これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/11/16 「診断的治療」の濫用

「診断的治療」という言葉がある。 これは診断のために行った医療行為が、結果的に治療行為となる現象をいう。 たとえば、乳房の「しこり」すなわち腫瘤を主訴に来院した女性に対し、乳癌の可能性を考慮して穿刺吸引細胞診を行ったとする。 穿刺吸引細胞診とは、病変部に細い針を刺し、そこに含まれる細胞や組織を吸い取り、それを顕微鏡で観察することで診断するものをいう。 乳房の腫瘤は、乳癌であることもあるが、良性の繊維嚢胞性変化、いわゆる乳腺症のこともあるし、そもそも疾患ではない正常組織のこともある。 特に、腫瘤が実際には嚢胞であった場合、穿刺吸引細胞診を行うことで嚢胞の内容物が吸い取られ、腫瘤が消失することがある。 この場合、診断目的であった穿刺吸引細胞診が結果的に治療にもなっていたわけで、診断的治療となったのである。

時に、「診断的治療」という文句が不適切に用いられることもある。 たとえば、「疲れやすく、急に立ち上がると眩暈がする」という 20 代の女性に対し、問診と身体診察を根拠に「鉄欠乏性貧血であろう」と考え、鉄剤を投与したとする。 この場合、貧血であろう、という推測は正しいとしても、その原因が「鉄欠乏」であると考える根拠は「若い女性の貧血は鉄欠乏が原因であることが多い」ということだけである。 もちろん、世の中には他の原因によって貧血を来す若い女性も少なくないのだから、血液検査もせずに「鉄欠乏性貧血」と決めつけるのは無理がある。 そこで「診断的治療」と称して鉄剤を投与したのである。 鉄を投与して症状が軽快したなら鉄欠乏性貧血であったとわかるし、症状が続くなら別の疾患を考える、というわけである。

患者に対し誠実であろうとするなら、まずは次のように説明するべきである。 「若い女性の貧血は、鉄欠乏が原因であることが多い。その場合、鉄を充分に摂取すれば治る。 しかし稀ではあるが、白血病や再生不良性貧血などの重篤な疾患であることもある。それらは、血液検査によって調べることができる。」 その上で、もし患者が血液検査を希望しないならば、鉄剤を投与して様子をみれば良い。 医師の方から「たぶん鉄欠乏性貧血だから、鉄を補給すれば良い」などと言ってはならぬ。

総合診療医に憧れる一部の学生などは「熟練した医師ならば、問診と身体診察で 7 割から 8 割は正しく診断できる」などと、うそぶいている。 彼らの主張は概ね正しいのだが、問題は、残り 2 割から 3 割の誤診の内容である。 たとえば「身体診察で肺炎と診断したが、胸部 X 線写真では肺炎の所見がなく、診断を感冒に訂正した」というような誤診なら、問題ない。 しかし「鉄欠乏性貧血だと診断したが、2 ヶ月後に急性白血病だとわかり、治療をしたが患者は死亡した」というような誤診は、取り返しがつかぬ。

「診断的治療」という表現で正当化できるのは、それが診断方法として適切である場合に限られる。


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