これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
医学部の教授などと話をすると、しばしば、「研究志向」とか「リサーチマインド」とかいうものが重要であると説かれる。 これは、臨床医として働くにしても、常に学問としての医学を探求する姿勢を保つことが必要だ、という意味である。 そうした探究心を持つ医師がいなければ、医学の発展はなく、医療の改善もない。 そのため、臨床医であっても、一定の期間は学術研究に従事し、博士の学位を取得することが推奨されている。 しかし、「博士 (医学)」の学位は、ほとんどの大学において審査基準が緩いため、 一定の期間、臨床の片手間に実験を行って、それなりの実験結果が出て、一応は論文になっていれば、学位の取得は認められることが多いという。 すなわち、実験作業さえ適度に行えば、学術的探究心が乏しい者であっても博士の学位を得られるのが現状ではあるまいか。
名古屋大学医学部の学生の大半は、興味が専ら臨床に向いており、学問としての医学に対する関心は希薄な例が多いように感じられる。 その結果、「臨床的にはどうすれば良いか」といった小手先の技術にばかり注目し、 その背景にある深淵な学術的理論的根拠には思いが及ばないことが多いのではないか。 過去にも何度か書いたが、現在の医学部の多くでは「なぜ?と疑問を持ちなさい」という教育はなされていないらしく、 その一方で教授陣は「学術的探究心」を求めるという矛盾した状況にあり、教育理念が欠如しているのではないかと疑われる。
2 月 11 日に「医療」と「地域医療」は同義なのではないか、ということを書いた。 しかし近頃になって、「医療」のうち、学術的探究心を重視せず、臨床診療に特化したものを「地域医療」と呼ぶのではないか、と思うようになった。 実際、少数の医師で多くの患者に対応しなければならない、いわゆる野戦病院においては、深淵な医学の世界に思いを馳せる余裕はなく、 いかに速く正確に診察し治療するか、という技術に特化した医師が求められるのであろう。 現在の日本においては、そうした医師が地域の医療サービスを支えているのであって、そうした臨床特化型の地域医療医は、確かに必要である。
このような事情を考えれば、学生の多くが既に臨床特化の姿勢をみせていることは、日本の医療を支えるという観点からは、妥当であるかもしれない。 しかし研究医側の立場からいえば、こうした学生に対しては、ある種の不信感を抱かざるを得ない。 というのも、医師の世界においては、研究よりも臨床の方が圧倒的に儲かるのである。 なぜならば、詳しい仕組みは知らないのだが、臨床医には時給一万円とか、場合によっては時給二万円とか、 世間を馬鹿にしているとしか思えないような高給の「アルバイト」があるらしいからである。
臨床特化の学生は、表向きは「私は研究なんて、そんな大層なことはできないんですぅ」とか、 「患者さんと直に接して、治してあげたいんですぅ」とか殊勝なことを言っているが、 本心では、この破格の収入に惹かれているのではないか。