これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2015/03/20 地下鉄サリン事件 20 周年

しばらく間隔が空いてしまった。久しぶりなので、医学と関係ないことを書く。 本日は、いわゆる地下鉄サリン事件からちょうど 20 周年にあたる。 当時、私は小学六年生であり、東京都民であったが、八王子市在住であったため、事件の現場は地元というわけではなった。 しかし、翌月から通うことになっていた麻布中学の最寄り駅は営団日比谷線の広尾駅であったことから、事件現場に多少の親近感はあった。

昨今では、同事件のことを「オウム真理教によるテロ事件」などと表現することが少なくないようだが、当時はテロという言葉はほとんど使われていなかったと記憶している。 「テロ」と表現されるようになったのは、2001 年のニューヨークの事件以後であって、 「日本も大都市でのテロを経験しているではないか」という外国からの指摘などを受けて、テロと表現され始めたように思う。 これは「テロ」という言葉の定義は曖昧で、政治的意図の影響を強く受けて用いられるという実例の一つである。

この事件を巡っては、オウム真理教に対し破壊活動防止法を適用するかどうかという点が、政治的に大きな問題となった。 同法は、歴史的には、日本共産党をはじめとした、いわゆる左翼団体が暴力的な活動、いわゆる非合法活動を活発に展開していた時期に、 こうした団体を取り締まる目的で制定したものであり、戦前の治安維持法と趣旨を同じくするものである。 破壊活動防止法は、治安維持法に比べ、いささか規制の程度は弱いとはいえ、それでも言論の自由を不当に侵害し、違憲であるとする見解も根強い。 さらに、これをオウム真理教に適用することは、法制定の本来の趣旨からは明確に逸脱しており、反対する声は強かった。 適用賛成派の主張は、「オウム真理教は危険な団体であるが、破壊活動防止法以外には、これを取り締まる法律がない」というものであったように思われる。 そこで、折衷案としていわゆる団体規制法が新たに制定・適用されたのであるが、法の不遡及の観点からこれを批判する声もあった。 これに対しては「過去に行った行為ゆえに規制する」のではなく「これから犯罪的行為をする可能性があるから規制する」のだ、というような理屈が述べられたが、 結局「過去に行った行為を根拠に規制対象としている」のであって、やっていることは法の遡及適用と変わらない。 要するに「オウムは危険な団体であるから、これを規制・処罰するためには、多少、道理を曲げても構わない」というような考えが、まかり通ったのである。 こうした不公正を許す日本社会が、私は、嫌いである。

不公正といえば、いわゆる国旗・国歌法も同様である。これが「成立」したのは私が高校生の頃であった。 それまで、日本国には、正式には国旗も国歌も存在しなかったが、慣例的に、日章旗や君が代が国旗・国歌として用いられていた。 しかし日章旗や君が代は、悪しき日本軍国主義の象徴であるなどとして敵視する意見も強く、教育現場などで混乱を来していたことから、法制化されたものである。 情報源は忘れたが、制定にあたり、責任ある立場にあった官僚の一人は「儀礼上の必要があるから国旗や国歌を法律で定めるが、 しかし個々の国民が国旗や国歌とどう向きあうかは、 国が指示するものではない。日本という国には、そうした自由があるべきではないか。」ということを述べたという。 この法律は、衆議院だか参議院だかの法務委員会であったかで「強行採決」されたことを忘れてはなるまい。 すなわち、議論が紛糾し、まとまらないまま議長が無理矢理採決を行おうとしたところ、野党などの反対勢力が猛然と反発し、つかみあいの事態になった。 到底、まともに採決を行える状況ではなかったのだが、議長は一方的に「採決を行った」と主張し「可決された」と宣言したのである。 「強行採決」どころか、そもそも採決すら本当は行われていなかったようであるため、猛烈な批判が巻き起こったのであるが、 当時、与党は衆参両院で安定多数を確保していたため、野党を無視するような形で、法律の制定が行われたのである。 私は、民主主義においては「多数決の原則」に基づくが「少数意見の尊重」が重要であると教わったのだが、その観点からすれば、日本の政治制度は民主主義的ではない。 私は、もともと日章旗も君が代も嫌いではなかったが、法制化されて以降、国歌を歌っていない。 遺憾ながら、国旗と国歌は、民主主義に対する冒涜の象徴となってしまったからである。

上述のように過程に問題があったとはいえ、法制化されたからには、 公立学校教職員は公務員である以上、式典において国旗を掲揚し国歌を斉唱する職務上の責任を負うと考えるのは、不合理ではない。 しかし、公立学校に通う学生・生徒には、「国旗掲揚や国歌斉唱は義務ではない」ということを、正しく教えられる権利があることを、忘れてはなるまい。 幸い、我が麻布中学校・麻布高等学校は私立であり、自主自律を旨とする学校であったから、校旗を掲げ校歌を斉唱する一方で、当然、国旗掲揚も国歌斉唱も行われなかった。


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