これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
9 月 15 日に書いた「性同一性障害」について、「性的指向」と「性的嗜好」を混同しているのではないか、 との指摘がありそうなので、補足する。
性的少数者に関する議論の多くや心理学などでは、性愛の対象となる性が同性か、異性か、両性か、などの 方向性のことを「性的指向」と呼ぶことが多い。 これに対し、「性愛の対象が概ね 18 歳未満の若年者である」とか「スカートを着用した女性が好きだ」とか 「教師と生徒の性的関係に憧れる」などの性的な好みのことを「性的嗜好」と呼ぶ。 そして性的指向は性的嗜好とは異なるものである、とするのが多数意見であるらしい。
しかし私としては、いわゆる性的指向は性的嗜好の一種であるように思われてならない。 性愛対象の性別に関してだけ分離して扱うことに納得がいかないため、先の記事では同性愛を「性的嗜好」と表現した。 もし、いわゆる性的指向を性的嗜好と区別するべきであるという論理的、科学的な 根拠を示した文献をご存じの方がいれば、ぜひ教えていただきたい。
Wikipedia 英語版によれば、性的指向と性的嗜好は重なる部分もあるが、 性的指向は本人の自由意思で選択するものではないのに対し、 性的嗜好は当人が任意で定める好みをも含む、とのことである。 ただし、この記述の根拠として Wikipedia で引用されている文献は、 こうした言葉の使い分けを特に支持しているわけではなく、Wikipedia の記者が 複数の文献を独自につなぎあわせて原文には存在しない意味を捏造した、 Wikipedia 用語でいう「独自研究」に該当すると思われる。 とはいえ、こうした言葉の使い分けを支持する人々からすれば、 Wikipedia 英語版の解釈が、おおむね正しいということになるのであろう。 そこで、この考え方に反論する。
わかりやすい例として、いわゆるロリータコンプレックスと同性愛の違いについて考える。 ロリータコンプレックスとは、小児を性愛の対象とすること、 あるいはそうした嗜好を持つ人のことを意味する言葉である。 すなわち、性的指向と性的嗜好を区別する考え方からすれば、 ロリータコンプレックスは本人が自由意思で選んだのであるが、 同性愛は自然の力によって、本人の意思とは無関係に決定された性向である、ということになる。
はたして、そうであろうか。 同性愛が本人の自由意思とは無関係に形成された性向であるという点については、異論はない。 しかしロリータコンプレックスの場合、当人は「ロリコンになろう」と考えてロリータコンプレックスになったのだろうか。 ロリータコンプレックスの形成機序はよくわからないが、たぶん、 小児を性愛の対象とする文化的作品その他の環境からの影響により形成されたものではないか。 そうであれば、当人にしてみれば、「気がついたらロリータコンプレックスになっていた」のであり、 自分の意思とは無関係に形成されたのだから、 性的嗜好ではなく性的指向だ、ということになる。
これに対し「当人が自由意思でロリータ作品を閲覧した結果として ロリータコンプレックスになったのだから、あくまで自由意思によって形成された嗜好といえる」という 反論があると予想される。 しかし、それは誤りである。 たとえば幼女を性愛の対象とするアニメ作品があったとして、 ロリータ趣味のない人は、そういうアニメに魅力を感じず、閲覧しないであろう。 しかし、一部の人は、そういう作品を面白いと感じ、それ故に自由意思で閲覧するのだ。 従って、自由意思で閲覧するかどうかの分岐点は、それ以前に既に何らかの要因で定められた 「ロリータアニメを面白いと判断する素因」の有無にある。 こうした素因がどのようにして形成されるのかはわからないが、自由意思と考えるのは無理がある。
別の観点からすれば、ロリータコンプレックスを自由意思だと主張するならば、 「同性愛者は自由意思によって同性と性行為をするから、同性愛者になったのだ」とも言えてしまうのではないか。 もちろん、この考えには「同性愛者は、同性と性行為をする前から同性愛者であった」と反論されるであろう。 ならば、同様に「ロリータコンプレックスは、ロリータ作品を閲覧する前からロリータコンプレックスであった」ということに、なぜ、ならないのか。
以上の議論により、同性愛とロリータコンプレックスの間に本質的な差異は存在しないと考えられる。 同性愛を容認する人の中には、同性愛とロリコンは違う、そんな変態趣味と一緒にするな、 などと論じる人がいるが、それは誤りである。 もしロリータコンプレックスが変態だというのであれば、同性愛も変態だということになってしまう。
私は、同性愛もロリータコンプレックスも、その他の少数派に属する性的嗜好も、 すべて個性として社会的に容認されるべきであると信じる。 日本という国は、アメリカなどとは異なり、そうした嗜好の多様性を認める自由の国であったはずだ。
もちろん、ロリータコンプレックスをこじらせて卑劣な性犯罪に走る輩は許されぬ。 しかし、それは多数派に属する性的嗜好の持ち主が犯す性犯罪が許されないことと、何ら変わる所はない。 一部には、ロリータ文化作品を法的に規制しようとする動きがあるようだが、 他の性的文化作品を容認する一方でロリータ物を狙い撃ちすることは、不適切であると思う。 ただし、未成年者も出入りするコンビニエンスストアで猥褻図書が公然と販売されている現状は、よろしくないと思う。