これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は、四年前ほどに、京都大学大学院博士課程を中退した。 三年間在籍した上での、満期での退学であるが、いわゆる認定退学 (単位取得退学) ではない。 いわゆる単位取得退学とは、「あとは博士論文を書くだけである」という状態での退学をいうのであって、 退学後の一定の期間内に学位論文を提出し認められれば、博士の学位を得ることができる。 しかし私の場合は、満期ではあったが単なる中退であったので、学位論文を提出する資格も得られなかった。
最近では、他人に問われた際には「学位を取ってから辞めれば良かったと、少し後悔している」と答えることにしている。 これはこれで、嘘偽りのない言葉ではあるのだが、もし実際に我慢して学位を取得してから辞めていたならば、それはそれで、後悔しただろう。 学位だけをみれば、ないよりはある方が良いに決まっているが、自己の理念を曲げてまで学位を取得するぐらいなら、 自身への忠実さを保って学位を放棄する方が、よほど、美しい。
世の中には、過程より結果を重視する人もいて、彼らには、私の言動は理解できないであろう。 それはそれで良いのであって、そうした多様性こそが、社会全体にとっては必要なことである。
医師国家試験も同様である。 これを医師になるための通過儀礼と割り切るならば、一切の余念を捨てて、試験合格のために徹した勉強をするのは、合理的ではある。 しかし、そうした卑屈な勉強をすることで、何か失うものがあるのではないか。 合格は目指すにしても、そのために譲ってはいけない線が、ある。 医師になった後に、一生、後悔することにならないよう、よくよく考えて行動するべきであろう。