これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/02/20 ロイコボリン救援療法 (2)

3 日前に書いたロイコボリン救援療法について、一定の理解を得るに至ったので、ここにまとめる。 葉酸代謝の専門書をみれば詳しく書いてあるのかもしれないが、そうした専門的な書物を私はみつけられなかったので、論文に頼った。 参考にしたのは、ロイコボリン救援療法の理論的基礎についての、次のレビューである。 27 年も前の論文であるが、私が調べた範囲では、これが最新の情報であった。 なお、著者は現在 Yeshiva University Albert Einstein College of Medicine の教授で、葉酸トランスポーターの専門家であるらしい。

I. D. Goldman, L. H. Matherly, ``Biochemical Factors in the Selectivity of Leucovorin Rescue: Selective Inhibition of Leucovorin Reactivation of Dihydrofolate Reductase and Leucovorin Utilization in Purine and Pyrimidine Biosynthesis by Methotrexate and Dihydrofolate Polyglutamates'', NCI monograph 5, 17-26 (1987).

この論文は名古屋大学に所蔵されていなかったので ILL 文献複写を依頼したところ、 鳥取大学附属図書館医学部分館から 3 日で届いた。実にありがたいことである。 なお、この論文の英語はいささか冗長に感じられ、私のように英語力の乏しい者にとってはやや難読であるが、説明は丁寧である。 葉酸代謝について、『ハーバード大学テキスト 病態生理に基づく臨床薬理学』に書かれている程度の基礎知識があれば、充分に理解できる。 余談であるが、同書は薬理機序について明快に、かなり詳しく解説した良書であるので、医学科の諸兄姉には、ぜひ一読することを強くお勧めする。

まず、葉酸の働きについて確認しよう。葉酸はメチル基転移反応の補酵素であり、様々な酵素に用いられる。 中でも、チミジル酸シンターゼが医学的に重要である。 チミジル酸シンターゼは、dUMP をメチル化して dTMP を合成する酵素である。 核酸合成には de novo 経路と salvage 経路があるが、チミジル酸は RNA に含まれていないのだから、 salvage 経路でいきなりチミジル酸が合成されることはないと考えてよい。 すなわち、チミジル酸の合成には dUMP のメチル化が必須である。 なお、このチミジル酸シンターゼを阻害する薬剤が 5-フルオロウラシル (5-FU) やフルシトシンである。

初等的な教科書に書かれている説明を繰り返しても仕方がないので、核酸合成経路の説明は省略した。 何を言っているのかわからない人は、核酸合成経路を、もう一度、復習していただきたい。 蛇足であるが、私は病理学の基礎を学んだ際、不勉強であったためにチミジル酸合成には dUMP のメチル化が必須であることを認識しておらず、 葉酸欠乏で巨赤芽球性貧血を来すことが理解できず苦しんだ。 すなわち、どうして RNA は合成できるのに DNA は合成できないのか、わからなかったのである。 ところが、あるとき道端で一学年下の「教授」と呼ばれる秀才に、なぜ葉酸欠乏で巨赤芽球が生じるのか尋ねたみたところ、上述のようなことを教えられ、納得した。

さて、葉酸は細胞内でイロイロと代謝されるわけだが、補酵素として活性を有するのはメチレンテトラヒドロ葉酸 (methylenetetrahydrofolate; MTHF) である。 これが補酵素として使われると、メチル基を失ってジヒドロ葉酸 (dihydrofolate; DHF) になる。 DHF はジヒドロ葉酸レダクターゼ (DHFR) によって還元されてテトラヒドロ葉酸 (tetrahydrofolate; THF) となり、さらにメチレン化されて MTHF に戻る。 この DHFR を阻害する薬剤が、抗癌剤として用いられるメトトレキサート (methotrexate; MTX) や、 ST 合剤の「T」であるトリメトプリム trimethoprim, およびトキソプラズマやマラリアに有効なピリメタミン pyrimethamine である。

では、MTX を抗癌剤として用いる場合について考えよう。 抗癌剤である以上、腫瘍細胞を選択的に殺傷しなければならないのだが、その選択性の理論的基礎はどのようなものか、という点が、本日の主題である。 MTX は、基本的には能動輸送で細胞内に取り込まれるのだが、この能動輸送は、葉酸を取り込むトランスポーターが担うらしい。 一方、MTX は多少は脂質二重層の膜を透過するため、いくらかは受動拡散により細胞外に漏れ出すらしい。 ふつう、葉酸取り込みのトランスポーターはあまり多量には発現しておらず、すぐに飽和するため、 MTX の取り込みは基本的には 0 次速度論に従って、すなわち細胞外の MTX 濃度に依存せず一定の速度で、取り込まれる。 一方、薬物の漏出は単純拡散であるから、細胞内外の薬物濃度差に比例する速度で行われる。 また、leucovorin は MTHF の前駆体であり、これも通常は葉酸トランスポーターにより能動的に細胞内へ取り込まれる。

以上のことから、古典的に言われてきた、ロイコボリン救援の第一の機序が説明できる。 まず、ロイコボリン救援療法が有効なのは、葉酸トランスポーターの変異あるいは血液脳関門などの生理的障壁により MTX を 細胞内にあまり取り込まない腫瘍であることに注意されたい。 MTX を多量に投与すると、葉酸トランスポーターの活性が低い細胞であっても、受動拡散によって MTX が細胞内へ取り込まれる。 そこで低濃度のロイコボリン leucovorin を投与すると、leucovorin は葉酸トランスポーターの活性が低い細胞にはほとんど取り込まれず、 正常に葉酸トランスポーターを発現している正常細胞に選択的に移行する。 leucovorin は、MTX に拮抗することで DHFR の阻害を解除する。 正確にいえば、これは leucovorin ではなく leucovorin が代謝された産物の作用なのだが、ややこしくなるので、いささか不正確ではあるが leucovorin と表記する。 このため、leucovorin 投与により「葉酸トランスポーターを正常に発現している細胞」が選択的に救援されるのである。

1980 年代になって、どうやらロイコボリン救援療法の選択性には、 MTX や DHF のポリグルタミル化 polyglutamylation が重要らしい、ということが報告された。 MTX は細胞内でモノグルタミル化 monoglutamylation されて安定化する。 さらに polyglutamylation されることもあるのだが、抗癌剤で副作用を生じやすい骨髄や腸管上皮などの正常細胞では、ほとんど polyglutamylation されないらしい。 その一方で、一部の腫瘍細胞では MTX や DHF に著明な polyglutamylation が起こるらしい。 さて、polyglutamylation された MTX や DHF は DHFR などの酵素を阻害するのだが、 この阻害はどうやら leucovorin と拮抗せず、すなわち非競合阻害であるらしい。 従って、高度な polyglutamylation を来す腫瘍細胞は、たとえ leucovorin が細胞内に到達したとしても、救援されない。 これがロイコボリン救援の第二の機序である。

こうした二つの機序により、ロイコボリン救援療法では、著明な polyglutamylation を来す腫瘍細胞を選択的に傷害するのである。 当然のことながら、葉酸トランスポーターを正常に発現して、しかも polyglutamylation を来さないような腫瘍細胞は、leucovorin に救援されてしまう。

2 月 25 日に補足記事がある
2014/02/25 ロイコボリンについて補記

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