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2015/02/11 書聖と医聖

書聖、といえば王羲之であろう。彼は晋の時代の書家であり、作品としては「永和九年歳在癸丑」で始まる『蘭亭序』や、『楽毅論』が有名である。 朝倉書店『内科学』の題字は、王羲之の書からとったものであるという。 もちろん、彼の時代には「内科学」という熟語は存在しなかったであろうから、彼が書いた「内」「科」「学」の文字をそれぞれ拾ってきて、並べて題字を作ったのであろう。 本来、書とは、個々の字を単に並べただけのものではなく、字と字の関係やつながり、連綿が重要である。 従って、王羲之の文字をバラバラにして並び換えるなどとは、書道を冒涜し、書聖を侮辱する行為であると、いえなくもない。 だが、書物の題字に、かかる芸術的風格を取り入れようとする朝倉書店の姿勢は、たいへん、素晴らしい。

医聖、と呼ばれた医家は、歴史上、何人かいたが、筆頭は張仲景であろう。 彼は『傷寒雑病論』を著したが、この書物は『傷寒論』と『金匱要略』に分割されて後世に伝えられている。 張仲景の理論は、漢方医学、すなわち日本の伝統医学の理論の中軸となっている。 ただし、張仲景の時代には、人体解剖学が正しく理解されていなかったために、彼の理論は、正しいとはいえない。

神医、という言葉はあまり広くは用いられていないが、しかし、この尊称にふさわしいのは、華陀であろう。 彼は三国時代の医師であり、記録の上では、歴史上、初めて麻酔を用いて外科手術を行ったとされる。 しかし彼が著した医書は、遺憾ながら散逸してしまい、現代には伝わっていない。

さて、我々も医を修める学徒であるからには、後世に、医聖として称えられる程度の業績は遺したいものである。


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