これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/05/06 ワルファリンの謎

4 月 21 日の記事の続きである。 ふと思い出して、ワルファリンの作用機序について少し調べてみたのだが、文献によって記述がまちまちで困る。 ひょっとすると、こうした薬理機序については無頓着な人が多いのではないだろうか。

前提知識を確認するが、血液凝固因子の II, VII, IX, X は翻訳後にゴルジ体においてビタミン K 依存的にカルボキシ化を受ける。 これによってカルシウムとの結合が可能になり、血液凝固因子として活性を有するようになる。 還元型ビタミン K は、このカルボキシ化の際に酸化されて不活性型になるが、 エポキシドレダクターゼにより還元されて、活性を有する還元型に戻る。 ワルファリンは、このビタミン K 依存的なカルボキシ化を抑制することによって抗凝固薬として働くのであるが、 問題は、具体的にどの反応を阻害するのか、ということである。

まず『ハーバード大学テキスト 病態生理に基づく臨床薬理学』では、ワルファリンはエポキシドレダクターゼを阻害する、とある。 この記述によれば、ワルファリンの作用はビタミン K の活性化の阻害である。 後述するように、どうやら、これがワルファリンの作用機序として最も正確な説明であるらしい。

『ハーバード大学テキスト 血液疾患の病態生理』をみると、ワルファリンは「ビタミン K 拮抗薬」として紹介され、 「ビタミン K 依存性の転写後修飾を阻止する」と簡潔に書かれている。なお、この「転写後」は「翻訳後」の誤りである。 はっきりとは言及されていないが、素直に読めば、ビタミン K 依存性カルボキシラーゼによるカルボキシ化反応を阻害する、と述べているかのような印象を受ける。 しかしながら、たぶん、ここでは「ビタミン K の働きを抑える」という程度の意味で「拮抗」という言葉を使っているのであって、 実際には上述のようにエポキシドレダクターゼを阻害しているのであろう。

また『医学書院 医学大辞典 第 2 版』の「ワルファリンカリウム」の項では、 「ビタミン K の生体内活性化に拮抗し、ビタミン K 依存性血液凝固因子の生合成を抑制し」とある。 「生合成を抑制し」という表現は気になるが、ここでは ワルファリン存在下では適切な修飾を受けていない異常な血液凝固因子 (Protein Induced by Vitamin K Absence or Antagonist; PIVKA) が産生される、 ということを意味しているのだろう。 さて、前半部分に「生体内活性化に拮抗し」とあるが、この「拮抗」とはどういう意味か。

「拮抗阻害」という言葉は「競合阻害」と同義であるが、「拮抗作用」という場合には、意味が広い。 『医学書院 医学大辞典 第 2 版』の「拮抗作用」の項によれば、拮抗作用とは 「2 つの薬物の併用による効果が, ある特定の作用をもつ一方の薬物のみによる効果よりも小さい場合をいう」のであり、 1) アンタゴニストによる「薬理学的拮抗」 2) 相反する生理作用を有する薬剤同士による「生理学的拮抗」 3) 薬物代謝酵素の誘導による「生化学的拮抗」 4) 薬物同士が結合して不活性化する「化学的拮抗」 の 4 つに分類されるという。 さて、「薬物 A は薬物 B の活性化を阻害する」という場合には、A と B は拮抗しているといえるのだろうか。 たとえばワルファリンの場合、2) 3) 4) とは異なるし、1) は基本的に受容体とリガンドの関係についていうものであるから、 いずれにも該当しないように思われる。 むしろ、「エポキシドレダクターゼと拮抗する」というのであれば、4) の意味で「拮抗作用」といえるであろう。

さらに『生化学辞典 第 4 版』(東京化学同人) の「ワルファリン」の項をみると、 「ビタミン K が促進するプロトロンビン, VII・X・XI 因子の合成を拮抗阻害し」とある。 この辞典は誤植が非常に少ないのであるが、珍しく、ここでは「IX」を誤って「XI」としてしまったようである。 ここでは「拮抗阻害」と明言している一方、II, VII, IX, X の合成のうちどの段階を阻害するのか明らかには示されていない。 しかし、わざわざ「ビタミン K の構造類似体で」と記されていることから考えると、 ワルファリンとビタミン K が競合する、という意味に解釈したくなる。

次に、エーザイ株式会社が販売しているワルファリンカリウム製剤である「ワーファリン錠 0.5 mg」の添付文書における 「薬効薬理」のうち「作用機序」をみると、ワルファリンは 「ビタミン K 作用に拮抗し」「ビタミン K 依存性凝固因子 (中略) の生合成を抑制し」とある。 『生化学辞典 第 4 版』の記述と同様の説明である。 この記述の根拠論文は「青崎正彦: 循環器科, 10, 218 (1981)」であるらしい。 幸い、この文献は名古屋大学附属図書館医学部分館に所蔵されているため、さっそく、閲覧してみた。

この 30 年以上前に著された文献におけるワルファリンの作用機序の説明は、 『ハーバード大学テキスト 病態生理に基づく臨床薬理学』によるものと同一であり、要するにビタミン K の還元を阻害する、ということである。 なお、この阻害の様式については、特に言及がない。

以上のことから、何がいえるか。 まず「拮抗」という言葉は、「薬物の作用を減弱させる」という程度の意味で広く使われているようである。 しかし狭義の「拮抗作用」は『医学書院 医学大辞典 第 2 版』でいうような 4 つの様式による直接的な抑制作用のみをさすとすれば、 ワルファリンはエポキシドレダクターゼと拮抗しているのであって、ビタミン K と拮抗しているわけではない。 いずれにせよ「拮抗」という語の意味は非常に曖昧であるから、なるべく使わない方が良いだろう。 次に、『ハーバード大学テキスト 血液疾患の病態生理』や『生化学辞典 第 4 版』およびワーファリン添付文書の記述は、 ワルファリンの直接的な作用であるビタミン K 活性化の阻害について言及しておらず、語弊がある。 臨床で用いられる薬剤添付文書が根拠論文の記述を不適切に要約していることは、極めて遺憾である。

結論として、ワルファリンの作用を正しく説明するならば 「エポキシドレダクターゼの作用を阻害することにより、ビタミン K の活性化を妨げる。 これにより凝固因子 II, VII, IX, X は正常に翻訳後修飾されなくなり、血液凝固が抑制される。」 ということになる。


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