これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/12/21 テレビの医療番組

私は、普段はテレビをみないのだが、それでも何かの機会に視聴することはある。 名古屋に来てからは、医療関係の番組をみる頻度が、以前にくらべて高くなったように思う。 医療関係の番組というのは、たとえば、いわゆる医療ドラマや、健康問題を扱ったものである。 こうした番組には、ふつう、医療監修として医師が参加しているようである。 しかし、番組の演出上の問題なのか、監修している医師の資質の問題なのか知らないが、医学的には到底、容認できない内容であることが多い。

たとえば、某医療ドラマでは、転移のない大腸癌は手術で根治できる、再発したとすれば手術ミスである、という前提でストーリーが作られていた。 これは外科ドラマであったので、外科手術の効果を誇張したために、そのようなストーリーになったのかもしれないが、 結果として外科医諸氏を憤慨させる内容になってしまったのである。

癌の「転移」とは、癌細胞が原発巣から遠い別の臓器に移行して定着することをいう。 これに対し、原発巣のすぐ近くに移行することは「浸潤」という。 癌の局所再発は、浸潤した癌細胞を取りきれずに残存していたために生じるのだと考えられている。 従って、浸潤したものも含めて全ての癌細胞を切除してしまえば、転移がない限り、理論上、再発することはない。

しかしながら、どの程度の範囲にまで浸潤が及んでいるのか、現代の医学水準では検査で明らかにすることができない。 従って、癌を外科的に切除する場合には、明らかに癌である部分から何 cm かの余裕をみて、広めに切除するのが鉄則である。 それでも、時に、予想を越えて浸潤していることがある。 そのため、ふつうは外科的に切除された検体に対して組織診断を行い、「断端陰性」であることを確認するのである。 つまり、その検体の端の部分には癌細胞が及んでいないことを、顕微鏡下で確認するのである。 だが、組織診断といっても、切除した検体を隅から隅までみることは現実的には不可能であるし、 「明らかに断端陽性、というわけではないが、断端に近い部分まで癌細胞が来ているから、よくわからない」という例も多い。

そこで、再発のリスクを完全に回避しようとするならば、「どう考えても断端陰性である」と断言できるぐらい、とてもたくさんの余裕をみて切除しなければならない。 この「とてもたくさんの余裕」というのが、どの程度なのかわからないが、たとえば小さな、直径 1 mm 程度の下降結腸癌であったとしても、 大腸の半分を切除して、直腸も切除して、人工肛門をつける、というようなことになるかもしれない。 人工肛門とはいうが、現在の技術水準では、生理的な肛門とは異なり、「さぁ、出すぞ」と思って排便できるようなものではない。 大腸の運動に伴って、無意識に排便されるのである。 すなわち、この小さな結腸癌のために、患者は、日常生活に甚大な不自由を背負うことになるのである。 はたして、そのような不便を受け入れてまで、僅かな再発リスクを避ける必要があるのか、という点が問題なのである。

このように、患者の生活の質、いわゆる Quality of Life (QoL) を重視する観点から、若干の再発リスクは残るとしても、 切除範囲は小さめにするのが現代医学における標準的治療である。 従って、時に再発してしまうのは、外科医の過失でもなければ、手術の失敗でもない。

別の医療番組では、芸能人に健康診断を受けさせて、その異常所見について医師がコメントしていた。 あまりに低レベルな内容であったために途中でみるのをやめてしまったのだが、たとえば、次のような具合であった。 血液検査所見において、いわゆる肝逸脱酵素や胆道系酵素の活性が高かった。 具体的な項目としては ALT, γGTP, ALP であっただろうか。 問題は、それらの検査値に、単位がつけられておらず、単に数字だけが示されていたのである。

確かに、臨床医や学生の中には、検査値の単位を省略する者も多い。 彼らの多くは「まぁ、単位なんかつけなくても、わかるでしょ」などと言い訳する。 物理学や工学を知っている者からみれば、彼らは「我々はノータリンである」と宣言しているに等しい。 というのも、検査値というものは、その背景にある生物学的、あるいは物理学的現象を想像しながら読むものなのであって、単に数値の高い低いを議論するものではない。 単位には、その数値と生物学的活動とを橋渡しする重要な役割がある。 それを気にかけないということは、患者の体内で起こっている生物学的現象への思慮が欠如していることの証左である。 もちろん、臨床検査技師や臨床検査専門医は、単位がいかに重要であるかをよく認識しているはずだが、 残念ながら一般の医師は、検査というものに対し、それほど造詣が深くないようである。

何より問題なのは、一般向けのテレビ番組である以上、単位をつけなければ視聴者には何も伝わらない、という事実である。 この場合「単位は省略してもわかるでしょ」という言い訳には、成立の余地がない。 あの番組を監修した医師、出演した医師が、医師免許を持っているだけの素人に過ぎないことは明白である。


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