これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
医師国家試験に合格するには、膨大な知識が必要である、というようなことが、世間では言われている。 私は医師国家試験の問題をほとんどみたことがないので、この噂が正しいかどうかは、知らない。 しかし周囲の学生や研修医らの言動をみるに、医師になるためには、膨大な臨床医学知識をひたすら暗記する勉強法が主流であるように思われる。
たとえば、肺腺癌が縦隔リンパ節に転移していることを示唆する造影 CT の画像をみたとする。 このとき、肺腺癌の組織像や、リンパ節の組織学的構造あるいは免疫系における働きについて、頭の片隅にでも意識しながら画像をみている学生が、一体、どれだけ、いるだろうか。 「CT 上では明らかなリンパ節転移は認められない」ことと「リンパ節転移がない」ことの違い、あるいは 「CT 所見としてリンパ節転移が疑われる」ことと「リンパ節転移が認められる」ことの違いを、どれだけ意識して画像をみているだろうか。 「シスプラチンとエトポシドの併用化学療法」と聴いて、どれだけの学生が、その作用機序に思いを馳せるだろうか。 もし、これらをよく認識しないままに漫然とカルテをみているとすれば、彼らはこれまで、何のために病理学や薬理学といった基礎医学を学んできたのだろうか。 もちろん、一部の優秀な学生は、これらを常に意識して診断し、勉強しているであろう。 しかし「国家試験や臨床で直ちに役立つ知識」にばかり飛びつく一部の者については、ある種の疑念を禁じ得ない。
工学部出身の私からみれば、こうした勉強法は明らかに異常であるが、現在の医学教育においては、 近視眼的な知識をひたすら積み重ねていった者こそが高く評価されるのかもしれない。 ひょっとすると、医師の中にも、エトポシドが何をする薬なのか理解しないままに、「抗癌剤である」ぐらいの認識で患者に投与している者がいるかもしれない。
四年前、大学院を辞めることを決意した際に、某教授から言われた次のようなことが、強く印象に残っている。
現代では、大学としては、入学させた学生は原則として卒業させなければならない。 そのため、あまり優秀でない学生が不当に高く評価されているようにみえる場面は、確かにあるかもしれない。 しかし、卒業してしまえば、キチンとやってきた者と、そうでない者の間には明確な実力の差があり、そこは正当に評価される。 学生時代に受ける評価など、とるに足らない問題である。
医学の世界において、私が、どちら側の学生に分類されるのかは、知らない。 ただ、信じる道を行くのみである。