これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
病理診断というものがある。 原義はともかく、現状では患者の病変から細胞や組織を少しだけ頂戴して、 その形態等を顕微鏡下で観察することにより、いかなる疾患であるか診断することをいう。 診断を下すにあたり、病理診断が有効な疾患とそうでない疾患があるが、癌は前者である。 原則として、病理診断により癌だということが判明しなければ、癌を癌と言いきることはできないし、 病理診断なしに癌の切除手術をすることは稀である。
病理診断にあたっては、形態学的変化が重視される。 すなわち、腫瘍、特に悪性腫瘍では、細胞や組織の形態や構造に異常がみられる。 たとえば大腸癌であれば、典型的には良性腫瘍では細胞の極性が乏しくなり、 核には染色体の濃縮が生じ、核小体様の濃染部位が認められる。 悪性腫瘍になると染色体の濃縮は高度になり、細胞の極性は失われ、組織異型が生じる。
ここで私が問題にしたいのは、このような形態学的判断は悪性腫瘍の診断について本当に感度が高いのか、という問題である。 換言すれば、病理診断で形態学的異常が認められずに良性腫瘍あるいは非腫瘍性病変とされた疾患の中に、 本当は悪性腫瘍であるような病変が、ある程度含まれている可能性があるのではないか、ということである。 ただし、生検において適切な部位を採取できなかった、というような例については別の問題であるから、ここでは扱わない。
先入観で議論しても仕方ないので、ここではあくまで論理に注目していただきたい。 もし強い細胞異型や組織異型が認められたならば、それは遺伝子の異常を強く示唆するのであり、 高度な遺伝子の異常と細胞の増殖が併さっているならば、それは悪性腫瘍であるとする蓋然性が高い。 しかし、逆はどうか。 腫瘍性病変となるためには、高度な形態学的異常は必須であろうか。 もし、形態学的異常を伴わない悪性腫瘍があり得るならば、形態学に基づく病理診断は 確定診断としての信頼性が乏しいということになる。
理屈の上では、形態学的異常は腫瘍性増殖に必須ではない。 たとえば慢性胃炎では、炎症による組織破壊に対する反応性変化として、 再生異型を伴う陰窩上皮の増生が認められる。 細胞レベルで考えれば、炎症により何らかの形で、陰窩上皮に対する増殖刺激が加わっているわけであるが、 何らかの適切な変異さえあれば、炎症も組織破壊も存在しない状況で、細胞が同様の増生を示すことは理論上、あり得る。 ひょっとすると、これが、いわゆる過形成性ポリープの本質なのかもしれない。
ここで言葉の定義を確認したい。 腫瘍とは、外部からの増殖刺激を必要とせずに自律的に細胞が増殖するものをいい、 過形成とは、外部からの増殖刺激に対する応答として細胞が増殖するものをいう。 前述の私の空想が正しいならば、いわゆる過形成性ポリープは過形成ではなく、腫瘍である。 病理診断学的には、いわゆる過形成性ポリープは異型が弱く、腫瘍ではなく過形成であるとされるが、本当であろうか。
このように、形態学的診断は必ずしも病理学的な本質を反映しているとは限らない点に、若干の脆弱性があるように思われる。 我々が組織学的に良性腫瘍だと判断している腫瘍は、本当に、全部良性なのだろうか。