これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/03/31 年度末

来月から、私も六年生である。名古屋に来て、丸三年になる。 少なくとも名古屋大学医学部医学科では、医学教育はまともに行われておらず、遺憾ながら、医療技術専門学校と化している。 他大学の実情はよく知らぬが、たぶん、どこも大差はないであろう。 問題は、学生が「世の中、そんなもんだ」などと、環境に適応することばかり考えていることである。 現行制度の下では、医師は医師免許制度に守られているために、不適切な診療を行っても、まず責任を問われない。 これは、個々の医師が高い倫理観と志を持って医療や医学に取り汲んでいることが前提とされた制度であるが、 現実には、そうした精神を持つ医師や学生は、稀である。 学生の中には、こうした風潮を疑問視する者もいるようだが、それを公然と批判する人は少ない。 「他人に考えを押しつけてはいけない」というのが、多数派が掲げる標語だからである。 この件について、他人に考えを押しつけることの正統性は以前書いた

名大医学科の最大の問題点は、こうした邪悪な勉強法を、多くの若手医師が支持していることである。 たとえば、若い医師には『病気がみえる』シリーズを「必要なことは概ね記載されている」などと評価する者も少なくない。 しかし同シリーズは、疾患概念すら正しく説明しておらず、全く理論抜きで臨床的な事項を列挙しただけの俗書である。 各々の検査や治療は、背後に隠れている深淵な哲理に基づいて行われているのに、同シリーズは、その表面だけを記載しているのである。 多くの学生は「まずは初心者向けの簡単な本で勉強する」などと言い訳するが、一体、『病気がみえる』で何を勉強するのか。 実に、有害無益である。 たぶん、誰もが内心では一抹の不安を抱えているのだろうが、そこに「それで良いんだよ」と、根拠のない安心感を与えてくれるのが、今の名大医学科である。

また、「現在、どのような治療が標準的であるか」を記憶することには関心があっても、その妥当性を批判的に検証する姿勢は欠如している者が多い。 要するに「変なことをやって、患者に訴えられたら困る」とか「標準的とされる治療をやって、それが実は不適切であったとしても、それは私の責任ではない」などと 考えているのである。 名大医学科は、その程度なのである。 その程度の医師や学生が、私のことを「臨床向きではない」などと評するのだから、 つまり名大のいう「臨床」とは、その程度のものなのである。 もちろん、教授陣には高い見識を持っている人が多いように思われるが、その見識が若手医師や学生には伝わっていないのだから、 その点については、講座の長としての責任を免れ得ない。

責任意識が、欠如している。我々は、天下の名大医学科である。 我々こそが、明日の医学を牽引するのである。我々がやらなければ、一体、誰がやるというのか。


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