これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/01/20 言葉の定義

貧血の定義については2017 年の記事も参照されたい。

医学の世界における極めて悪い習慣の一つに、言葉を正確に定義しない、というものがある。 たとえば「貧血」という語を考えても、定義は曖昧である。

たとえば医学書院『医学大辞典 第 2 版』では、貧血は「赤血球の減少により、 血液単位容積中のヘモグロビン濃度が絶対的に減少した状態をいう」とある。 一方で『ハーバード大学テキスト 血液疾患の病態生理』 p.25 には 「貧血とは, 循環している赤血球量が著明に低下した状態と定義される」とある。 すなわち、前者は濃度で、後者は量で、定義しているわけである。 いうまでもなく、濃度と量は異なる概念であるから、両者の定義は同一ではない。 たとえば大量出血や高度の脱水により血液量が減少した状態は、医学書院の定義には該当しないが ハーバード大学の流儀では貧血である。

生理学的な観点からは、赤血球やヘモグロビンの濃度自体にはあまり重要な意義はないので、 ハーバード大学のように総量で定義する方が、生理現象との関係からいえば合理的である。 しかし、赤血球やヘモグロビンの総量は臨床的に測定することができない。 そこで実際に測定可能な量である濃度を総量の代わりに用いて定義することにも、 一定の合理性がある。 実際、上述のような急性の大出血や脱水などの場合を除けば、だいたい、 濃度と総量の間には強い相関があるから、どちらで定義しても多くの場合には問題にならない。

そこで医学界の住人の多くは、どちらでも良い、と考え、定義の統一を図っていないようである。 これは、物理学や工学の住人からすれば、とんでもなく野蛮なことであろう。

こうした、実にくだらない、無益な論争が生じてしまうではないか。

簡単なことである。生理学的な観点から「量」をもって定義と為し、 臨床的には「濃度」をもって指標とする、ということにすれば済むではないか。 その程度の言葉の統一もせずに、曖昧な用語によって漠然とした議論を行うことは、 我々医学界の住人の見識の乏しさと知的水準の低さを露呈しているに等しい。

実害もある。 医学界そのものが言葉の定義に無頓着なのだから、必然的に、学生も定義に注意を払わなくなる。 「貧血を起こして倒れた」などと医学的には意味不明な言葉を発する学生がいるかと思えば、 「心筋梗塞の組織像では心筋の壊死がみられる」などと、あたりまえすぎることを言う者もいる。 前者の例では、たとえば「貧血があるために、起立性低血圧を来して失神した」ということであろう。 なお、世間では失神を「意識消失」と同義で使うことがあるが、 医学的には「脳の血流低下により意識を失うこと」に限られる。 後者の例では、そもそも「梗塞」とは「虚血により組織や細胞が壊死すること」をいうのだから、 心筋梗塞において心筋が壊死しているのは自明である。

言葉を正しく理解せずして、学問や議論ができるとは、到底、思われない。


戻る
Copyright (c) Francesco
Valid HTML 4.01 Transitional