これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
昨年 10 月 16 日にピエール・キュリーについて書いた。 彼の妻はマリー・キュリー、いわゆる「キュリー夫人」である。 マリーの人生については、娘のエーヴ・キュリーが書いた『キュリー夫人伝』という伝記が詳しい。 原書はフランス語であるが、白水社から、川口篤らの共訳によるものが 1988 年頃に、その後、河野万里子訳のものが 2006 年に出版された。 残念ながら私は原書と河野訳しか所有していないが、すぐ近くにある名古屋工業大学の図書館は、川口ら共訳を所蔵している。
『キュリー夫人伝』には、当然、ピエールのことも少なからず記載されている。 以下に、私の特に気に入っている部分を引用する。
マリーと出会う直前に、35 歳のピエールは、次のようなことを日記に書いていたという。(川口ら共訳)
女というものは、われわれよりもはるかに生きるために人生を愛している。 女性の天才はまれである。 それゆえわれわれが、ある神秘な愛に導かれて、自然に反した道のなかに没入しようとするとき、またわれわれの心を動かす人間的なものからわれわれを遠ざけるような仕事に、 あらゆるわれわれの思惟をささげようとするとき、われわれは女性と戦わねばならないのだ。 母親というものは、たとえそのために子供がいつまでもいくじなしでいなければならないとしても、なによりも先に子供の愛を要求する。 恋をする女はまた恋人を占有することを望み、恋愛のひとときのためには、世界でもっともりっぱな天才を犠牲にすることもいとわない。 のみならず、この戦いはほとんどつねに不公平であることを免れない。 なぜなら女性は、人間と自然の名によってわれわれを引き戻そうとする有利な立場にたっているからである。
ひょっとすると、「人間性」を重んじる医学ばかり勉強してきた人には、ピエールが何を言っているのか、理解できないかもしれない。 そこで、野暮ではあるが解説を加える。 彼は、科学を「自然に反する道」と表現し、いわゆる「人間らしさ」を捨てなければ、真に科学を探求することはできない、と言っているのである。 女性と仲良くしたいという人間的欲求はピエールにもあったが、その欲求に負けては、真の科学者たることはできない、と覚悟しているのである。 ここで注意すべきは、真に科学者たる女性は稀ではあるが存在し、そういう女性とならば、共に人生を歩むことができる、と暗に述べている点である。 もちろん、後に出会ったマリーは、そういう女性であった。
なお、現代の女性が「女性の天才はまれである」のくだりを読んで憤慨するのは当然である。 しかし、高等教育を受ける女性が少数であったという当時の情勢を鑑みて、どうか、ピエールの無礼な記述を許していただきたい。
また、1903 年頃、彼らの周囲で不幸が続いた時期に、次のようなことがあった。長くなるが、引用する。(河野訳)
一度、ただ一度だけ、ピエールが嘆きのことばをもらしたことがある。ごく低い声で、こうつぶやいたのだ。
「それにしても、きついな、われわれが選んだ人生は」
マリーは、そんなことないわ、と言おうとしたが、かかえつづけていた不安を、おさえることができなくなった。
ピエールがここまで弱気になるのは、体力が尽きかけているからなのでは?
ひょっとしたら、おそろしい不治の病にかかっている?
わたしにしても、どうしてこの重い疲労感がとれないの?
死の影が、すでに何か月もマリーにつきまとっていた。
「ピエール!」
のどをしめつけられたような、悲嘆に暮れた声に驚いて、ピエールはマリーのほうを見た。
「なに?どうしたの?」
「ピエール……もしわたしたちのうちのどちらかが死んだら……残されたほうは、ひとりでは生きていけないわ。
わたしたちはおたがいに、おたがいがいなかったら生きてはいけないの。そうでしょ?」
ピエールは、ゆっくりと首をふった。
妻として、愛に生きる者として、マリーは一瞬みずからの使命を忘れて、思わず口走ったのだ。
彼はそれによって、逆に思い出したのである。
科学者には、科学を投げだす権利などないことを。
科学者の人生の目的は、科学であることを。
彼は、悲痛にこわばったマリーの顔を、じっと見つめた。それから、きっぱりとこう言った。
「それはちがう。なにがあろうと、たとえ魂のぬけがらのようになろうと、研究は、つづけなくてはならない」
理想の夫婦像である。