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2013/07/20 心電図学

最近、心電図に興味を持っている。 あれこれと調べて思索を巡らせた結果、ようやく、正常心電図の波形について一定の理解を得るに至った。 その上で申し上げるが、心電図の原理について、標準生理学やガイトン生理学においてなされている説明は、誤りである。 これらの教科書は大筋においては記述が充実しており、 特にガイトンの書は生理学を神秘主義の呪縛から解放し、物理学の観点から生命現象を説明する名著である。 しかるに、心電図に関してはさすがのガイトン博士も理解が及ばなかったとみえ、意味不明な説明に終始していることは遺憾である。 心電図学は、それほどに、難解にして魔窟ともいうべき分野なのである。

心電図の技法は Einthoven によって 1903 年頃に発見された。発明ではなく、発見である。 当初は、何故にかかる摩訶不思議な波形が記録されるのか不明であったが、 なにやら心臓疾患と波形の変化に深い関係がみられるらしい、という経験的事実から、 理屈は抜きにして、臨床的に利用されるに至った。 このような経緯により、心電図は「永久の謎スフィンクス」などと呼ばれたようである。

日本においては、京都帝国大学医学部内科学教室の前川孫二郎博士が、戦前から戦後にかけて、心電図学の分野を開拓した。 前川博士は昭和十年に「日本循環器病学」誌に全七回の「臨床電気心働図講座」を連載し、 今から思えばいささか不正確な点はあるものの、電気心働図、今日でいう心電図、に理論的解釈を加えた。

昭和二十年には日本循環器病学会で連続講演を行い、「日本循環器病学」誌に掲載されている抄録によれば、 欧米で支持されていた従来の心電図理論を明快に批判し、「層電対説」なる新理論を提唱した。 これは細胞膜上に多数の電気双極子が並んでいると考え、その双極子モーメントの変化の積分が 心電図波形として記録されている、と解釈するモデルであり、 それまでの「膜説」などを統合して改良したものである。

その後、昭和二十二年には雑誌「医学」において「生物電気の理論」が三回にわたり連載され、 ここに心電図理論の基礎が確立されたといえよう。 この連載はいかにも京都帝国大学教授によるものらしく、格調高い文章の中に、率直な批判と 科学への誠実さおよび野心、そして軽妙なユーモアが交えられており、名文である。 特に「医学」昭和二十二年一月号のものは傑作であり、ぜひ一読をおすすめしたい。 この雑誌は残念ながら国会図書館には所蔵されていないようであるが、 名古屋大学や東京大学、慶應大学をはじめとして多くの大学医学部の図書館には収められている。 以下に、博士の文章の一部を紹介する。 なお、一部の漢字は表示の都合上、新字体に改めた。

前川博士は、実験結果を深く批判的に吟味することなく安直に解釈してきた過去の科学者に対し

然し理論と言ふものは實驗室で拾つた事實を糊と鋏とで綴り合せただけで決して生れるものではない。 何となれば事實は現實にその活々とした色彩を以つて吾々の感官を刺戟し、それだけに素撲な直觀にとつては 往々絶對的な存在として錯覺せられるが、然し吾々が事實としてそこに見てゐるものは、 それ程絶對的な存在でも又客觀的な存在でもなく、却つて感覺的色彩に僞装された 主觀的觀念的な存在に過ぎないものである。

と批判し

眞に科學的醫學を建設しようと思ふものは、實驗室で拾つた事實が何如に簡明直截なものであつても、 それを必ず數學的精密な論理に従つて吟味し、それに附随する不純な觀念を 清除するやうに心掛けねばならない。

と主張した。 とにかく実験を行って論文を書きさえすれば良いと思っている昨今の一部の自称科学者は、 この文章を朝に夕に音読すべきである。 前川博士はさらに、理論よりも実験を重視すべしと説いた Bernard の方針には

勿論生物學は自然科學であるから理論と云つても數學のやうに全く事實を無視して純粹な規約の上に これを發展せしめることは出來ない。然し又 Bernard が信じたやうに 事實をその悉くの條件に於いて理解したのでなければ、理論を構成することが出來ないと言ふならば 自然科學は終に理論を持つことは出來ないであらう。 然るに物理學は量子理論を持つ以前に場の理論を持ち、 場の理論を持つ以前に既に運動學的理論を持つてゐた。 勿論生命現象はあらゆる自然現象のうちでも最も複雑なそして神秘でさへあり得る現象に違ひない。 恐らく現今の自然科學がその理論の根柢として持つ物質の概念のみを以つてしては遂に 解決し得ない問題であるかも知れない。 然しそれは生命現象に於いて抽象せられた二つの互に相反する概念 --- 精心と物質とを 粗雑に混同するからに外ならない。

なる批判と見解を述べた。 ここでいう「精心」とは、精神のことであろうが、 常識とか直観とかいうものを精神的現象と解釈したようである。 前川博士はさらに、従来の常識に拘泥して新説を拒絶する頭の硬い科学者を揶揄して

自然に飛躍がない如く、自然科學者の思想の發展にも矢張り飛躍は望まれず 歴史は迂遠な路を歩むのである。

と述べたのである。私も、いずれはこのような文章を書けるようになりたい。

閑話休題、少なくとも日本においては、前川博士の層電対説、あるいはそれに類する電対説が今日では支持されているようである。 たとえば標準生理学や朝倉内科学における心電図の原理の説明は、明記はされていないが、電対説に基づいている。 これに対してガイトンは双極子の概念を用いずに、定義を曖昧にしたまま「電気軸」の概念を採用しており、 電対説には否定的であるような印象を与える。

電対説は、心電図の根本となる微視的な現象を記述するには、論理的整合性のある美しい理論であるといえる。 だが、かかる微視的理論から心電図という巨視的な測定結果を演繹することは、不可能ではないにしても、容易ではない。 私の想像では、ガイトンは、この困難を問題視したがゆえに、心電図の説明に電対説を採用することを避けたのであろう。 その結果ガイトンの説明は漠然として理解できないものになってしまっているが、 これは心電図がスフィンクスであることを認め、強引な解釈を与えることを避けたガイトン博士の誠実さであると、 私は理解している。

そこで私は、本質的には前川博士の層電対説に基づきながらも、定量性を放棄し、 定性的に電流の流れを議論することにより、正常心電図の波形に合理的かつ平易な解釈を与えることを試みた。 まだ理論的検証が十分ではなく、不完全ではあるが、報告をインターネット上の某所で公開している。 実名での報告なので、ここからのリンクは設けないが、もし発見されたら、 一読の上で感想や批判をいただければ幸いである。

2013/07/29 修正

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