これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
「地域医療」という言葉が一部に流行しているようである。 名古屋大学医学部医学科でも「地域医療学」という講義が行われており、 何やら現代医療において非常に重要なことがらであるらしい。 しかしながら、講義を受けても教科書を調べても、私には結局、「地域医療」という言葉の定義がわからなかった。 「医療」と「地域医療」の違いは何なのか。同じものではないのか。 「地域医療ではない医療」には、具体的にはどのような医療が該当するのか。 1 月 20 日にも書いたような、言葉を明確に定義しないという 医学界の悪癖が、ここにも露呈しているように思われる。 同級生の某君は「国立がんセンターにおける医療などは地域医療に該当しないのではないか」と言っていた。 ひょっとするとそうなのかもしれないが、いまいち、釈然としない。
同様に曖昧な使われ方をする言葉の一つに「医学的」という語がある。 「全人的医療」という、これまた曖昧な標語の下に、「医学的事項だけでなく、患者の社会的背景まで考えて治療方針を云々」 などという言葉を、何かの講義で聴いたことがある。 私は「患者の社会的背景を考えて治療方法を選択するのは、医学的の範疇ではないというのか」と不満に思った。
一部の人々は、医学と生物学を混同しているのではないだろうか。 医学の目的は、人の健康を守り、尊厳を保つ助けをすることにある。 生物学が医学の中核を担っているのは確かだが、それに心理学、物理学、 その他あらゆる自然科学的、人文科学的な要素を総括するのが医学ではないか。 患者の社会的背景を考慮して治療方針を決定するのは現代医学では当然であり、「医学的事項だけでなく」とするのは誤りである。
このように医学の範疇は拡大してきているが、同様に医学の目的も変化しつつある。 大昔は、医学の目的は「人の命を救うこと」であったらしい。 そのため、とにかく命をつなげば良い、死なせなければ良い、ということになり、いわゆる延命治療が発達したのだろう。 しかし現代では、いわゆる尊厳死の是非が問われ、臓器移植が議論になり、予防医学が重視されていることからわかるように、 いかに健康を守るか、いかに人の尊厳を守るか、ということが医学の目的になりつつある。
思うに、基礎医学の発展が医師ではない基礎科学者によって担われ、医師はひたすら臨床を重視してきたがために、 ただ技術のみが進歩してしまい、医学の目的や倫理といった哲学的あるいは宗教的な側面が忘れられてしまったのではないか。 安定した高収入を欲する者が医師を目指す時代であり、学生は試験に追われて、志を胸に抱く余裕もない。
名古屋大学医学部医学科四年生の中で、講義への出席要件緩和を求めて署名運動を展開しようとする動きがあるらしい。 その首謀者が言うには、学生に講義への出席を義務付けることで、かえって教育の質が低下している、とのことである。 確かに、昔、大学というものが輝いていた頃には、出席の義務などはなかったそうである。