これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
思い出話である。
あれは、博士課程三年生の春であったと思う。 当時、私は退学を決意する直前であり、指導教員と険悪な関係にあった。 私は、修士課程学生に対する研究指導のあり方について疑問を抱き、学生本人や助教らに対し、頻繁に意見表明をしていた。 私のそういう態度を不愉快に感じていたのだろう、ある日助教は私に対し、 「余計なことを気にせず、何のためにここ (大学院) に来たのか、初心にかえってよく考えよ」と言った。
たぶん、彼は「君は博士の学位を取るために大学院に来ているのだから、下級生のことに不必要に構わず、 自分の研究と論文に集中したまえ」という意味で言ったのであろうと、私は理解した。 ずいぶんと、見損なわれたものだ、と思った。
学位の取得を目的に大学院に進学する学生は、確かに少なくない。 当時の研究室内にも、某発展途上国からの留学生で、 どうすれば学位を取れるかということにばかり腐心し、純粋な学術的好奇心は乏しい者がいた。 だが、それは本来の大学院の姿とは異なる。 大学院生は、駆け出しの研究者であり、研究をするために大学院にいるのであり、 学位などは、研究の成果として必然的に授与されるに過ぎない。 学位は当然に得られる産物なのであって、それを目標に努力するような性質のものではないのだ。
いうまでもなく、私も、学位のために大学院に進んだわけではない。 研究をするために、科学を探求するために、進学したのである。 科学的良心を捨て、自らの学位取得に専念してしまえば、それはもはや科学者ではなく、従って大学院生でもない。
学生に科学者の良心を教えず、学位の取得に専念させるのであれば、それはもはや大学院ではない。 私は、あくまで科学者であり、大学院にいたかったのであって、学位が欲しかったわけではない。 あの助教の言葉により「ここはもはや大学院とはいえず、私のいるべき場所でもない」との思いが確固たるものになった。
助教は、私に苦手意識はあったろうが、嫌ってはいなかったと思う。 彼の発言は、あくまで、私を思い、私に学位を取らせようとしての言葉であっただろう。 それでも、四年間もつきあっていたにしては、あまりにも私を理解していない発言であった。 私と彼とのコミュニケーションは、そこまで不足していたのだろうか。