これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
一年ほど前に、「病気がみえる」シリーズに対する批判を述べた。 このシリーズは、主要な疾患について、その典型的な所見を図解や写真で簡明に説明していることから、名大医学科においても大人気である。 しかし、このシリーズは「臨床において重要なこと」のみしか書いておらず、記述が厳密でない、という点を挙げて、 看護学科の学生には適していても、医学科の学生が読むには不適であると、私は批判したのである。 五年生になった現在でも、未だにこの「病気がみえる」シリーズを参照する学生が多いようであり、たいへん、よろしくない。
「病気がみえる」シリーズの最大の欠点は、疾患概念を正しく説明しておらず、また検査所見についても 典型的な事項を列挙するのみで、何らの理論的解説も加えられていないことである。 たぶん、臨床特化型の学生からすれば、臨床的に重要なのは検査所見がどうなるか、という事項のみであり、 その背景にある理論や基礎医学は、どうでもいい、ということなのだろう。 そのような丸暗記知識の蓄積では、現実に来院する多彩な患者に対応することはできない、 ということを教授陣は繰り返し説諭しているのだが、その言葉は、彼らには届かないようである。
とりあえず国家試験に合格し、いわゆる common disease を、そこそこ診療できるようになれば、一応、医者として働くことはできる。 非定型的な患者には全く対応できないのだが、そういう患者には大学病院を紹介して、自分では診療しないことにすれば良いのである。 多くの学生や研修医が common disease を重視し、非定型的な患者への対応能力を軽んじるのは、これが理由であろう。 中には「そういうわけではないけれど、まずは common disease を診られないと……」と言い訳する学生もいるようだが、 彼らが「common disease 云々の前に、まずは医学をキチンと学ばないと……」と言わないのは、不思議である。
問題の根源の一つは、日本の医療保険制度にある。 現行制度では、非定型的で難しい患者に対し、高度な学識と診療能力によって適切な対処をしたとしても、それは診療報酬には反映されない。 極めて典型的な虫垂炎も、診断や治療に苦慮する虫垂炎も、包括払い制度の下では、同じ虫垂炎として診療報酬が算定されるのである。 その結果、難しい症例を大学病院に押しつけて、「簡単な」症例ばかり取り扱う医師の方が、 その難しい症例を引き受ける医師よりも、稼げるのである。 開業医であれば、このように定型的な症例をたくさん処理することで 2500 万円ほどの平均年収を得ることができるし、 勤務医であっても、そのような定型的な症例を中心に扱う病院で働けば、大学病院よりも高い収入を得ることができるという。
大学で生きる我々は、好んで犠牲になっているわけではない。 彼らに見捨てられた患者の助けを求める声に対して、応えられるのが我々しかいないから、その役目を引き受けるのである。 大学に残るというのは、そういうことである。 真に仁術たる医学は、ここにある。