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2013/08/30 誤差について

名古屋に来る前から思っていたことであるが、医学や生物学の人々は、誤差というものに疎いようである。 実験においては常に誤差が生じるものであるから、誤差というものを正しく理解していなければ 実験結果を評価することはできない。 医学と密接に関係する生物学の分野では、伝統的に理論よりも実験が重視されているようである。 また臨床医学においても、さまざまな検査は一種の測定であり実験であるから、誤差を考えることは常に重要である。 それにもかかわらず、医学の世界において誤差の取り扱いが軽視されていることは不思議である。

医学の世界では、よく「有意差あり」とか「有意差なし」とかいうことが問題にされるが、 これは統計学的な手法を用いた検定によってなされる。 しばしば用いられるのが t 検定であるが、これは両群が等分散の正規分布であるという非常に強烈な仮定に 基づく検定法であり、実際の実験結果に適用することは不適当であることが多い。 しかし何も考えずに t 検定を適用し「有意差あり」と強弁しているような無茶苦茶な論文は、 有名な論文誌でも散見される。

また、同じ条件の実験を繰り返せば誤差はどんどん小さくなる、などと、 中心極限定理を誤解あるいは過信している研究者も多いようである。 中心極限定理によって縮小できる誤差は、いわゆる偶然誤差であり、系統誤差は小さくならない。 従って、系統誤差が有意に存在することが疑われる状況においては、 統計学的な手法などを用いて誤差を補正することが必要になるし、それを怠れば有意な実験結果は得られない。

しかし医学や生物学の世界では、とりあえず実験を行い、とりあえずそれらしい結果が出ていれば 立派な論文として認められ、有名な論文誌にも十分に受理されるという習慣があるらしい。 多大な労力を費して系統誤差を評価、補正しても、それで論文の評価が上がるわけでも 論文数が増えるわけでもないから、結局、忙しい研究者は、誤差の評価をおざなりにする。 その結果、多くの論文は実験結果の誤差を正当に評価しておらず、科学的価値が低いままになる。

もちろん物理学者や統計学者は誤差というものを悉知している。 これらの異なる文化のいずれにも通じている人材こそが、科学研究を推進していくために必要であろう。


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