これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/03/13 動物慰霊祭

本日、雨天の中、名古屋大学医学部では動物慰霊祭が行われた。 これは、簡素ではあるが、動物実験で犠牲となった動物の霊を慰める祭典である。

名古屋大学医学部医学科では、三年生の後半に基礎医学の研究室に配属され、また、一部の学生は任意に研究室に通い、研究指導を受ける。 時に勘違いしている人がいるが、研究と実験は同義ではなく、全く実験を行わない研究もある。 とはいえ、医学研究は何らかの形で動物実験と関係することが多いため、医学科三年生の多くは動物実験に関与している。 ところが、本日の慰霊祭では、昨年に較べると、三年生の参列者が少なかったように思う。なぜだろうか。

率直にいえば、慰霊祭の位置付けには繊細な問題があるだろう。 動物実験を巡っては、いわゆる動物愛護団体などからの厳しい批判があり、時には実験を妨害するために違法な活動が為されることもある。 そこで動物実験に対する批判を緩和する目的で慰霊祭を行っているという側面も、あるのではないかと感じられる。 また、自分達の都合で動物を殺害しておきながら、その冥福を祈るなどというのはあまりに自分勝手であり、偽善的だという批判もあるだろう。 このような観点からすれば、ある種の正義感の表現として慰霊祭をボイコットするという態度は、合理的であるといえる。 あるいは、単に宗教上の理由から、動物の霊を慰めるという概念を否定する人もいるだろう。

このように、宗教的、あるいは社会的信条に基づいて慰霊祭を欠席するのであれば、何ら問題ない。 あるいは、どうしても実験等で手が離せずに参列できなかったのであれば、スケジュール管理にいささかの問題はあるかもしれないが、やむを得ないといえよう。 しかしながら、もし、単に面倒だからとか、雨が降っていたからとか、そういう理由で欠席したのであれば、 医師として、あるいは医師の卵として、倫理的に問題があると思う。 もちろん、中には直接的には動物実験を行っていない学生もいるであろうし、私もその一人ではあるが、医学を修める以上、 少なくとも間接的には動物実験の恩恵を受けていることは確かである。 「私は直接、動物を殺してはいない」などという釈明は、成立しない。

私は、自身に帰属する property の中で、生命が何よりも尊いとは思わない。 最も大切であり、時には生命より優先すべきものは、人としての尊厳である。 自らの尊厳を守るということは、他者の尊厳を守るということでもあり、それはヒトに限らず、実験動物についても同様である。 また、我々にとって、動物実験は必要不可欠である。これは、食料として動植物を殺傷せねばならないことと同様である。 従って、我々の職務として実験動物を殺傷することは、不可避である。 ゆえに、我々は、実験動物の尊厳を守る形で動物実験を行わなければならない。

医学を学び、医学を研究する中で、宗教や思想上の特別な事情がないにもかかわらず慰霊祭に参列したいという強い思いが湧き起こらない人がいたとすればとすれば、 その人は、何か大切なものを忘れてしまっているのではないだろうか。


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