これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
工学部時代の私は、履修登録した授業が面白くないと判断すると、以後、出席せず、試験も受けずに単位を放棄していた。 それ故、四年生になると卒業要件の単位数を満足できなくなり、やむなく一年生や二年生向けの授業を再履修した。
そのような事情で、私は、一年生向けの微分積分学を、三年生だか四年生だかになってから、履修したのである。 この授業を担当した非常勤講師も味のある人物で、 「講義中に飲食するのは、私は構わない。別に朝食を摂りながら話を聴いてくれて構わない。 しかし他の先生はどう思うか知らないから、これはあくまで、私の授業に限ったことである。」とおっしゃった。 そこで私は公然と朝食のサンドイッチを食べながら授業を受けたのだが、 他の学生は生真面目な人物が多く、私以外には授業中に食事をする者はいなかった。
この講師は、あるとき、学問に対する姿勢として、次のようなことを我々に語った。 「学問や研究というものは、結果が全てである。いかに努力しようとも、成果の上がらない研究には意味がない。 また、達成した成果が同じであるならば、払った努力の量が少ないほど優秀だということになる。 すなわち、自分がいかに努力したかを述べることは、自分がいかに無能であるかを述べることに他ならない。」
ただし、昨今の名大医学科をみるに、「成果」というものについて大いに誤解があるように思われる。 学問における成果というものは、試験の点数だとか、国家試験における合格だとか、そのような矮小なものではない。 医学についていうならば、医の新境地を開拓し、医道の何たるかを世に示し、医師の理想像を体現することこそが、 学問として医学を修めることの成果である。