これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
医師の中には、ある種の社会的理念に基づいて、政治的活動をする者が少なくない。 たとえば、国政選挙や地方議会選挙などでは、候補者の中に、チラホラと医師が含まれている。 日本医師連盟は、直接または間接に多額の、いわゆる政治献金を行っており、有力な政治団体であると考えられている。 また、全日本民主医療機関連合会、いわゆる民医連は、反原発、反戦、などを掲げて、積極的な政治活動を展開している。
このように医師が政治活動に積極的に参画することには、一定の合理性がある。 というのも、一般市民がこうした政治活動に参加すると、しばしば社会的地位が脅かされ、また重い経済的負担が生じることがある。 しかし医師は、良し悪しはともかく、医師免許に守られて安泰な地位にあり、社会的地位は保全されている。 また、「勤務医の給料は (開業医に比べて) 安い」などと妄言を述べる者はいるが、実際には、医師は非常に高収入である。 すなわち、医師は、ほとんどリスクを負うことなしに、こうした活動に参加することができるという、特権的な立場にある。 そうした特殊な環境にいる以上、積極的に政治活動に加わる社会的、あるいは道義的な責任がある、といえよう。 同様の理由で、1960 年代から 70 年代を中心に、社会的しがらみの少ない学生が、政治闘争に積極的に加わっていたこと、 特に医学部の学生が激しい活動を展開したことは、適切であった。
しかし、私は、民医連や日本医師連盟の活動には、全く賛同しない。 医師が個人的に政治活動を行うことは結構であるが、医療行為と政治活動とは、明確に分離すべきである。 私自身は、民医連の政治的主張については、賛同はしないが、嫌いではない。 しかし、少なくとも名大医学科では、民医連関係の病院は「偏った政治的色彩が強い」と噂され、忌避される傾向にあるらしい。
民医連の活動目的は、その綱領によれば「無差別・平等の医療と福祉の実現をめざす」ことのはずである。 その精神自体には、たぶん、多くの学生が共感するであろう。 しかし、民医連関係の一部の病院においては、その具体的な活動内容の問題から、医師や学生から避けられ、人手不足に陥っている面があるのではないか。 たとえば憲法第 9 条や原子力発電所を巡る問題については、ほとんど医療と関係ないにもかかわらず、 民医連は明確な特定の方針でまとまっているようであり、「政治的に偏った団体」という印象を受ける。 たぶん、患者の中にも、こうした政治的特性をふまえて、民医連の病院を避ける者が、少なからず、いるのではないか。 そのように、患者や医師を遠ざけてしまっているとすれば、民医連の活動は、本来の目的から乖離していると、いわざるを得ない。