これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/11/15 言葉遣いの厳格さ

本日の話題は、言葉を発し、あるいは文章を記す際の、言葉遣いを厳格にすることの重要性についてである。 医学部学生の多くは、言葉を正しく使う、ということに無頓着であるように思われる。 たとえば「大きくなる」というような意味の医学用語には「腫大」「肥大」「過形成」「腫瘍」「腫瘤」などがあるが、 これらを意識して適切に使い分けている学生は多くないのではないか。

作家の中には、英語でいう `Look' あるいは `See' を意味する日本語としては「みる」とか「視る」とかいう表現を用い、「見る」とは書かない、という人もいるらしい。 なぜならば「見」とは、もともと受け身を表す字であり、`Look' の意味ではないから、とのことである。確かに、漢文学では「見」は受け身の意味である。 この話を読んで以来、私は、なるべく「見る」という表現を用いないようにしている。 さすがに、医師がここまでのこだわりを言葉に対して持つ必要はないだろうが、少なくとも、医学用語については適切な言葉遣いを心がける必要がある。

たとえば、世間では「前立腺肥大症」という疾患があるかのように誤解されているが、これは正しくは「前立腺過形成」である。 「肥大」とは個々の細胞が大きくなることをいうのであるが、この疾患では細胞の大きさは変わらず、細胞の数が増えているのだから、これは「過形成」である。 一部の学生は「意味は伝わるのだから、どちらでもいいではないか」と言う。 彼らの気持ちは理解できなくもないが、そうした甘えは、時に重大な過ちの原因となる。 たとえば放射線画像をみて、心臓が大きくなっていることを「心臓が肥大している」と表現する者が、稀にいる。 ところが、「心臓が肥大している」と言う場合には、個々の心筋細胞が大きくなった結果として、ふつうは心室の空間が狭くなっている状態を意味する。 この場合、胸部単純 X 線写真では、必ずしも心陰影の拡大を伴わない。 心陰影が拡大しているならば、それはむしろ心室が「拡張」しているのであって、心肥大とは大きく異なる現象である 実際には「拡張」であるのに「肥大」と述べて誤解されるようでは、とても意思疎通することができない。

他の例を挙げると、身体診察において触診で肝臓を触知することは、必ずしも肝臓の腫大を意味しない。 正常の大きさの肝臓でも、肝臓を触知できる人は少なくないのである。 また打診で肝臓の大きさを「測った」結果として大きかったとしても、肝臓の形態や大きさには個人差があり、必ずしも腫大していることを意味しない。 それにもかかわらず、身体診察所見で「肝臓の腫大」と述べる医師や学生は、稀ではない。

このような「伝われば良い」という考え方をしていると、論理の不正確さをみのがしてしまう恐れがある。 というよりも、論理に気を配るならば、どうしても、言葉には正確にならざるを得ない。 たとえば、血液検査所見でアラニンアミノトランスフェラーゼ (ALT) やアスパラギン酸アミノトランスフェラーゼ (AST) の活性が高いことを 「肝機能障害」と表現する者は少なくない。 しかし、ALT や AST の血中活性の高値は肝細胞傷害の程度を表す指標であって、肝臓の機能を反映するものではない。 典型的なのは重度の肝硬変であって、肝機能は高度に低下していても、ALT や AST の活性は、それほど高値にはならない。 逆に、ALT や AST の血中活性が極端な高値であっても、もともと予備能の大きい人であれば、肝機能は保たれているかもしれない。 その一方で、血中の間接ビリルビン濃度高値, 直接ビリルビン濃度低値, アルブミン量低下などがそろっていれば、これは 亜急性ないし慢性の肝機能低下と考えられる。 つまり「肝機能傷害」は、検査結果の「所見」ではありえず、所見を医師が翻訳した結果である「解釈」なのである。 こうした点の区別を意識せずに、血液検査所見として「肝機能低下」と言う者は、思慮が浅薄である。

最後に私自身の反省であるが、私はこれまで、ALT や AST について「血中濃度が高い」とか「多い」とかいう表現をしてきたように思われる。 しかし、実際に血液検査で測定しているのは、これらの酵素の「活性」であり「量」ではない。 従って、正確には「血中活性が高い」などとするべきである。 これを「濃度が高い」などと表現しては、血液検査の実際について無頓着であることの証拠である、との批判を免れ得ない。

2014/11/16 誤字修正

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