これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/10/07 ハンドアウトの配布要求

ある友人からの情報によれば、名大医学科四年生の一部が署名を募り、講義の際に全員分のハンドアウトを配布して欲しい、との請願を、大学当局に対して行ったという。 ここでいうハンドアウトとは、要旨だけを記した簡潔な文書ではなく、詳細な講義内容を記載した文書を意味していると思われる。 よもや天下の名古屋大学において、かかる低俗な要求がまかり通るとは思わないが、学生からそのような要望が提出されたこと自体が遺憾である。

ハンドアウトの要求、とだけいえば、学生の勤勉さの表現であるかのように思われるかもしれない。 しかし問題は、彼らが、そのハンドアウトを何の目的に使用するか、ということである。 言うまでもなく彼らは、効率的な試験対策勉強のために、そのハンドアウトを使用するのである。

一部の者は、次のように反論する。 「勉強の入口として、ハンドアウトでよく復習するのであって、特に試験対策というわけではない。」 また、別の者は次のように主張する。 「試験に出題される箇所や、講義で詳述された箇所こそが、医学的に重要なのだ。」 しかし、前者が詭弁であることは、それを口にしている当人が一番よく理解しているであろう。 このような反論をする者は、十中八九、講義プリントや予備校テキストによる「効率的」な学習に注力するのであって、 本当にハンドアウトを入口として成書の熟読にまで至っている学生を、私は一人しか知らない。 後者については論外である。

好意的にみるならば、こうした詭弁を弄して正当化を試みる点について、名大医学科生には、まだ「恥」の概念があると考えるべきかもしれない。 しかし、ろくに講義に参加することもなく、あるいは形だけ出席してノートの筆記に専念するような学生が、 「ハンドアウトで勉強する」などと主張するのは、学問に対する姿勢が大いに歪んでいるといわざるを得ない。 そして、それを容認してしまう教員が少なくないという事実は、名古屋大学の衰退が、もはや修復不能な域に達していることの証左である。


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