これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/11/10 感度と特異度についての補足

昨日の記事に対する補足である。 昨今の医学界では「エビデンスに基づく」という言葉が「統計に基づく」という意味で用いられることが多いため、私は苦々しく思っている。 というのも、統計を偏重するあまりに理論的な問題を軽視してしまい、明らかに誤った方法で「エビデンス」を用いている例を、しばしば目撃するからである。

昨日の例で考える。『マクギーの身体診断学』改訂第 2 版など多くの教科書では、ある疾患について診断する際、「事前確率」には有病率を用い、 身体所見の結果から、既知の感度や特異度を用いてベイズ推定する、という意味のことが書かれている。 厳密には、事前確率は有病率そのものではなく、医師の経験からくる「補正」を加えるのであるが、これは話の本題ではないので、ここでは省略する。 「有病率」とは、「全体に占める、その疾患の患者の割合」である。 「全体」とは何か、ということが問題になるが、ふつうは、その医療機関を受診する患者全体と考えるようである。 ここまでは「マクギー」にも書かれている。

実は、上述の方法に忠実に診断すると、誤診する。昨日の記事で挙げた数値を用いて考えよう。 小児科医院の院長である K 医師が、某大学病院における大規模な調査で得られた「エビデンス」を用いて、自院を訪れる 200 人の患者について、感冒であるかどうかを診断した。 彼は経験的に、自院を訪れる患者の 90 % は感冒であることを知っているから、感冒の「事前確率」は 90 % である。

患者のうち 109 人が咳をしており、91 人は咳をしていなかった。 K 医師はまだ知らないのだが、咳をしている患者のうち 108 人と、咳をしていない患者のうち 72 人が、感冒の患者である。

K 医師は、「マクギー」の教えに従って、次のように考えた。 検査前オッズ Opre は、O pre = 0.9 / 0.1 = 9 である。 陽性尤度比 LR+ は、某大学病院のデータから LR+ = 0.6 / 0.7 = 0.86 である。 また陰性尤度比 LR- は、LR- = 0.4 / 0.3 = 1.3 である。 従って、咳をしている患者の検査後オッズ O+post = 9 * 0.86 = 7.7 であり、 咳をしていない患者の検査後オッズ O-post = 9 * 1.3 = 11.7 である。 すなわち、咳をしている患者の検査後確率 P+post は P+post = 7.7 / 8.7 = 0.89, 咳をしていない患者の検査後確率 P-post は P-post = 11.7 / 12.7 = 0.92 となる。 結論として、咳をしている患者のうち 97 人が感冒であり、また咳をしていない患者のうち 84 人が感冒であると推定される。

このように、K 医師は咳をしている患者については過小評価、咳をしていない患者については過大評価してしまった。 参考までに述べれば、もし彼が自院における感度と特異度を知っていて、それを用いて計算していたならば、 咳をしている患者のうち 108 人, 咳をしていない患者のうち 72 人, と正しく推定できていた。

今回の例では、自院における正しい感度, 特異度を用いれば「あぁ、咳をしている患者は、感冒だな。咳をしていない患者については、よくわからないな。」と言えるのだが、 某大学病院におけるデータを使ってしまったために「咳をしている患者も、咳をしていない患者も、感冒なのかどうか、よくわからないな。」となってしまった。 もし逆に、この小児科医院におけるデータを用いて某大学病院で「エビデンスに基づく診断」をやったならば、 「咳をしているから、まず間違いなく、感冒である。」という論理が成立してしまい、肺癌や肺炎の患者を見逃してしまうことになる。

このように、「感度」や「特異度」を議論する際には、「いかなる患者群について調べたのか」という点が、非常に重要である。


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