これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/02/05 空飛ぶ病理医

顕微鏡で標本を観察するのは、実に、楽しいものである。 低倍率で標本の概略を眺めるのは、ちょうど、高空を飛ぶ飛行機の窓から、遥か地上に広がる田園風景を一望するようなものであり、爽快である。 この飛行機を操縦するのは自分自身であるから、気になる構造物を地上にみつければ、対物レンズを高倍に切り換えることで、対象によく接近して観察することができる。 自在に飛びまわるのは楽しいものであるから、のんびり気ままに観察していると、一枚のプレパラートを眺めるだけで 30 分ないし一時間は、ゆうに過ぎてしまう。 もちろん業務として病理診断を行う場合には、そのような時間をかけるわけにはいかないであろうが、学生のうちは、ゆっくりと遊覧飛行する贅沢も許されよう。

時として、病理診断はパターン認識である、などと言われることがある。 組織像のパターンから病名を言い当てるのが病理診断である、というのである。 この意見に従えば、地上の風景をみて、地名を言い当てるのが病理医だ、ということになる。 しかし私は、その意見には賛同しない。 「病理」とは「病の理」という意味である。患者をみて、組織をみて、疾患の成り立ちを詳らかにするのが病理診断である。 地名を当てることも重要ではあるが、「なぜ、そのような地形になったのか」「地上では今、何が行われているのか」といったことまで見通して、 はじめて病理診断を行ったといえよう。これは、単なるパターン認識で実現できるものではない。

病理医は、普通、組織を診るときには低倍率での所見を重視する。 この話を初めて聴いたとき、私は、釈然としなかった。 細胞レベルで詳細な観察をしてこそ、組織学的診断の真価が発揮されるのではないのか。 低倍率でも診断はできるかもしれないが、詳細な観察を省略するのは怠慢ではないのか。 そのように、思ったのである。

少しだけ病理診断の勉強をして、少しだけ組織を診られるようになって、ようやく、病理医が低倍率の所見を重視することの意味が理解できてきた。 要するに、高倍率でみても、わからないのである。 細胞レベルの異型は、ちょっとした炎症でも、しばしば生じる。 また、悪性腫瘍と良性腫瘍では、細胞異型の程度は、必ずしも明瞭には違わないのである。 細胞をいくらみても、確信を持って良性と悪性を鑑別できないし、これこそが、組織診が細胞診よりも信頼される所以なのである。

よくよく考えてみれば、疾患、特に腫瘍性病変による組織構造の変化、すなわち低倍率での所見も、細胞レベルの変化が蓄積して表現されたものである。 一個一個の細胞レベルの僅かな相違を高倍率で観察するよりも、それらの相違の蓄積である構造異型を低倍率でみた方がわかりやすいのは、当然といえば当然である。 従って、一部の学生が病理学や組織学の試験対策として、標本の肉眼ないし低倍率での所見をひたすら記憶する、 いわゆる「マクロアタック」を行うことは、完全に不適切であるとまではいえない。 だが、これはあくまで、診断に限定した場合の話である。 現場で一体何を起こっているのか、という病の理を知ろうと思うならば、高倍率での所見も非常に重要であることは、言うまでもない。


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