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学生の中には、妙に臨床的な「知恵」を身につけている者がいる。 たとえば、「内視鏡的に癌を疑うが、生検するかどうか迷っている」というような場合について考える。 臨床医の中には「内視鏡で癌と癌でないものを鑑別できる」などと豪語する者もあるが、これは、誤りである。 確かに九割程度は、内視鏡で鑑別できるであろうが、内視鏡でわかるのは細胞の増生、繊維化、血管増生などの様子であり、これらは いずれも腫瘍に特異的なものではない。従って、非典型的な例について誤診するリスクは、常にある。 この点において、病理診断、特に組織診は、適切な検体採取さえできていれば、誤診は、ない。
さて、内視鏡的に癌を強く疑っている、あるいは臨床的に確信している場合に、生検を行うべきかどうか、という問題を考える。 上述のように、生検なしでは、絶対に癌だ、と断言することはできない。 しかし生検を行えば、生検部位が瘢痕化して、その後の治療が少しやりにくくなる、とか、診断までに時間がかかる、という問題もある。 そこで、生検を行うかどうか、迷うのである。 「模範的」な回答として「生検する場合としない場合のリスクを患者によく説明し、患者自身に選んでもらう」というものがある。 すなわち、結果がどうなろうと患者自身の責任であり、医者は無罪である、という形に持ち込むのである。 もちろん、そのような選択を迫られた患者は困るのであるが、そんなことは、医者としては、知ったことではないのだ。 こういう「臨床的な技術」は、教科書などには記載されていないが、臨床現場、特に市中病院での実習を通じて、修得する例が多いらしい。 学生のうちから、こうした高等技術を身につけた者は、きっと将来、「良い医者」になるであろう。
もちろん、こうした手口がまかり通っている病院は、まともではない。 確かに、診療方針の決定権は患者にある。 しかし「医者は患者の命を預かる責任重大で高尚な仕事なのだ」などと自称するからには、責任は、患者に転嫁するのではなく、あくまで、我々が背負わねばならぬ。 もし本当に、生検してから病理診断結果が出るまでの一週間を待てない、とか、瘢痕化は何としても避けねばならない、とかいう事情があるならば、 術中迅速診断という手がある。 これは、手術等で採取した標本を急速に凍結し、染色して検鏡するものであり、30 分とかからない。 いわゆる永久標本に比べれば診断はいささか難しくはなるが、それでも、炎症と癌をみわけるぐらいなら、大抵、問題ない。 ただし、病理医側からすれば、時間を縛られるし、手間もかかるため、あまり歓迎されないことも多いらしい。 従って、内視鏡的な検査・治療のために術中迅速診断する、ということは、一般的には行われていないようである。
つまり、医者のいう「患者のため」は、この程度なのである。 病理医は、患者の顔をみる機会が少ないために、病理診断の存在意義と重要性、そして病理の誇りを、忘れてしまっているのではないか。 臨床医も、「病理部がやらないなら、自分の責任において、自分で標本をみて迅速診断するよ」ぐらいのことを、なぜ、言わないのか。