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2013/09/26 試験というもの

私は小学生の頃に、日能研という塾に 通っていた。あるとき、試験前日の夜遅くまで勉強していた私は、母から 「テストの点数などというものには大した意味がない。 試験の前日に一夜漬けて勉強して良い点数を取ったとしても、無駄である。 だいたい、試験のために勉強するという行為自体がくだらない。」というような 叱責を受けた。 それ以来、私はいわゆる試験勉強というものをしなくなったし、 そもそも試験というものを馬鹿にするようになった。 高校三年生の時には、「実力考査」という、定期試験とは異なる 校内模試のような試験が三回実施された。 この実力考査の点数と大学受験の結果は、氏名は伏せる形で公式の資料にされ、 進路を決めるための参考資料として後輩に配布されるのである。 私は試験というものが嫌いであったから、敢えて実力考査で悪い点数を取りつつ 東京大学に合格して驚かせてやろう、との悪戯心を抱いた。 そのために英語を白紙答案で提出して 0 点となり、狙い通り、 学年約 300 人のうち 250 位程度の成績を獲得したのである。 ただし結局、高校三年生時点では東京大学にも京都大学にも合格できなかった。

大学などの入学試験は、優秀な学生とそうでない学生を選別するために 実施されるが、大学に入った後の試験は、むしろ 学生に勉強する気を起こさせるための手段として実施されているように思われる。 しかし、結果として学生は試験で効率良く得点するための勉強に走り、 学問の正道を失っているのではないか。

医術を身につけ、医者として患者を治療して報酬を得るだけであるならば、 既に確立された治療法を学び、ガイドラインに沿った治療を行えば良い。 しかし、そのような医師ばかりでは困る。 新たな治療法を開発し、ガイドラインを策定し、 未来の医療を開拓していく医師が必要である。 そうした医師を育成することこそが、 名古屋大学医学部の理念である。 また、分野によっては標準的治療がガイドラインとして定まっていないことも多いし、 そもそもガイドラインは目安に過ぎず、個別の症例については各医師が個別に判断せねばならない。 教科書やガイドラインや慣習に盲目的に従う医師は、残念ながら、水準が高いとは言い難い。

正しい医療を実践していくには、既存の知識を習うばかりでは、もちろん、不足である。 習うことに加えて、疑問を呈すること、調べること、批判することが必要である。 また、新しい医療を開拓するには、これらに加えて新説を唱えること、検証することも必要である。 これらを全て備えて初めて、新しいものを生み出すことができる。 しかし残念ながら、試験で測定できるのは基本的には「習うこと」だけであり、 むしろ疑問を呈したり批判したりすれば、試験の点数は、下がる。 従って、高得点を得るには、ひたすら習うべきであり、教科書の記述を疑ったり批判したりするのは、避けた方が良い。

自慢であるが、私は中学時代からずっと、試験の問題や、 出題者が期待しているであろう解答に異論や納得できない点がある場合には、 大幅減点を覚悟した上で、異論を解答用紙に書き続けてきた。 昨年の、病理組織標本をみて所見を書く試験では、 正解が急性虫垂炎であることはわかっていたが、 不勉強な私の目には慢性炎症の組織像にみえたので、「慢性虫垂炎」と解答した。 もちろん、そのような疾患名は存在しないということは承知していたが、 点数を取るために「急性虫垂炎」などと回答することは、科学者としての敗北であると考えたのである。

疑問を持つことや批判することは、経験を積めばできるというものではない。 むしろ医師になって臨床経験を積み、慣れれば慣れるほど、「そういうものだ」という 思い込みが強くなり、疑問を持たなくなるのではないか。 「まだ経験が浅くてよくわからないから」と遠慮して、無批判に、疑問を持たずに、 教科書や講義の内容を黙々と暗記している学生がいるとすれば、たいへんに残念なことである。

2013/09/27 語句修正

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