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2014/05/08 心不全

来週からは泌尿器科の臨床実習であるが、今日もまた循環器の話である。 私は以前から、心不全、特に慢性心不全の治療方針に頭を悩ませていた。 慢性心不全の治療としては、ACE 阻害薬や利尿薬が使われるが、これらは要するに体内の水を減らす薬である。 また、β遮断薬も用いられるようであるが、これは心臓の働きを弱める薬である。 慢性心不全は、何らかの事情により心臓が機能低下したものをいうのであり、 体内に水が貯留するのは、その代償反応の一部である。 すなわち、体液の貯留自体は異常ではないのに、それを薬で抑えようとするのは、一体、どういうことなのか。 心臓が弱っているのに、それをさらに弱めるのは、なぜなのか。 生理学などの教科書には何やら小難しい理論が書かれており、一応、理屈はわからないではなかったのだが、 どうにも釈然としないものがあった。

近頃になって、ようやく、これは「治療」という言葉の定義を巡る問題なのだと理解できた。 私の考えでは、「治療」とは治し療することであり、すなわち病気の人を病気でなくするよう試みることをいう。 しかしながら現代医学では、「治療」という語はもう少し広い意味で使われており、病気の人を治せないまでも、死亡を遅らせることも含ることが多い。 なお、「延命」という語を正確に定義することは難しいので、ここでは議論しない。

慢性心不全に対しては、大半の場合、心臓移植や人工心臓を使う以外の方法では、心機能を回復することは不可能である。 もちろん、慢性心不全の背景に何らかの基礎疾患があり、心臓に不可逆な変性は生じておらず、 しかも基礎疾患が治癒可能であるならば心機能も回復し得るが、そういう例は比較的稀である。 従って、慢性心不全に対する「治療」の目的は、心機能の回復ではなく、心機能のさらなる低下を極力防ぎ、死亡を遅らせることである。 このことをよく認識していなかったために私は慢性心不全の治療を理解できなかったのであるが、 心機能の回復を諦めているのであれば、なるほど、利尿薬やβ遮断薬の使用は合理的である。

軽度の心不全に対しては、体液の貯留や交感神経刺激などによる生理的な代償機構が働くため、著明な身体症状は生じない。これを代償性心不全という。 しかしながら心不全が進行すると、すなわち心臓の収縮力あるいは拡張性が高度に低下すると、生理的反応では代償しきれなくなる。 これが、いわゆる非代償性心不全である。 非代償性心不全においては、腎血流の低下により尿量が減少し、さらに体液が貯留する。 『ハーバード大学テキスト 心臓病の病態生理 第 3 版』では明記されていないが、『ガイトン 生理学 原著第 11 版』によれば、 この状態ではもはや Frank-Starling の法則は成立せず、体液量が増加しても心拍出量はむしろ低下するという。 この場合、心拍出量の低下と体液量の増加が正のフィードバックを形成してしまうため、体液量は急激に増加し、重篤な肺水腫を来して呼吸困難となり、死亡するわけである。

そこで、心機能の回復を断念し、正のフィードバックを阻止することだけを考えるならば、利尿薬を用いるのは自然なことである。 また、心筋に負荷がかかればリモデリングが亢進するであろうから、β遮断薬によって心筋負荷を軽減すれば、心不全の増悪は遅くなるであろう。 もちろん、こうした状態では心拍出量は少なく、患者は充分に運動することができない。 心機能を増強するには、ドブタミンなどのカテコールアミン、すなわちβ刺激薬を用いる手があるが、 これは、たぶんβ受容体のダウンレギュレーションにより耐性を生じやすく、またリモデリングを促す恐れがあるため、あまり長期的に用いることはできない。

このようにして、心機能の回復を諦めて「死なないこと」に専念するのが慢性心不全の「治療」の基本方針である。 こうした基本的な考え方は、多くの教科書にはハッキリとは説明されていないようであるが、なぜなのだろうか。 また、臨床現場においては、心不全患者に対してどのように説明されているのか、私には、よくわからない。

2014/05/08 語句修正

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