これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/09/15 神通川に呼ばれて (2)

私は、医学部編入試験の際に富山大学を受験した、ということを除けば、特に富山に地縁も血縁もない。 しかし、初期臨床研修を受ける場所として、富山は魅力的な土地であると感じている。

我々は、東海地方においては無敵の名古屋大学医学部医学科であるから、おとなしく東海地方で就職すれば、まず間違いなく、一生、安泰である。 平均年収 1100 万円以上が保証され、社会的ステータスを持ち、日々の診療を「激務だ」「時給換算では安い」などとぼやきながら、 時給一万円やら時給二万円やらのアルバイトをして高給外車を乗りまわす将来が、保証されている。

諸君は、いったい、いつから、そのような卑屈な精神の持ち主になってしまったのか。 「人の命を救う崇高な仕事である」と称してはいるが、実は、その治療法を編み出したのは赤の他人であって、諸君は、その真似をしているに過ぎない。 社会一般と比較して考えれば、これは到底、1100 万円に値する仕事ではないのだが、 しかし確固たる既得権益の構造があるために、この経済的恩恵が保証されているのである。

私は、臨床実習の際に、ある医師から「医学は頭を使うが、医療はあまり頭を使わない」という指摘をいただいた。 たぶん、それは正しく、診察方法、診断の手順、治療の手順を修得することに特別な学識は必要ない。 なぜか日本では、医師になるには高等学校の物理や数学で良い成績を修める必要があるらしいが、 実際には、そのような能力は、医療においてほとんど必要ない。 本当は医師になるのにアタマはほとんど必要なく、高卒の若者に技能だけ教え込めば必要充分なのであるが、 某業界団体などを中心とした磐石な利権構造があるために、受験戦争という無意味な競争を戦い抜いた「勝者」にのみ、医師たる資格が賦与されているに過ぎない。 諸君は、そうした「大人の事情」による利権構造に便乗し、せっかく鍛えた明晰な頭脳を使うことを放棄して、 ただ、名古屋大学関連病院ネットワークという巨大な組織の中で一兵卒として、人生を送ろうとしているわけである。

それに満足する者は、関連病院なる仕組みの中で、ヌクヌクと暮らしていけば良い。 私はそういう連中を軽蔑しているし、そういう連中で埋まった名大ネットワークが、やがて腐り、倒壊することや、既にその兆しが表れていることを知っているが、 わざわざ自分の人生を費やしてまで、彼らを助けてやろうとは思っていない。 たぶん、彼らも私を必要とは思っておらず、もし私が名古屋大学に就職したならば、いずれ教授の怒りを買って追放されるであろう。

新しい医学、医療のあり方を開拓していくには、名古屋大学のような巨大な組織では、困難なのである。 富山大学のような地方大学であれば、かえって、その規模の小ささゆえにコマワリも効くというものであろう。 そして富山大学は、開学以来、「知の東西融合」を唱え、独自の路線を歩む崇高な理念を掲げ、 そして既存の枠組みにとらわれず広く人材を求める懐の広さを有している。

大船を降りるには勇気がいるものだが、降りてみれば、意外と、小船の方が快適なものである。


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