これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
学力低下、という言葉がある。近年、高校生や大学生などの学力低下が進行していることが懸念される、などということが、マスコミ等で、だいぶ昔から言われている。 工学部時代であったと思うが、新聞記事で、学力低下について複数の「有識者」の見解を載せているものを読んだことがある。 その「有識者」の中には京都大学教授も含まれており、立派なことを述べていた。
その教授は「そもそも、学力とは何なのか。学問の能力、才能は、試験などで測定できる性質のものではない。 仮に試験の点数が低下傾向にあるとしても、それが学問の能力の低下を反映するとは言えない。いったい、学力低下という言葉は、何のことを言っているのか。」 という意味のことを述べていた。 私は、さすが我らが京都大学の教授であり、学問に対する真摯な姿勢が示されている、と思った。
しかし、記事を編集した記者には、教授の言葉を理解するだけの教養が備わっていなかったらしい。 記事では「○○氏のように、学力低下が実際に起こっているのかどうかを疑問視する声もあった。」などと書かれていたのである。 全く、理解していない。 教授は、そもそも「学力」という概念に対して疑問を呈しているのであって、「学力低下」が起こっているかどうかを疑問視しているわけではない。 「学力が上がっているのか、下がっているのか」という議論自体が、無意味なのである。
名古屋大学に来て、薄々感じているのは、学生の多くが「学力」という曖昧な概念に捉われているのではないか、ということである。 試験で悪い点を取ることに対する漠然とした恐怖にかられている、と言い換えても良い。 自己の学識に充分な自信があるならば、仮に試験で悪い点を取ったとしても「あれは、試験問題の方が悪い」ぐらいのことを言えるはずである。 また、仮に単なる不勉強で悪い点を取ったなら「勉強していないのだから点を取れないのは当然であって、私が無能であるということにはならない」と述べ、平然としていれば良い。
天下の名古屋大学において、単位認定試験や国家試験などに振りまわされて右往左往することはみっともない、という認識が持たれていないことは、実に遺憾である。