これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/08/18 日本国とインド共和国について

この日記は、私の医学界における軌跡を記録する目的であるので、あまり政治的なことを書くつもりはない。 しかし自分の進路に関係する範囲においては、政治問題や社会問題に言及しても、日記の趣旨を損なうことはないだろう。

私は、日本の風土や文化、すなわち the country of Japan は好きであるが、国家としての日本国, the nation of Japan, は嫌いである。 少なくとも戦後の日本は、外交においては米国追従が基本であり、国際的信頼を損ねているように思われる。 たとえば、前述のようにパレスチナ問題についてはシオニスト寄りの立場であるし、 21 世紀に入って米軍がアフガニスタンやイラクに侵攻した際には、積極的に米国を支持した。

若干、話が逸れるが、イラクでは 1991 年湾岸戦争の停戦後も、英米はイラク領空に「飛行禁止区域」なるものを一方的に設定した。 これはクルド人の保護などを名目にしてはいたが、国連決議すら経ていないものであり、何らの法的根拠も存在しない。 英米は、この空域を飛行するイラクの航空機を撃墜し、また金属加工工場を空爆するなどの軍事行動を継続したが、 日本をはじめとした諸外国は、これに対し非難や介入を行わなかった。 イラクが、いわゆる大量破壊兵器を保有しているのではないか、との疑惑を受けて国連の査察団を受け入れた後も、こうした攻撃は継続された。 国連査察団がイラク当局に対して偵察機の使用許可を求めた際も、イラク側は、英米による空爆が継続される限りは、 対空砲火で応戦せねばならず、国連機を誤射する恐れがあるから、事前に飛行計画を提出せよ、と要求した。 これは至極当然の反応であると思われるが、当時の日本のマスコミは、「イラクは査察に非協力的である」というような論調であった。

また、いわゆる北朝鮮による拉致問題では、「一時帰国」との約束であった五名の被害者を、北朝鮮に戻らせなかった。 これは「人道的配慮」であるが、それならば初めから「一時帰国」などと約束するべきではなかった。 また、国連安全保障理事会や日本国は、北朝鮮による人工衛星発射実験を「ミサイル発射実験」として非難しているが、 なぜか日本の H2A ロケットについては「弾道ミサイルの開発である」として批判されることはない。 ここには、何らの公正さも認められない。

このように、遺憾ながら日本国は、自分達の利潤のためには正義と公正さを放棄し、外国との公式な約束を平然と反故にするような国家なのである。

私は将来的には、インド共和国で働きたいと考えている。 インドの国内事情は惨憺たるものである。特に地方では、憲法で禁じられているカースト差別が未だに存続し、 性犯罪の被害者が私刑を受けるという理解不能な蛮行が蔓延している。 これが重大な問題であるということは、インドの指導者も一般大衆もよく認識しており、より良い国を作ろうと努めているが、 教育も産業も何もかも不足しているのが現状である。 そこで私は、科学者、教育者として、インドの未来を築く若者達の助けになりたい。

インドは長らく英国の植民地であったが、第二次世界大戦後に独立した。 この国は、独立以来、一貫して自主防衛、中立の立場を保っている。 極東軍事裁判、いわゆる東京裁判では、英米蘭仏など連合国の非人道的な行為を非難し、東條らの「人道に対する罪」を裁くのであれば ルーズベルトやチャーチルらも同罪である、という趣旨の主張をした。 独立直後で核兵器もなく、ともすれば植民地に逆戻りしかねない不安定な政情であったにもかかわらず、である。 また、核不拡散条約は、既に核兵器を保有している国の「保有する権利」を認めた上で、それ以外の国が新規に保有することを禁じている点について 不平等条約である、として批判し、これに加入せず、独自に核兵器の開発を行った。 イラク戦争の際も、ドイツやフランスが態度を決めかねている中で、率先して 「国連決議がない限りは、インドは軍を派遣せず、介入しない」と宣言した。

すなわちインドの外交姿勢は「筋を通す」ということで一貫している。


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