これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/05/22 目指す医師像

先日、四年生の友人達から、暖い言葉をいただいた。 彼らは、私の戦闘意欲と学術的好奇心を高く評価してくれた上で、 「独りで戦いすぎである」と心配してくれたのである。

名古屋大学医学部医学科においては、少なからぬ学生が、試験特化型の勉強法を採用している。 定期試験の際には過去問をよく研究し、講義の際に配布された資料を重点的に勉強するし、 CBT やら国家試験の前には、Question Bank なる市販の試験対策問題集を中心に勉強するらしい。 そこで私は、そうした勉強法を「学問の正道から外れており、下品である」などと、常々、批判している。 一部の学生は、こうした私の主張に対し一定の理解を示してくれるのだが、 少なからぬ学生は、私のことを「うざい」と言い、蛇蝎の如く嫌っていると推定される。 これは、博士課程時代の状況と似ているとも考えられるし、 将来、私が孤立して再び挫折する原因となるかもしれぬ、と、彼らは心配してくれているようである。

確かに、私の言動には、いささかの行き過ぎがあるように思われるので、以後、適度に慎もうと思う。

だが、基本的には、学問に対する彼らの姿勢を批判し続けていく必要があると思う。 というのも、彼らは、学問の何たるかを、全く理解していないからである。

学問における基本的な姿勢は、未知の物事に対し「なぜ」と問いを発することである。 大学において、いわゆる一般教養科目が必修とされているのは、この学問の基本を体得するためであろう。 私は、かの自由の学園を、何らの専門的学識をも身につけることなく卒業したが、 しかし学問の基本だけは存分に学んだ。 そして現在の名古屋大学医学部医学科の様子をみると、 多くの学生は私よりもはるかに多くの医学的知識を有しているにもかかわらず、学問の基本を充分に修得している者は少ないように感じられる。

私自身の将来について言えば、結果的に周囲の反感を買って孤立したとしても、構わないと考えている。 たとえ京都大学を逐われ名古屋大学に棄てられようとも、それでも地方大学や私立大学の中には私を必要としてくれるところもあるだろうし、 そうした大学こそが、22 世紀の医学を担う人材を輩出するのだと思う。


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