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2015/02/03 『軍医が見た戦艦大和』と『臨床検査法提要』

以前、ある同級生から勧められて『軍医が見た戦艦大和』という書籍を購入したのだが、読まぬまま書棚の肥やしになっていた。 昨日から、実習のために名古屋市内の某病院まで電車で通っているので、その通学時間に、これを読んでいる。 著者である名古屋大学名誉教授の祖父江逸郎氏は神経内科医である。 この書物は、彼が戦艦「大和」の軍医を勤めた経験などの回顧録である。 格調高さよりも平易な読み易さを重視した文体であるが、品の良い日本語である、との印象を受けた。 京都帝国大学の前川孫二郎博士もそうであったが、昔の内科学教授は、こうした美しい文章を書く人が多かったのだろうか。 現代の教授がどうであるかは、よく知らない。

一部マスコミなどで「右傾化」が騒がれる昨今であるから、この書名をみれば「軍国主義を美化する」云々と眉を顰める人もいるかもしれない。 しかし内容的には、政治的なメッセージはほとんどなく、軍艦という特殊な環境における医療、医学に関する内容に終始している。 医学教育のあり方については、いささか懐古主義に偏った記述があるように思われるが、読んでいて憤りを感じるほどのものではない。

しかし一点だけ、とても容認できない記述があった。 78 ページから 79 ページにかけて、「放射能」という語の使い方が、物理学的に、また放射線医学的に、誤っている。 たとえば「原発事故による放射能被害」とあるが、「放射能被害」とは何なのか、よくわからない。 たぶん「放射性物質が放出されたことにより、不必要に被曝したこと」をいっているのであろうが、それならば「放射能」は関係ない。 正しくは「原発事故による放射線被曝」などとするべきである。 言葉を正しく使う、ということは、科学者としての基本である。 祖父江氏は優れた医学者であったと聞くから、その彼が、このように無頓着で、無責任なマスコミに倣ったかのような「放射能」という語を用いていることは、遺憾である。

「放射能」という語自体は、物理学用語として存在する。しかし、その定義、あるいは概念について正しく理解している者は、物理学の専門家を除いては、多くないようである。 しばしば「放射性物質」の意味で「放射能」という語が使われるようであるが、これは誤用である。 ある物体の「放射能」とは、その物体の構成原子が単位時間あたりに来す放射性壊変の回数をいう。 放射線が物体に与える影響の程度は、同じ数の放射線であっても、そのエネルギーの大小などによって大きく変わる。 従って、人体などへの影響を議論する際には、放射能の高低にはほとんど意味がなく、放射線量で議論する必要がある。 私が工学部にいた頃、某准教授は「『放射能』という語は、『放射能測定』という表現以外では、まず使う機会がない」と述べた。 放射線の専門家である准教授ですら、そうなのだから、一般人が「放射能」という語を使う場合には、まず間違いなく誤用である。

言葉を正確に使うことは、まず第一に、情報を正確に伝達するために重要である。 「伝われば良いのだ」と弁明する者がいるが、不正確な言葉遣いをした場合、実は言語によって情報を伝えているのではなく、 相手の想像力や常識によって情報が補われているに過ぎない。 従って、可能な限り、正確な言葉遣いを心掛けることが、正確な情報伝達のために望ましい。 それ以上に重要な問題として、曖昧で不正確な言葉遣いをしている者は、しっかりとした論理的思考をしていないのではないか。 「放射能」という語を誤って用いている者は、実際には放射能とは何かを理解していないにもかかわらず、 知ったかぶって、自分でもよく理解していない内容を話しているものと推定される。

なお、同書の 112 ページでは『臨床検査法提要』に言及されていて、驚いた。 これは私も愛用している書物であるが、各種臨床検査の測定手法の解説書である。 祖父江氏らは、軍医学校時代に、これの「エッセンスだけやった」とのことである。 私は以前、主たる読者は臨床検査技師であろう、というようなことを書いてしまったが、 実はその後、某小児科医院の医師がこれを愛用しているのをみたことがある。 祖父江氏の記述も併せて考えると、どうやら、キチンとした医師にとっては、この書などを通じて臨床検査法を勉強することは、当然であるらしい。


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