これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。
私は世相に疎いために、全国医学部長病院長会議が 4 月 11 日に 「国家戦略特区での医学部新設に反対する」声明を出していたという事実を、 今日になるまで知らなかった。 この声明は、医学部の新設および医師の増員を図る政府方針に対する抗議および批判を述べたものである。
声明では、いくつかの見解が述べられているが、東北地方における医学部新設については 1) 病院勤務医の引き抜きにより地域医療の連鎖的崩壊を誘発すること 2) 過剰な医師の養成は医師の粗製濫造につながり、結果として国民に提供する医療水準の低下をもたらす懸念のあること 3) 早晩、医師過剰となり、定員削減に方向転換する必要性が明白であること などを挙げている。 おおよそ、医学部らしい、世間の常識から乖離した発想である。
まず第一に、医学部の定員増加と医師の増員を一緒にして考えていることがおかしい。 医師の定員を国策で調節するのであれば、国家試験の合格者数を調整すれば済むのであり、医学部の定員をどうこうする必要はない。 医学部を卒業した者のほとんど全てが医師になれるという現状が、おかしいのである。 医学部生は、卒業さえすれば、免許さえ取得すれば、生涯の安泰が保証される。 その安寧の中で自由にのびのびと学問に励むことができる、というのが、この制度の元来の趣旨であったかもしれない。 しかし現状では、安寧ゆえに惰眠を貪り、医学を学ばずに試験対策テクニックを学ぶ学生が多い、というのが実情である。 これでは、この過保護な制度を正当化することはできない。
こういうことを言うと、「医学部の教育は専門性が高く、医師以外の職業では活かすことが難しい」と反論する人がいるかもしれない。 しかし、それならば、文学部や、経済学部は、どうなるのか。 教育学部出身でも教師にならない者は多いし、法学部出身者のうち法曹界に進む者はむしろ少数派である。 そもそも、大学は職業訓練学校ではない。大学で学んだ内容を直接的に社会で活かそうという発想の方が、おかしいのだ。
第二に、過剰な医師の養成が粗製濫造につながるという話だが、まるで、現在の医学部入試では 医師としての適正や能力が高い学生が選抜されているかのような論調である。 現在の医学部には、単に高校で成績が良かった、教師に勧められた、親が医者だ、そういった学生が、多数、入学している。 高校で物理や数学の点数が良かったことが、医師の素質なのだろうか。 医者の息子や娘こそが、良い医者になるのだろうか。
第三に、医師が過剰になったら医学部の定員を削減するのがあたりまえだ、とでも考えているかのような主張である。 どうして、医学部の定員を削減する必要があろうか。 文学者の数に比べて文学部卒業者が多すぎたら、文学部の定員を減らすのだろうか。 なぜ、医学部だけが特別だと考えるのだろうか。
医師が増えて困るのは、主に医師、特に開業医ではないのか。 勤務医は、特に麻酔科医などを中心に人手不足で疲弊しており、むしろ増員を希望しているのではないか。 現に、名古屋大学医学部には、人手不足による過剰労働への対策として「医師を増やそう」と主張するポスターまで掲示されているのである。
医師を増やそうにも、雇用するだけの予算がない、と主張する人もいるかもしれない。 簡単なことである。医師の給料を削減すれば良いのだ。 勤務医の給料は安い、などと主張する人がいるが、それは嘘である。 国公立病院の常勤医の給料はあまり高くないというが、そうした医師の多くは非常勤医として、いわゆるアルバイトをしているらしい。 くわしい市場原理は知らないが、医師には非常に高給のアルバイトが少なくないらしく、結局、収入は一般サラリーマンよりもはるかに高いらしい。 その証拠に、名古屋大学医学部附属病院の職員用駐車場には、アウディ、メルセデス、BMW、ポルシェ、その他の高級外車が並んでいるし、 国産車にしても、高級車がずらりと駐車されている。 とても、給料の安い労働者が乗るような車ではない。