これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
「感染徴候」という言葉を耳にすることがある。 たとえば手術後の患者について「創部に感染徴候はみられない」と言ったり、救急外来を受診した患者について「感染徴候はない」などと言ったりする人がいる。 しかし、この言葉は、一部の学生や若い医師のみが好んで使うものであるように思われる。 私は、この表現を学識豊かな医師の口から聞いたり、専門書で読んだりしたことはない。
たぶん、この「感染徴候」という言葉は、正しい医学用語ではない。 インターネットで検索した限りでは、どうやら、「感染徴候」という言葉は、「炎症所見」という意味で使われることが多いようである。 それならば素直に「炎症所見」といえば良いものを、なぜか「感染徴候」などと言い換えているらしい。 たぶん、「感染症は恐ろしい」という考えから、「炎症をみたら、とりあえず感染を疑う」というような文化が、一部にあるものと思われる。
医学的には、感染には特異的徴候がない。 感染を明らかにするためには、感染が疑われる部位から採取した検体を培養試験するしかない。 それにもかかわらず、多くの臨床医が身体所見だけで感染症を診断しているのは、感染症以外の疾患による炎症が、比較的、稀だからである。 「炎症をみたら感染と思え」という診断方式で、まぁ、八割ぐらいは当たるのである。
このように炎症と感染を同一視する不適切な文化のために、私は一度、失敗したことがある。 とある病院の救急外来を見学した時のことである。 救急搬送されてきた患者の身体所見として、意識障害, 頻呼吸, 頻脈, 酸素飽和度の低下, および低体温が認められた。 初期治療にあたったのは研修医であり、私も同伴していた。 治療室で血液培養検査を行うかどうか、という話になった際、看護師が「でも、熱はないし……」と発言した。 「熱はない、すなわち感染はなさそうだから、血液培養は不要なのではないか。」という意味である。 もちろん、診療方針を決定し責任を負うのは医師であるが、このように看護師が積極的に発言できる文化は、たいへん、すばらしい。
さて、研修医も私も、「まぁ、そうか」と思い、その場では血液培養の検体採取を行わなかった。 明確な診断がつかないまま、少し時間が経過し、血球算定検査の結果が届いた。この検査結果において、白血球増加が認められたのである。 この時、私はようやくハッと気がついて、「もしかして、敗血症ではないでしょうか。」と述べた。
この話を、敗血症を専門とする某救急科教授が知ったら、落胆するであろう。 敗血症、すなわち感染による全身性炎症反応症候群においては、体温は高くなることもあれば低くなることもある、という事実は、救急医療においては常識である。 従って「熱がない」という理由で「感染はなさそうだ」と考えるのは、論理が破綻しているのである。 むしろ、上述の症例においては、身体所見から直ちに敗血症を疑うべきであった。