これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
よく知らないのだが、学生や研修医の中には、救急医療や、いわゆる総合診療に関心の強い者が少なくないらしい。 学生向けの臨床的な勉強会の中には、救急対応の技術を主眼に据えたものが多いようである。 以前は、多くの病院において、研修医は日中は「雑用」ばかりやらされ、救急外来においてのみ「医者らしい仕事」をする機会があったらしい。 そのため、研修医の主たる仕事は救急外来である、というような認識が広まり、そのため、学生も救急対応に関心を持つようになったのかもしれない。 なお、私は、「雑用」や「医者らしい仕事」が具体的にどのようなものを指すのかは、知らない。
救急対応を学ぶこと自体が、悪いとは思わない。 だが、彼らの関心が専ら臨床的な手技や診断方法にばかり向き、基礎的、根本的な医学の理解を伴っていないとすれば、問題である。 患者から感謝されれば気分は良いだろうが、正しい医学的理解抜きに手技ばかり磨いても、本当に適切な医療を患者に提供することはできない。
私は、もともと医者が嫌いであったし、明確な動機もなく医学部に進学する連中を軽蔑していた。 今となっては私自身も、数学や物理学、工学、特に原子炉物理学の人々から蔑まれても仕方がないと思っている。 その一方で、医学部に来て確信したのは、医科学生の多くや医者は、医学を好きではない、ということである。 彼らは、医療技術は修得しても、医学は修めないのである。論理的思考も、放棄している。 それ故に、医師国家試験対策の予備校講師らが論理の破綻した説明をしても、それを批判することができず、自らの頭脳により正しい説明を編み出すこともできない。 というよりも、そもそも、論理が破綻ないし飛躍していることに気づかないようである。 そうした人々が、砂上の楼閣に「名大医学部」の看板を掲げ、世間からチヤホヤされているのである。
名古屋大学医学部の栄光は、失われた。 もはや何人たりとも、これを建て直すことは不可能である。 僅かばかりとはいえ学問を識る我々は、名古屋を離れ、地方に脱し、医学の灯を後世に遺すよう、努めるべきであろう。