これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/03/14 基礎医学セミナー研究発表会

本日は、基礎医学セミナーの研究発表会が行われた。 名古屋大学医学部医学科では、三年次後半の半年間は講義が一切なく、基礎医学あるいは社会医学の研究室に配属されて研究指導を受ける。 その半年間の成果を発表するのが、この発表会である。

三十余名の学生は口頭発表を行い、残りの者はポスター発表を行う。 ただし、このポスター発表は変則的なものである。 審査員が順番にポスターをみてまわり、その際に発表者は 6 分ほどの口頭説明と 3 分ほどの質疑応答を行う。 審査員がいない時は、発表者もポスターの前から姿を消すことが多い。 ふつう、学会などで「ポスター発表」といえば、発表者は原則としてポスターの前に常時待機し、 訪れた人と 1 対 1 または 1 対少数で侃侃諤諤の議論をする、というものであり、 この双方向の議論こそが、ポスター発表の醍醐味であるといえよう。 本日のような形式のポスター発表は、口頭発表の縮小版に成り下がっており、実に寂しい。

発表者が不在のポスターとにらめっこをしてもイマイチ面白くないので、私はほとんどの時間を口頭発表の会場で過ごした。 質疑応答の時間には積極的に挙手をしたのだが、午前の部の司会をした学生からは 「あいつは、いつもくだらない質問をして貴重な時間を浪費する要注意人物である」などとマークされていたのであろう、露骨に指名を回避されてしまった。 それでも、次第に参加者が疲れてきたのか、挙がる手が減ってくると、司会者も私を指名せざるを得なくなり、私は嬉々として質問を繰り出した。

私が発する質問には、二種類ある。一つは、純粋に学術的疑問から発するものであり、もう一つは、発表者の見識の不足を指摘するものである。 後者の質問については、時に、陰湿であるとか、嫌らしいとか、言われることがあるのだが、私は、そうは思わない。 いやしくも「研究」と称する事業を為し、それを人前で発表する以上は、自らの発表内容について、誰よりも良く理解していなければならない。 もちろん、指導教員よりもよく理解していなければならない。 時に誤解している人がいるが、三年生の終わりともなれば、我々は基礎医学を一通り修めたのであるから、 基礎的な学識については既に教授に迫る位置にあるといえる。我々と教授との違いは、ただ、経験の多寡だけである。 我々が研究室で行っている研究そのものは、教授にとっても未経験のものであり、それを現に為している我々こそが、最も経験豊富な者であるといえる。 すなわち、当該研究に限って議論するならば、我々の方が、教授よりも詳しいはずである。 こんなことは工学部や理学部では常識なのだが、なぜか、医学部の学生は、そうした意識を欠くことが多いようである。

ともあれ、発表者の研究内容に関することがらであれば、門外漢の私などよりも、当事者たる発表者の方がはるかによく理解しているのであり、 私がいかに陰湿な質問を繰り出そうとも、それに回答することは赤子の手をひねるが如きものであろう。 実際、優秀な人物は、私の質問に対し即座に明瞭な回答を与え、「フフン、あんたは四年生にもなって、そんなこともわからんのか」と言わんばかりの顔をするのである。

閑話休題、発表会の感想である。 口頭発表自体は、ほとんどの人は経験が浅いであろうにもかかわらず、綺麗に発表されていたように思う。 ただ、質問への回答はいささか残念であった。 というのも、「yes」か「no」かで答えられるような質問には、まず「yes」か「no」かを述べ、さらに必要があれば補足説明する、というのが世界の常識であると思われる。 しかし、ほとんどの人はそうした指導を研究室で受けなかったのであろう、yes だか no だか曖昧なままに冗長な説明を行い、 時には、最後まで聴いても結局 yes なのか no なのかわからないようなこともあった。

ポスターに関しては、美しくわかりやすくまとめている人もいたが、率直なところ、小難しくてよく理解できないものが多かった。 これは、一つには私の学識不足が原因なのであろうが、もう一つには、書いている本人が、研究の背景や目的をよく理解していないせいであると思われる。 専門外の者にとっては、実験の詳細な方法やら結果の解釈やらは、なかなか、容易に理解できるものではない。 しかし、実験の目的や研究の背景が明らかであれば、その分野の素人であっても、発表者の述べる論理を容易に理解することができるのである。 私自身の話をすれば、大学院時代には原子炉物理学の中でも特にマイナーな分野を扱っていたため、 学会発表はもちろん、研究室内の討論会でも、発表時間の半分近くは背景の説明に費した。 このように、他分野の人に説明する場においては、研究の背景や目的を明瞭にすることが重要であるのに、目的について 「○○の△△への影響を調べること」というような曖昧な表現をする人が多かったのは、遺憾である。

2014/03/17 語句修正 (喧喧諤諤って何サ)

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