ここには、医学部編入を目指すかどうか迷っている博士崩れ諸君に伝えたいことを記します。 それ以外の編入志望者その他の方には不愉快な記述が含まれることを、あらかじめ、お詫び申し上げます。
このページは 医学日記 の一部でした。 諸般の事情から、一旦閉鎖いたしましたが、比較的無難と思われるこのページは、2019 年 6 月 15 日に復元しました。
出願した大学について、学科試験の実施順に記載する。 ○:合格、×:不合格、欠:不受験、−:実施せず
実施年 | 大学 | 書類選考 | 学科試験 | 面接試験 | 学科試験の感想 |
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2010 | 群馬大学 | − | ○ | × | 生命科学と全く関係のない出題が幸いした。 |
2011 | 福井大学 | − | ○ | × | はなはだ易しく、ほぼ満点であっただろう。 |
弘前大学 | − | ○ | 欠 | 物理などで分からない問題があり、落ちたかと思った。 福井大学と面接の日程が重複した。 | |
滋賀医科大学 | − | ○ | × | 一部の極めてマニアックな問題以外は、概ね分かった。 | |
山口大学 | − | × | 生物学で分からない問題が多かった。 | ||
鹿児島大学 | − | ○ | × | 糖尿病や染色体地図など、分からない問題が多く、 落ちたかと思った。 | |
東京医科歯科大学 | − | ○ | × | 初等的な微分ができなかった他、 統計の問題を間違えた。(ポアソン分布として取り扱ってしまった。) | |
筑波大学 | − | 欠 | 滋賀医科大学の二次試験と日程が重複した。 | ||
北海道大学 | − | 欠 | 鹿児島大学の二次試験と日程が重複した。 | ||
富山大学 | ○ | ○ | ○ | 分野は違えど、大学院で論文を 読み書きしていた経験が活きた。 | |
千葉大学 | − | ○ | × | 意味のよく分からない出題が多かった。 | |
名古屋大学 | − | ○ | ○ | はなはだ易しかったように思われる。 | |
金沢大学 | ○ | 欠 | 名古屋大学に合格したため、放棄した。 |
どこの大学でも、出願時や面接時に、志望動機について訊ねられる。 我々博士崩れは、20代後半や30代になって新たに大学に入り直すわけであり、 様々な点において、入学後や卒業後にも苦難の道のりが続くことは容易に想像できる。 それを乗り越えられるだけの強い意志と覚悟を持っているかどうか、 大学側としては、入学を許可する前に確認せねばなるまい。 だから、それを判断する材料として、志望動機を問うのは当然のことである。
2010年の群馬大学の入試の際には、私は、大変に卑屈な精神状態であった。 自分が正直なところ臨床医には向いていないという自覚を持っていたが、 いまさら学部に入りなおして研究者になることなどできないと考えていたので、 「地域医療に貢献したい」というようなことを出願書類に書き、面接でも述べた。 しかし、地域医療に対して強い熱意を持っているわけではないので、 面接で少しばかり追及されると、シドロモドロになった。 また、群馬大学を志望した理由は、当時の私は生命科学について完全に素人で 「リボソームとは何か」ということすら理解していなかった、というだけのことである。 群馬大学は試験科目に生命科学がなく「生命科学が分からなくても受験できる大学」の一つであったのだ。 面接でも、正直に、そのように述べたのだから、 結果として不合格になったのは、当然ともいえる。 なお、博士課程を中退しようとしている理由については、 「原子力の研究を進めていくことに意義が見出せない」という趣旨のことを述べた。
私は2010年11月より大手予備校に通い始めた。 予備校での「志望動機個別指導」の類は受けなかったが、 例えば、名古屋大学等は研究志望者を編入学で募集しているとか、 予備校仲間のK氏は基礎医学研究者を目指しているとかいうことを知るに至り、 「臨床を目指すしかない」との考えを改め、 「研究者志望」ということを前面に出すことにした。 福井大学、滋賀医科大学、鹿児島大学、東京医科歯科大学では、 「基礎研究者になりたい」ということを述べた。 しかし、複数の大学で「基礎研究は、医学部よりもむしろ理学部や農学部で 盛んに行われている」「医学部である必要はあるのか」 「博士の学位を取って助教などを目指すという進路もあったのではないか」 などと、「医学部編入」を目指す理由になっていない、との指摘を受けた。 こうした指摘に対して、私はきちんと答えることができなかったし、 確かに、基礎研究者になるのであれば、今から医学部に入るという選択は あまりに非効率的だと思う。 医学部に入りたい、平たく言えば医師免許が欲しい、と考える理由は、 ありていにいえば、職には困らない、ということである。 常識的に考えれば、医学であろうと他の分野であろうと、 純粋な基礎研究者としてやっていくのは、年齢的なハンディを考えると、 たいへん困難であろう。ほとんど不可能であるといって良い。 しかし医師免許を取得すれば、最低限、医師として働くことはできる。 そういう意味で保険をかけるために、医学部に行こうとしているのである。 大学側にしてみれば、そのような中途半端な者よりは、 初めから臨床医になるつもりの学生を取りたいであろう。 したがって、これも、不合格になったのは当然である。
このまま「基礎、基礎」と言っていたのでは全滅するのではないか、と考え、 私は方針を練り直すことにした。 すなわち、単に保険として医師免許を取得するのではなく、 なんとか「医師免許を活用する形」で研究に従事することを考えなければならない。 しかし私は、自分の適性が臨床医よりも基礎的な方向に 向いていると考えていたので、臨床的研究を目指す、というわけにはいかない。 そこで、私は病理学を志望することにした。 病理学に注目したきっかけは、 島根大学の募集要項に「病理医志望者が欲しい」ということが 書かれているのを見たことであった。 病理学は、分類上は基礎医学とされるが、病理診断は医師しか行えない医行為であり、 病理学の研究であれば、医師免許を活かし、 かつ基礎的な研究を行うことができるのではないかと考えたのである。 富山大学の常山准教授や 高知大学の李教授の文章を読んで病理に惹かれたということも大きい。 こうした経緯を経て、私は富山大学、千葉大学、名古屋大学では 「病理学志望」を明言した。 半ばあとづけではあるのだが、 「病気のしくみを明らかにして新しい治療法等につなげる」 という病理学であれば、これまで物理学や工学で培ってきた素養が 医学研究に活かせると思う、とも主張した。
どこの大学でも、面接試験は行われているようである。 世の中には「面接が得意」という人も存在するようだが、 私などは面接が大の苦手である。 一つには、私が正直者であり、嘘をついたり、事実を誇張して述べたりするのが 甚だ不得手であることが原因であろう。 博士課程出身者で、挫折して医師に転向しようとするような人には、 私のように面接を苦手とする人も多いのではないだろうか。
立派な臨床医になるためには、まず患者さんの信頼を得ることが重要であるから、 対人技術や話術は特に重要であろうし、時には平然と嘘をつくことも必要だろう。 しかし研究者として生きようと思うならば、何よりも正直であること、科学的良心を保つことが大切である。 だから、試験に合格するために卑屈になり、自らの良心に逆らってまで、 嘘をつく必要はないと思う。
ただ、同じ事を言うにしても、言い方というものはある。 自らを卑下するようなことは、冗談であっても言うべきではない。 また、わざわざ明言する必要がないことというのもある。 つまり、我々が一度挫折した人間だということは、面接官も、当然、知っている。 だから、「挫折しました」などということを、敢えて言う必要はない。 過ぎたことはどうでもよく、これからどうしたいのか、 これまでの経験をどのように活かしていくのか、それを伝えればよろしい。
我々受験生にしてみれば、医学部編入学試験は、人生を挽回するチャンスである。 一般入試と比べても、試験科目も少なめであるし、俗な表現をすれば、 ある意味ボーナスステージのようなものである。 しかし、大学側にしてみれば、何も我々に救済の手をさしのべるつもりで 編入学試験を実施しているわけではないだろう。 一般入試で入る高卒連中には期待できない何らかの資質や能力を持っていることを、 我々は期待されているわけである。 従って、出願書類や面接の場においては、こうした「何らかの資質や能力」を 持っていることを、きちんとアピールする必要がある。
幸い、我々のような博士崩れにとっては、これはたいした問題ではない。 自分が大学院時代に得た経験や身につけた能力を、 医学研究の分野でどのように活かすかを説明すればよいだけである。 私の場合、物理的思考や自律的に研究を進める能力をアピールした。 間違っても「他人を思いやる気持ち云々」とか 「リーダーシップが云々」とか言ってはならない。 そんなものは、高卒連中だって持っているのだ。 誰も、博士崩れにそのような能力を期待していない。
博士崩れで無職であるなら、予備校には行くべきである。 家に籠もっているのは、精神的によろしくない。 私は、生物学は中学・高校でろくに勉強していなかったし、 物理学や化学についても自信喪失していたので、2010年11月からKALS新宿校に通った。
物理学や化学については、入試では高校レベルに毛が生えた程度の出題しか されないようなので、KALSのカリキュラムも、私にとっては易しかった。 だが、どの程度のレベルが要求されるのか把握する意味で、 物理・化学とも受講したことは無駄ではなかったと思う。 生物については、高校の頃は暗記しなければいけないことばかりで、嫌いであった。 しかし、改めて物理・化学的観点を持って勉強しなおしてみると、 生物学は実に面白い。 私見であるが、物理学においては殆どのことは既に明らかにされているのに対し、 生物学においては、誰にもわからないことがあちらこちらに転がっている。 それが、生物学の魅力につながっていると思う。
KALSの生命科学のカリキュラムは、入試に出そうな範囲に絞られているため、 率直な感想としては、今ひとつ面白みに欠けた。 しかし生命科学を学ぶ上で必要な基礎知識は、きちんと教えられていたように思う。 ただし、KALSのテキストに記載されている内容などには、 しばしば誤りを含んでいたように思う。 とはいえ、博士崩れの諸君であれば、論理的科学的思考には強いであろうから、 そうした誤りは直ちに見抜けるはずであり、特に問題はなかろう。
なお、私は KALS 生命科学担当講師の不興を買い、また私自身も、 学術的観点から講義内容に疑問や不満があったため、「実戦コース」の後半は履修しなかった。 何も KALS のカリキュラムにこだわらなくても合格できる、という実例である。
予備校に通ったことで得た最大の収穫は、勉強仲間である。 受講生の何人かで集まって、週一回程度の勉強会を行っていた。 率直に言って、医学部編入の受験生の学力レベルは、決して高くない。 見かけ上、入試の競争率は20倍とか30倍とか非常に高いのだが、受験生の大半は生命科学を殆ど分かっていない。 だから、これまで博士課程できちんと学問をやってきた諸君なら、学科試験で落ちることなど心配する必要はない。 私の場合、リボソームすら知らない状態から半年ほど専念して勉強し、やや特殊な出題をする山口大学以外は、 学科試験を全て合格することができた。
博士崩れの諸君であれば、予備校仲間と行う勉強会においても、「一番よく分かっている人」という立場になるであろう。 従って、他の勉強仲間に教えたり説明したりする機会に恵まれるであろう。 これは、自分の理解を深め、知識を定着させる上で非常に有効である。 私が編入試験を通過できたのは、予備校講師の教え方が良かったからではなく、勉強会仲間のおかげである。
富山大学の面接では、多くのことを教わった。 中でも最も重大なことは、大学が我々編入組に何を期待しているのか、(たぶん)率直なことを教えてもらえたことである。 大学としては、我々に、臨床医として活躍すること自体はあまり期待していないのである。 当然であろう、我々は年齢的な理由から、医師としての実働期間が短いのであるから。 その代わり、我々には指導的立場の医師としての活躍が期待されている。 具体的には人それぞれであるが、研究や他の医師に対する教育的関与を通じて 間接的に医療の発展や改善に寄与すること、これは高卒で医学部に入った並の医師では難しいことである。 しかし一度寄り道をしてきた我々であれば、その背景の生かし方次第では、それが可能である。
個人面接では病理学志望を明言したのだが、面接官の一人からは、 病理(診断)は頭の中に入っている組織像と標本とを照合する作業であり、 物理などをやってきた人にはあまり向かないかもしれない、と言われた。 私は一瞬、これは不合格かもしれぬ、と思ったのだが、その面接官はさらに言葉を続けた。 今から病理と決めつけずに、ウイルス学とかそういった他の基礎分野も含めて、広くみていくと良いだろう、と言ったのである。 すなわち、先の言葉は私を否定しているのではなく、あくまで励ますための発言だったのである。 もっとも、最後のフリートークの時に某教授 (名前は存じあげているが、試験官の名は出さないべきであろう) からは 病理も良いかもしれない、と言われた。 このあたりの考え方は、人によるのであろう。
富山大学での経験は、私を大いに勇気づけた。 富山大学は非常に良い大学だと思うし、個人的に恩義も感じている。 併願状況を訊かれ名古屋大学と千葉大学に併願中だと答えた後に、 「複数合格したらどうするか」と問わないでくれたことにも、面接官の非常な優しさを感じた。 私は将来、初期臨床研修医としてか研究者としてかはわからないが、富山大学で働きたいと考えている。 場合によっては富山に骨をうずめても良いと考えている。
富山大学とは反対に、東京医科歯科大学には、私は決して就職したくない。
東京医科歯科大学の面接は、5 人の面接官が 1 人の受験生に対して面接を行う、という形式であった。 これを各受験生に二回、合計 10 人の担当者が面接を行うわけである。 一回目の面接は穏かであり、特にどうということもなかった。
二回目の面接が、いわゆる圧迫気味というか、非常に失礼なものであった。 私の出身である麻布高校は、世間では名門進学校とされ、卒業生の少なからぬ人数が 東京大学やら国立大学医学部やらに進学している。 学校が特別にそういう教育をしているわけではないので、名門とか進学校とか呼ばれるのには違和感を感じるが、なぜか、そうなっている。 ある面接官が、私に問うた。 「麻布高校出身ということは、同級生で医学部に進んだ人も多いと思うけど、 そういう人たちに、医学部がどういうところか等、訊いてみた?」というのである。
私には、友人にそういう質問をするという発想が全くなかった。 というより、親しい友人には医学部への進学者はいなかったと思う。 また、逆に私が「工学部って、どういうところ?」と訊かれれば困惑したであろうし、医学部についても同様であろうと思われる。 そこで「いえ、特には訊いていません」と答えると、面接官はすかさず 「友達いないの?」とおっしゃった。 確かに、友達は少ない方である。「友達がいない」といっても、まぁ、当たっているかもしれない。 しかし、ねぇ。
ここまで読んでいただければわかるように、生物系出身でないことは、 編入学試験において何ら不利にはならない。 むしろ、背景となる知識や経験、思考の幅という意味において、生物系出身者よりも圧倒的に有利である。
何より、閉塞した医学界の未来を切り拓くためには、そうした異分野からの 新しい発想、新しい人材の流入が不可欠である。 過去の経歴に拘ることなく、ぜひ、医学の世界へ来られよ。
私は、KALS で様々な人に出会った。 意外と多かったのが現役大学生と、海外留学からの帰国組である。 看護師などの有職者もいたが、私を含め、失業者も多かった。 年齢も、従って 20 歳そこそこから、上は 40 程度まで幅広い。 大学既卒者が多いが、出身大学としては東京大学、京都大学、慶應大学、 上智大学など、いわゆる名門出が多かった。 不思議なことに生物系出身者が多く、それ以外の自然科学系は少なかった。 人文科学系は、もちろん、少ない。
大抵の場合、編入志願者は本当の志望動機を言いたがらない。 それは、あまり威張れるような動機を有していないからであろう。 だが、率直にいえば、就職できない、クビになった、などが多いのだと思う。 我々は、そうした窮地からの逆転を図って医学部編入を狙うのであるが、 結局は合格に至らず、別の道を模索することになる人も少なくない。
編入試験の競争率は概ね 20 倍程度と高めであるが、 実際に合格争いに加わっているのは、せいぜい 2 倍か 3 倍程度であるように思われる。 すなわち、私のように面接で苦戦する例を別にすれば、 合格する人はすんなり合格するし、合格しない人は、いくら粘っても合格しない。 くじ引きではないのだ。
学問には、素養が必要である。誰でも頑張ればできるというものではない。 今から編入を目指す諸君には、そのことを忘れないでいただきたい。