍に対し怨嗟を募らせたわけである。 むろん、彼の行なったことは殺人であり、犯罪であり、社会的に許容できないが、民主主義の破壊を試みたわけではない。

むしろ民主主義の破壊を試みたのは、安倍をはじめとする政府与党の方である。 地元への利益誘導により票を実質的に買収し選挙を有利に進めるのは、かの政党が何十年も前から継続している手法である。 また、近年ようやくマスコミでも問題視されるようになってきたが、いわゆるパーティー券や政治献金という形態で 企業や個人から資金を募っているが、どうみても公然の賄賂である。 合法ではあるが、民主主義の理念、理想を破壊する政治手法には違いあるまい。 なお、こうした賄賂は大手野党も公然と募っている。 この点において清潔な政治姿勢を示しているのは、日本共産党をはじめとする少数の弱小政党のみである。 また、安倍はいわゆ「桜をみる会」や「森友・加計問題」をはじめとする汚職疑惑もあり、 さらにそれを隠蔽する目的で公務員を自殺に追い込んだ疑いが強い。 政府与党についていえば、政府に都合の良い人物を検事総長に据えるために、 検察官の定年について恣意的な措置を図ったことも知られている。 この検察官問題は、本来であれば単独で政府が揺らぐような大問題であるように思われるが、 政府与党の裏金問題に比して注目を集めなかったのは、おそらく、 日本の一般国民の民主主義に対する理解や関心が乏しい故であろう。 なお、この検察官問題については朝日新聞記者等が当該検察官と賭け麻雀をしていたことが発覚して政府の陰謀は潰えたが、 同時に、マスコミが「権力に対する監視」を謳いつつも実際には権力と癒着して情報の横流しを受けている、 という問題が広く知られる契機にもなった。

ついでにいえば、昨今のウクライナ情勢に関係して、ロシアを「民主的ではない」と表現する人も少なくない。 ロシア大統領はロシア国民による選挙によって選ばれているにもかかわらず、である。 日本や米国が民主的であり、ロシアが民主的でない、という考えは、一体、どのような根拠に基づいているのだろうか。 ロシアでは選挙の不正がまかり通っている、などという人もいるが、 日本だって、上述のような公然かつ合法の収賄や、「一票の格差」問題、 および認知症で施設入所している人の投票率が妙に高い問題など、 選挙の不正を疑わざるをえない事例が多数、あるではないか。

民主主義を脅かしているのは、一体、誰なのか。 考え方によっては、大統領候補予定者の殺害に失敗した犯人は、民主主義を守ろうとしたのだ、といえなくもない。 あの犯人が殺人犯、殺人未遂犯であるというのは事実であるが、それをテロだの何だのというのは、 個人の主観、好悪の問題であって、客観的事実ではない。 意見と事実を混同してはならぬ。


2024/07/10 女子枠

朝日新聞に 東工大、来春の入試で「女子枠」149 人にという記事が掲載されていた。

私は、大学入試に性別を指定した枠を設けることには断固反対である。 多様性確保のために女子枠を設けるというのなら、なぜ身体障害者枠やイスラム教徒枠、ブラジル人枠などを設けないのか。 南米にルーツを持ち日本に住む人は珍しくないし、その中には日本国籍者も多い。 しかし東京大学や東京工業大学といった名門大学の学生には、人口比の割に、そういう属性を持つ者が少ないのではないか。 人種差別ではないか。

そもそも東京大学や東京工業大学に女子学生が少ないのは、 生まれてから高等学校を卒業するまでの間に、意識的にか無意識にかはともかく、 男女の間で著しく偏った教育がなされていることが原因であろう。 その偏向教育をそのままに、単に大学入学者数の帳尻だけを合わせたとして、一体、何が解決するのか。 表向きの統計から男女格差がみえにくくなるだけで、差別と偏向は厳然として存在し続けるのである。 みえなければよい、という考えなのか。

問題の根底を考えなければならない。 現代においても「女が物理や数学などやったら、嫁の貰い手がなくなる」というのに近いことを言う親は、稀ではない。 たとえば幼い我が子について「将来、医療従事者になるのかしら」という意味のことを言う場合、 男児に対しては「医師」を挙げることが多いのに対し、女児に対しては「看護師」を挙げることが多いのではないか。 実際には男女の別に関係なく、それぞれの人の個性の問題として医師向き、看護師向き、技師向きなどと 様々であるのに、性別を根拠に勝手に決めつけるのである。 そういう偏見に幼い頃から晒され続けた結果が、東京大学における男女比の偏りであろう。

現在の大学において、厳しい男女差別が存在することは事実である。 私は京都大学時代にも、名古屋大学時代にも、北陸医大 (仮) 時代にも、 教員や学生が無思慮にセクハラ発言や性差別発言するのを、幾度となく聞いてきた。 京都大学では、留学生が文化的相違から近隣トラブルを引き起こした際、 准教授が謝罪・調停に赴くにあたり「女性もいた方が場が落ち着きやすいから」と女子学生に同伴を求めたことがあった。 また北陸医大では、某教授が女性スタッフについて「女性は ○○ だから」などというステレオタイプに基づく 差別発言を繰り返していたことが、強く印象に残っている。 残念ながら我が陸奥大 (仮) においても「xxx 先生は女子だからといって甘くしない」という差別発言を聞いたことがある。

こういう、生まれた時から続く偏見、セクハラ、性差別の風潮を葬るために、 とにもかくにもまず女子学生を増やす、という方策は、理解できないでもない。 ただし、それならば、文化的無知から生じる人種差別を解消するために、黒人枠やイスラム教徒枠も設けるべきである。 また、男子であるというだけの理由で相対的に入試が厳しくなる男子受験生に対する補償も必要であろう。


2024/07/07 中東における武装勢力による民間人虐殺について (1)

少し日記の間隔が空いてしまった。 北陸医大 (仮) 時代には、日々の職務環境で滅入ってしまい日記を書けないことが多かった。 しかし陸奥大 (仮) に来てからは、むしろ日々の研究に熱が入り、日記にまで手がまわっていない。 とはいえ、この日記を残すことにもたぶん、相応の社会的意義があると思うので、なるべく書き続けていこうと思う。

この記事は 6 月 10 日に下書きしたが、デリケートな内容であるために推敲に時間を要し、掲載が遅れてしまった。

たまたま文春オンラインで、岡真理さんの記事をみかけた。 週刊文春 3 月 14 日号に掲載された記事週刊文春 CINEMA 2004 夏号に掲載された記事である。

もう二十年以上前のことなので、岡さんは私のことなど覚えていないであろう。 岡さんが京都大学に助教授として赴任したのは 2001 年であり、私が京都大学に入学したのは翌 2002 年 4 月である。 この私が入学した年から、第二外国語としてのアラビア語科目が新設され、岡さんが授業を担当した。 当時の世界情勢もあり、4 月時点での受講者はたいへん多く、教室に納まりきらず、廊下で聴講する者も多かった。 しかし回が進むにつれ、どんどん脱落していき、年度末まで残ったのは 10 人程度であったように思う。 これは全学部合わせた人数である。 年度末の試験だけ受験した者も少なくなかったが、むろん、それで合格するほど甘い試験ではなかった。 私は試験当日に寝坊したが、雨の中、タクシーを使って大学に行き、なんとか 20 分ほどの遅刻で済んだので、合格した。 二年目ともなると、受講者は 6 名程度だったように思う。少人数の、楽しい授業であった。

岡さんについて、強く印象に残った言葉がある。 以前に日記に書いたようにも思うが、検索しても出てこないので、もう一度書こう。 いつであったか、京都大学で行われた学生主催の講演会で岡さんがパレスチナの話をした時のことである。 質疑応答の際に、ある男性が岡さんに対し「ご主人は何の仕事をしているのですか」と不躾な質問をした。 むろん、講演の内容に関係のない不適切な質問なのであるが、岡さんの切り返しは見事であった。 「私には共同生活者はいますが、主人はいません。敢えていえば、私は私自身の奴隷です。」と言ったのである。 夫のことを「主人」と表現することの不適切さを述べているのだが、 私が感心したのは「私は私自身の奴隷である」という部分である。 なお、質問者は、岡さんの言葉の意味を理解できなかったようである。

文春の記事をみて、岡さんの最近の著書である『ガザとは何か』の存在を知ったので、さっそく買って読んだ。 この書物は、岡さんが 2023 年に京都大学と早稲田大学で行った講演の内容をまとめたものである。 この講演は、1948 年から現在に至るまでパレスチナで虐殺を継続的に行っている武装勢力の活動を非難し、 その実情を広報するものである。 岡さんは日本のマスコミは、特に中東情勢に関しては偏向が著しい、という点についても厳しく批判している。

イスラエルと称する武装勢力は 1948 年に「建国」を宣言して以来、パレスチナに住むアラブ人に対する 虐殺、迫害を継続的に行っている。 これには直接的に武器を使用して民間人を殺害することだけでなく、徹底した経済封鎖により 食料すら手に入らない状況に追い込む、というものも含まれている。 厄介なのは、このイスラエルの「建国」自体は国際連合の決議により「国際的に承認」されている上に、 この武装勢力自体も国際連合に加盟している、という点である。 そもそも国際連合の総会や安全保障理事会には、国連憲章上、各国の主権を尊重する義務がある。 それを無視してイスラエル「建国」を認めたこと自体が、そもそも不法であった。 それゆえに、アラブ諸国の多くやイランなどは、 イスラエルを国家として承認しておらず、あるいは外交関係を有していない。

最近の岡さんの考えをよく知らないのだが、私が京都大学にいた頃の講演では、 パレスチナ問題の解決に向けて、まずはパレスチナが国家として認められ、交渉のテーブルに就くことが必要である、 と述べていたように記憶している。 それについて当時、私は、甘いのではないか、と思った。

今年の 5 月に、ノルウェー、アイルランド、スペインがパレスチナを国家承認した。 日本や米国の他、英独仏伊をはじめとするヨーロッパの大国の多くはパレスチナを国家承認していないが、 国の数でいえば国連加盟国の 7 割以上はパレスチナを国家承認しているという事実について、 日本のマスコミはあまり積極的に言及しないようである。 この欧州 3 国によるパレスチナ国家承認について、パレスチナ問題の解決に向けた動き、と判断するのは早計であろう。 JETRO の記事などによれば、 この三国はいずれも「二国家解決」を唱えているが、その内容が問題である。

二国家解決というのは、パレスチナとイスラエル双方の国家を共存させる、という案である。 一方、国家間の領土問題については、第三国は介入しない、というのが国際関係の基本である。 すなわち、スペイン等のいう「二国家解決」というのは、ありていにいえば、 「我々は関与しない。当事者同士で解決しろ。」と言っているだけのことではないのか。

パレスチナを支持しつつ二国家解決を唱える人々は、楽観的に過ぎるのではないか。 パレスチナが国家として広く承認され、イスラエルと国家間交渉したとして、 イスラエルがパレスチナに何らかの譲歩をする可能性があると考えているのか。 エルサレム全域あるいは東エルサレムをパレスチナに譲渡あるいは共同統治したり、 あるいは既に存在する植民地から撤退したり、また新たな植民地の建設をやめる、 などといった内容に合意する可能性があると思っているのか。 なぜ、イスラエルがそのような譲歩をすると思うのか。 二国家間の問題だから、外国は口を出すな、と言って、これまで以上にパレスチナへの迫害を強めるのは明白ではないか。

なお、この「植民地」については註記が必要であろう。 現在イスラエルが行っているのは、自国の領域外である土地に植民者を送り込み、 現地住民との紛争には軍を送り込んで武力で解決する、という活動である。 これが植民地化でないならば、一体、何を植民地と呼ぶのか。 しかしイスラエルによる領土拡張に対しては、なぜか「植民地」や colony ではなく 「入植地」 とか settlement とかいう、いささか柔らげた表現が用いられることが多い。 イスラエルに対する、なにがしかの遠慮の結果であろう。 歴史的に虐げられた民であるユダヤ人を悪くいうのは気が引ける、という気持ちは、わからないではない。 しかし、かつてホロコーストの被害者であったとしても、現代において加害者に転じたシオニストに対し、 何を遠慮する必要があるのか。

ついでに書くと、現在行なわれているジェノサイドの加害者を「ユダヤ人」と括るのは適切ではなく、シオニスト、 などと表現するべきである。 というのも、敬虔なユダヤ教徒の中には、イスラエルによる乱行に対し批判的な意見が強いからである。 パレスチナの地は神がユダヤの民に約束された土地ではあるが、 それをユダヤ人に与えるのは神の御業であって人が為すべきことではなく、 人が軍事的に土地を奪取するのは、むしろ神に対する冒涜である、という論理である。 かつて敬虔なキリスト教徒が十字軍の東方遠征を非難したのと同じように、 真のユダヤ教徒はシオニズムを認めないのである。

話を元に戻そう。 そもそも、英国や国際連合が、その地に住んでいる人々を無視し、 信教の自由を否定するイスラエルの「建国」を認めてしまったことが、諸悪の根源である。 国連によるイスラエル建国の承認、いわゆるパレスチナ分割決議は、 基本的人権や、大小各国の同権、寛容、国際の平和などを謳った 国連憲章の理念すら無視して行われた蛮行であった。 その過ちを反省し、是正することが、国際社会の責務ではないのか。

パレスチナの地に、ユダヤの宗教国家としてのイスラエルが存続する限り平和はありえない、とする 一部の強硬派イスラム教徒の主張は、遺憾ながら、正しいように思われる。 二国家共存による住み分けではなく、信教の自由が保証された単一国家の形成が、唯一の可能性ではないか。 信教の自由を認めるかどうかはイスラエルの国内問題だから、などといって口を挟むことをはばかるのは、不誠実である。 諸君は 21 世紀に入ってからも、アフガニスタンやイラクで国内問題に口を挟み、軍事的に介入して現地政府を転覆し、 新しい政治体制を構築したではないか。 ウクライナ東部に住むロシア人の独立を阻止するために、 ウクライナ軍に対する武器支援などを通じ積極的に介入しているではないか。

なおパレスチナ問題について、ウクライナの大統領がイスラエル支持の声明を発したことを、我々は忘れない。 イスラエルの行動を支持しながらロシアの軍事行動を非難する、というダブルスタンダードを、私は認めない。


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