これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
特に最近、というわけでもないのだが、いわゆるエセ科学が流行している。 いわゆるエセ科学とは、実際には何の科学的根拠もないのに、あたかも科学的に証明されているかのように装った風説のことをいう。
有名な話では、たとえばコップに入った水にクラシックの音楽を「聴かせる」と美味しくなるだとか、 マイナスイオンがどうこうとか、ナノイーが云々とか、プラズマクラスターだとかいうものである。 最近は「酵素を補う」などと謳った飲食物もあるらしい。 これらは全て、一切の例外なく迷信であり、いわゆるエセ科学である。 いかにも馬鹿げた話なのであるが、こうした迷信を信じる一般人が少なくないらしいから、 日本の科学教育水準の低さには、呆れるばかりである。
とはいえ、日本を代表する大企業が、こうしたインチキ商品を開発し、大々的に宣伝しているのだから、 素人がつい騙されてしまうことには、ある程度、仕方ない面があるかもしれない。 だが、まっとうな教育を受け、確かな学問を身につけたはずの技術者達が、 こうした科学を冒涜するような商品の開発を手がけるとは、いったい、どういうことなのか。 いくら職務上の命令だからといって、そのようにして素人を欺き、神聖なる学問を冒涜することに、良心の呵責を感じないのか。
いわゆるエセ科学に、いちいち反論するのも馬鹿らしいのだが、こうした欺瞞が看過できぬほどに世間に満ちており、 しかも日本屈指の頭脳集団である医学科生の中にも、こうした迷信を信じている者が若干名ながらいるようなので、敢えてここで批判を展開しよう。
まず、コップの水が音楽で美味しくなる話について考える。これにはミカンだとか、優しい言葉をかけるだとか、 様々なバリエーションがあるようだが、いずれも、プラシーボ効果である。 プラシーボ効果の定義には、人によって若干の差異があるようだが、ひらたく言えば、 「本当は効能がない偽薬であっても、効くと思って飲めば効いたような気になる」というものである。 つまり、「音楽を聴かせたのだから、美味しくなっているはずだ」と思って飲めば、本当に美味しく感じるのである。 これが単なる思い込みであることを証明するには、次のような実験を行えば良い。 まず、A さんがコップの水に音楽を聴かせる。その水と、音楽を聴かせていない普通の水の入ったコップを用意して、 B さんに、どちらが美味しいか質問する。このとき、B さんには、どちらのコップが「音楽を聴いた」水なのかはわからないようにする。 こうした実験を行えば、B さんには、どちらの水も同じ味に感じられるだろう。
話が逸れるが、名器とされるヴァイオリンにストラディヴァリウスがある。 ヴァイオリンの弾き手も聴衆も、ストラディヴァリウスの音は素晴らしいと言うが、現代に作られたヴァイオリンと何が違うのか、現代科学をもってしても解明されていない。 そこで、ストラディヴァリウスと普通のヴァイオリンの音色について、聴衆にはどちらだか分からないようにして音の良し悪しを評価させる、 という試験が過去に何度も行われた。こうした試験では、特にストラディヴァリウスの方が評価が高くはならなかったようである。 要するに、ストラディヴァリウスも別段、名器ではなく、単なるプラシーボ効果なのであるが、なぜかクラシック関係者は、そのことを認めたがらない。
閑話休題、次はマイナスイオンやナノイーやプラズマクラスターの件である。 これらは全て、学術用語としては存在せず、各企業の広報担当者が、なんとなく科学的な雰囲気を醸しだすために作った造語である。 しかも悪質なことに、ウェブサイトなどで「仕組み」を解説する振りをしながら、結局、 マイナスイオンとは何か、ナノイーとは何か、プラズマクラスターとは何か、という定義をしないのである。 たぶん、キチンと定義してしまうと、良心的な科学者からの猛烈な批判が殺到するからであろう。 定義をしなければ、結局、何を言っているのかわからないので、論理的に批判することもできない。 実に卑劣な広報戦略である。 本来は、こうした詐欺同然の公告は政府が取り締まるべきであるが、日本政府には科学的良心がないためであろう、野放しになっている。
また、だいぶ昔からであるが、コラーゲンやグリコサミノグリカンなどで、「皮膚がプルプルになる」かのように錯覚させる公告も多い。 コラーゲンやグリコサミノグリカン、あるいはプロテオグリカンが、いわゆる肌の保湿を担っていることは確かである。 しかし、これらを経口摂取しても仕方ないことも、散々、指摘されている通りである。 腹立たしいことに、ウイスキーで知られる某企業をはじめとして 有名企業が率先して「コラーゲンを摂取すれば肌が潤う」というような誤解を素人に植えつけているため、 無知蒙昧な一部消費者は、いまだにコラーゲンを喜んで経口摂取しているようである。
さらに、最近では「人が一生のうちに作れる酵素の量は有限である」というような説を唱え、 「酵素」を補給しよう、と謳う商品もあるらしい。 これは、あまりに馬鹿らしく、呆れるばかりなのだが、一応、反論しておこう。
酵素産生量が有限である可能性は、確かに、否定できない。 その限界に到達した、という現象が、いわゆる老衰なのかもしれない。 「老衰」の本質は、未だに、謎なのである。 その意味では、酵素を補給すれば、老衰を防ぐことができるかもしれない。 しかしながら、酵素はあれば良いというものではなく、具体的にどの酵素がどれだけあるべきなのか、 緻密にコントロールしなければ、病気になってしまう。 どうして「酵素原液」なるもので一律に補給することができようか。 また、口から摂取した酵素は、胃や腸で消化され、アミノ酸になってしまう。 どうしても補給したければ、点滴などの形で補給せねばなるまい。 もちろん、いわゆる酵素液を点滴すれば、すさまじい全身性の炎症が起こり、場合によっては死に至るであろう。
稀に、糖尿病を、この酵素産生量限界説と結びつける人がいるらしい。 つまり、糖を多量摂取するとインスリンが大量に分泌され、そのような生活を長年続けていると、やがてインスリンが枯渇して糖尿病になる、というのである。 そうした現象が起こる可能性は否定はできないが、現在、臨床的にみられる糖尿病は、そのような病態ではない。 I 型糖尿病は若年発症が多く、不健康な食生活が直接の原因ではないようだから、問題外である。 II 型糖尿病の場合、細胞がインスリン不応性になっているのであり、スルホニル尿素薬などによりインスリンの分泌を促すことができるのだから、 どうやらインスリンが枯渇しているわけではないようである。 その他の糖尿病の中には、ひょっとするとインスリンが枯渇しているものがあるかもしれないが、かなり稀である。