これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2013/10/10 『白い巨塔』

本日の講義でチラリと、山崎豊子の『白い巨塔』の話が出た。 私はテレビドラマの方はみたことがないのだが、原作小説は新潮文庫の全五巻を持っている。

『白い巨塔』は、浪速大学という架空の有名大学の医学部において、財前五郎という外科の助教授が 医療過誤により患者を死なせながらも、権謀術数を用いて教授選や訴訟を闘う物語である、とするのが一般的であろう。 基本的には、医学界の闇の部分、ドロドロした不潔な部分を露にした作品であるが、 さすがに昨今の医学界は、この作品の舞台になった時代よりは、だいぶマシになったと言われている。

さて、『白い巨塔』の中心的な登場人物といえば、外科の財前や内科の里見であるが、 ぜひ病理の大河内教授や都留博士にも注目していただきたい。 彼ら病理医は、常に患者の側に立ち、医学に対する誠実で中立的な立場を保って描かれている。 以下に、大河内教授の言葉の一部を紹介しよう。

(外科の今津教授に対し、病理検査の重要性をあらためて強調して)
(法廷で、遺族に病理解剖を勧めた里見に対する被告側の批判に反論して)
(第一外科教授選の選考委員会の席上で)

「医学というものは、病理から出て病理に帰すものだよ」という言葉は、作中の文脈からは 病理診断や病理解剖の重要性を強調した発言であるようにも思われるが、もう少し広い意味に解釈してもよかろう。 すなわち、症状や検査結果をみて治療方法を決定する過程は、いたずらに経験に依るべきではなく、 そこには必ず病理学的な考察が必要なのである。 ただし、ここでいう病理学とは病理診断の意味ではなく、 疾患の本態を究明し理論を構築するという病理学の本来の有様をいう。


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