これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は、京都大学工学部時代にはあまり熱心に勉強する学生ではなかった。 それというのも、当時はあまり明確な目的意識を持っておらず、なぜ学問をするのか、ということについてはっきりとした解を見つけるに至っていなかったからである。 しかし科学者としてのあり方、学問への向き合い方、といった理念的なことに関しては、しっかりと学んだ。
京都大学時代には、多数の素晴らしい先生方と出会う幸運に恵まれた。 私に教科書の読み方を教えて下さったのは、イラン出身で工学研究科の I 教授である。 大抵の教科書というものは非常に厚く、読むのに時間を要し、一方で我々の勉強時間は有限であり、 従って、必要に応じて「即座に役立つ」項目のみを拾い読みする、というような読み方をしがちである。 それに対し I 教授は、良い教科書というものには必ず全体を通したストーリーが存在し、 その流れを汲み取ることこそが、勉強というものの真髄である、ということを指摘された。 平たく言えば、最初のページから最後のページまで順番に読むのでなければ、勉強したことにはならない、ということである。 それは当然のことではあるが、現実的な制約から、ついつい、我々が怠りがちなことでもある。
今、私の前には勉強すべき事項が山積みである。 解剖学、組織学、病理学、および微生物学は今年度の前半のうちに勉強しなければならないし、 後半には研究活動を行う一方で、免疫学、薬理学、生理学、生化学を修めねばならない。 無論、試験に合格し単位を取るだけでは、勉強したことにはならない。
名古屋大学医学部の澱んだ空気の中で私を支えてくれているのは、京都大学で身に付けた科学者としての誇りである。