これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
10 月 8 日に続いて、臓器移植の話である。 臓器移植といってもいろいろあるが、ここでは脳死者からの臓器移植に限ることにする。
私は、公益社団法人日本臓器移植ネットワーク (以下、ネットワーク) に対し、少なからず不信感を抱いている。 ネットワークが作成したポスター等をみると、 「あなたの意思で救える命があります」とか、「いのちの贈りもの」とかいうような表現が、しばしば用いられている。 まるで「臓器移植は良いことである。人のためになる、素晴らしいことである。」と、言っているかのようである。 さらにいえば「臓器提供を拒否する奴は自分勝手だ」とでも言われているような、プレッシャーを感じる。 はたして、臓器提供とは、そういうものなのか。 「臓器を提供する権利も、提供しない権利も、等しく尊重される」という一方で、 「提供してくれ、提供してくれ」などとプレッシャーをかけるとは、一体、どういうことなのか。 それが、提供しない権利を本当に尊重している態度なのか。
臓器移植は、人の死生観や宗教観、哲学にかかわる問題である。 脳死が人の死であるかどうか、社会的必要に応じて部分的に法律で規定されているとはいえ、 あくまで根本的には、各人がそれぞれに考え、決めることである。 脳死後の臓器を「不要なもの」と考え移植に供したいと考える人がいるのも当然だし、 脳死を死とは認めずに、臓器摘出を殺人に等しいと考える人がいるのも自然なことである。 従って、臓器提供は、良いことだとか悪いことだとか、一概に言えるようなものではない。 このような観点からすれば、ネットワークが用いている文言は価値観の押しつけであり、不愉快である。
先日、ネットワークのとある職員と話をする機会があり、上述のようなことを述べたところ、 「おっしゃる通りであり、私も個人的には、ああいう文言には引っかかるところがある」とのことであった。 その方の考えでは、あくまで自発的に臓器を提供したいという人や臓器を欲しいという人がいた場合に、 それらを仲介するのがネットワークの仕事であり、 臓器移植を推進することが目的ではない、とのことであった。 その話を聴いて、私は、とてもすっきりした。
だが、臓器移植に関わっている医師の話などを聴くと、 どうやら、臓器移植は良いことであり、推進すべきであり、移植件数の増加を目指すべきである、 というような考えの持ち主も少なくないような印象を受けた。
いかがなものだろうか。