これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/02/03 統計学的 Evidence

11 月 5 日に書いた EBM の話に関連する話題である。 先日、同級生の某君と話していて、これまで統計学的 evidence について誤解していたことに気がついた。 統計学に通じている人からすれば当然のことであろうし、こうした誤解は工学部出身者として恥ずかしいのだが、 この日記の趣旨に基づき、赤裸々に全てを語ることにする。 統計学的な話ではあるが、公衆衛生学だか何だかで習う程度の内容なので、医師や医学部生であれば誰にでもわかるはずである。

現在、最も有力な evidence とされているのは二重盲検による検証、あるいはそれに基づく、いわゆるメタ解析である。 すなわち、ある薬が有効かどうかを調べる際には、薬と偽薬 (placebo) を用意し、患者にはどちらかを無作為に投与する。 このとき、真の薬と偽薬のどちらが投与されたかは、医者にも患者にもわからないようにしておく。 そうした上で、真の薬か偽薬か知らないままに治療効果があったかどうかを判定する。 その結果として真の薬を投与された患者の方が良好な治療成績が得られたならば、この薬には効果がある、と結論するのである。 この二重盲検は、統計学用語でいえば、一種の検定を行っているわけであるが、具体的には 「この薬には効果がない」という帰無仮説の棄却を行っていることになる。 すなわち、二重盲検で「有意差あり」という結論が得られたならば、「この薬には何らかの効果がある」と推定される。

たとえば、感冒、すなわち上気道感染症に対し、抗生物質であるアモキシシリンが有効かどうかを考えよう。 アモキシシリンはペニシリン系の抗生物質であり、細胞壁の合成を阻害することにより細菌を死滅させるものであるから、当然、ウイルスには無効である。 一方、感冒の大半はウイルス性であるが、中には細菌性の感冒も存在する。 従って、大規模な二重盲検試験を行えば、アモキシシリンは感冒の治療に有効である、という結論が得られるはずである。

さて、何らかの理由により、この患者はウイルス性の感冒であると事前にわかっていたとしよう。 このとき、この患者にアモキシシリンを投与することは正当だろうか。 短絡的な頭脳を持つ医者は、したり顔で「アモキシシリンは感冒に有効だという科学的エビデンスがある」などと言い、 感冒患者にドシドシとアモキシシリンを処方して金を稼ぐであろう。 しかし冷静に考えれば、抗生物質がウイルスに無効である以上、この患者にアモキシシリンが奏効するはずはなく、この投薬は不適切である。 では、どうして、二重盲検の結果を眼前の患者に適用することができないのか。

二重盲検において患者群の中に、その治療が有効な患者と無効な患者が混在している場合、 充分に大規模な試験であれば「有意差あり」との結論が得られる。 すなわち、二重盲検の結果は「少なくとも一部の患者には効果がある」と言っているだけであり、 眼前の患者がその「一部の患者」に該当する可能性があるかどうかは、何も言及していないのである。 今回の例では、患者は「ウイルス性感冒」なのであって、病原体を問わない「感冒一般」について行った上述の二重盲検とは、背景が異なる。 従って、当該二重盲検の結果を、そのままこの患者に当てはめることはできないのである。 このことを、私はつい先日まで、はっきりとは認識していなかった。

このように考えると、患者はそれぞれ固有の背景要素を持っている以上、 二重盲検の結果をそのまま各症例にあてはめられる例は、実は少ないといえよう。 統計学的推論は、あくまで、病理学的、薬理学的、その他理論的な検討を尽くした上で、どうしても残ってしまう未知の領域、 いわば生命の神秘的な要素について、エイヤッと占う目的に限定して用いるべきである。

以上の議論から導かれる一つの結論として、癌治療に関する統計学的推論は非常に難しいということがいえる。 癌は非常に heterogeneous な疾患であり、同じ癌は世界に二つとして存在しないと言えるほどである。 癌の治療法について統計学的手段により有効性を調べることはできるが、 しかし眼前の患者について、その治療法が奏効する可能性を統計学的に論じることは極めて困難である。 その患者に固有の背景を全て無視して、たとえば「胃癌である」というだけの情報から統計学をあてはめることは可能であるが、 それは背景因子を無視した推論である以上、非常に粗い推定であるといわざるを得ない。 個別具体的な事例について議論するには、どうしても、病理学的、薬理学的、生理学的な議論が不可欠である。


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