これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2013/10/04 診療と責任

名古屋大学医学部医学科四年生では、PBL と呼ばれる形式の学習が行われる。 これは、実際の、あるいは架空の症例を教員側が提示し、 それに基づいて学生が自主的、主体的に調べ、学ぶというものである。 具体的な学習目標は教員側からは明示されず、それも学生側が自主的に設定するのであるが、 基本的には臨床の場における考え方を修得する、ということに主眼があると考えられている。 PBL は学生 9 人程度のグループで行われ、各グループに一人の教員が「チューター」としてつく。 チューターの役割は、学生の評価や、議論が極端に逸脱しかけた場合に修正することであり、 特にチューターが学生に講義するわけではない。 こうした形式の学習を取り入れるのは良いと思うが、残念ながら、 名古屋大学医学部医学科においては、理想と現実の間に大きな乖離があるように思われる。

第一に、明らかに熱意を欠くチューターが少なくない。 チューターのほぼ全員は臨床医であり、多忙であるため、チューター業務に時間を割きたくないと 考えている人が少なくないようである。 そのために、PBL は 90 分が規定の時間であるにもかかわらず、 それよりも短い時間で終了とするケースが多い。 また、一つの症例を二日ないし三日に分割して扱い、 学生が自主的に調べ物をする時間を確保することになっているにもかかわらず、 一日だけで終わらせてしまい、二日目を自習時間としてしまうことがある。 結果的に、「学生が自主的に調べ、学ぶ」という PBL の目的が達されない例も少なくない。

最大の問題は、臨床医学教育のあり方について、教員の間で、あるいは教員と学生の間で、 十分な議論がなされておらず、合意も形成されていないことであると思われる。 「こういう症例では、このような検査と治療を行う」というパターンを たくさん覚えさせることが臨床医学教育である、というような認識を持っている学生や教員が、多いのではないか。 それも一つの考え方であるかもしれないが、はたして、それで立派な医師が育つだろうか。

勤務医も含めて、医師が高い給料を得ていることは事実である。 その分だけ労働が厳しいなどという人もいるが、医師よりはるかに厳しい環境で、 はるかに安い賃金で働いている人など、今の日本にはごまんといる。 医師の高給を正当化するとすれば、その重大な責任に対する報酬であると考えるしかない。

高い報酬を受け取る以上、無思慮にルーチンワークとして検査をすることは許されぬ。 「ガイドラインにそう書いてあるから」とか「検査部がそう言っているから」とかいう責任転嫁は認められない。 患者に対する責任は、全て、我々が背負うのである。 「教えられた通りにやりました」という言い訳は通らないし、 「まぁ、いいんじゃいないの」では患者は納得しない。

あと三年後には、我々は医師として、そういう立場に立っているのである。 そのことに対する不安や恐怖を、他の学生諸兄姉は、どれだけ感じているのだろうか。

2013/12/14 語句修正

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