これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/01/14 謝恩会

もうすぐ、卒業式の季節である。 一部の大学では、卒業式に前後して謝恩会が催されることがある。 これは、ふつう、学生が主催する、教員への感謝の気持ちを表すための会合である。 我が名古屋大学医学部医学科においても、伝統的に謝恩会が開催されているという。

謝恩会は、その趣旨から考えて、あくまで学生が自主的、自発的に催すものでなければなるまい。 「毎年、開いているから」とか「そういうものだから」という考えで、無批判に行っては、かえって失礼にあたる。 また、その内容も、自分達の感謝の念を表すに適切な形式を採るべきであって、「例年、そうしているから」と、過去の例をいたずらに踏襲するのも、やはり非礼である。

しかし現状を鑑みるに、ひょっとすると名大医学科の謝恩会は、単に伝統だからという理由で、消極的に開催されているのかもしれない。 我々は 17 の班に分かれて臨床実習を行っているのであるが、先日、各班から一名「謝恩会委員」を選出されたし、という指令がどこからともなく発され、委員会が結成された。 少なくとも私が把握している限りでは、謝恩会を開くかどうかの議論すら学年内でなされていないし、委員会の意向次第では、 主催を「卒業生一同」とするのか「卒業生有志」とするのか、ということすら議論されないかもしれない。 また、例年の謝恩会では、学生に人気のあった教員を、いくつかの部門について「表彰する」というような催しがあるらしいのだが、 これは、少なくとも形式的には非礼であり、むやみに倣うべきものではあるまい。

謝恩会は、あくまで自発的な気持ちの表現として開かれるのだから、特に教員に対して感謝の念を抱いていない学生は、参加するべきではない。 感謝をしていないとしても、それは学生側の人格の問題ではなく、少なくとも半分は大学側の教育体制の問題なのであるから、恥じる必要はない。 むしろ、ずさんな教育を行ってきた名古屋大学医学科当局への批判の気持ちを持って、堂々と、欠席するべきである。 私も、もし例年通りの謝恩会が無批判に開催されるならば、当日は多忙などと称して欠席する所存である。 また、そのような学生が一人でもいるならば、その意向を尊重し、主催は「卒業生一同」ではなく「卒業生有志」とするべきである。

私が以前、工学部を卒業した際には、卒業式は欠席したし、謝恩会も、開かれたのかもしれないが出席しなかった。開かれなかったのかもしれない。知らぬ。 しかし来年は、卒業にあたり特に感謝の言葉を述べたい相手が、何人か、いる。 もちろん、直接、研究室に伺って挨拶しても良いのだが、同様に研究室を訪問する学生が多いとすれば、先方にとっては、いささか煩わしいかもしれない。 そこで、そうした挨拶をするための場として、謝恩会という形で教員と学生の有志が一同に会することは、合理的である。 そうした趣旨であるということを踏まえ、それにふさわしい謝恩会が開かれることを、切に望む。


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