これは http://mitochondrion.jp/ に掲載している「医学日記」を、諸般の便宜のために、 1 記事 1 ファイルとして形成し直したものです。 簡単なプログラムで自動生成しているので、体裁の乱れなどが一部にあるかと思われますが、ご容赦ください。


2014/05/29 大動脈解離と医療哲学

5 月 30 日の記事も参照されたい。

大動脈解離とは、大動脈に解離を来したものをいう。 解離とは、血管壁に偽腔を生じるものをいうのであり、平たくいえば「血管壁が裂けて、そこに血液が流れ込んでいる状態」である。 大動脈解離は、典型的には中膜の変性によって生じる。 臨床症状としては胸背部痛を来すのが典型的とされる。解離の生じる場所により、四肢の血圧に異常を生じることがある。 たとえば腕頭動脈の血流が減少すれば右上肢における血圧は低下するし、腎動脈の血流が減少すれば全身性に高血圧を来す。 大動脈解離を放置すれば、心タンポナーデを来すなどして死亡する危険があるため、胸痛を訴える患者においては、必ず解離の可能性を否定しておく必要がある。 しかし、大動脈解離は特徴的な症候や身体診察所見が乏しいことから、「大動脈解離ではない」と断言するのは、なかなか難しい。

さて、今年の四年生の PBL では、最初に急性心筋梗塞の症例を扱ったらしい。これは、我々が昨年度に扱ったものと同一症例である。 主訴が胸痛であり、心電図で ST 上昇がみられ、心エコーでは心臓壁の運動異常が認められることなどから、急性心筋梗塞と診断できる。 問題は、この症例において大動脈解離を伴っている可能性を否定できるか、ということである。 ひょっとすると一部の学生は、心電図や心エコーにおいて心筋梗塞を示唆する所見が得られたことから 「これは解離ではなく心筋梗塞である」と判断したかもしれない。 だが、この発想は危険である。

朝倉書店『内科学』第 10 版 p.649 によれば、解離によって生じた intimal flap、すなわち大動脈の内膜が剥がれかけてプラプラと動く状態になり、 これが冠状動脈の起始部を閉塞し、結果として心筋梗塞を来すことがあるという。 「この場合, 下壁心筋梗塞だけで, 基礎にある大動脈解離を見落とすことがあるので注意が必要である.」と、同書には明記されている。 従って、注意深い学生であれば、下壁梗塞の所見が得られた上でなお、解離が存在する可能性を疑うであろう。

昨年度の「PBL まとめセッション」では、この点について私は「診断過程のどの時点で、解離の可能性を否定することができたのであろうか」という質問を提出した。 朝倉『内科学』によれば、冠状動脈造影 CT でさえ、解離について特異度は 100 % であるものの感度は 96 % であり、25 例に 1 例は検出できないということである。 結局のところ、解離を完全に否定することは不可能であるから、治療を進めていく中で、常に、 実は背景に解離が存在するかもしれない、という可能性を念頭に置いておくべきであろう。

このあたりは、医療哲学とでもいうべき問題も絡んでくる。 私は defensive であるから、25 例に 1 例の可能性をも念頭において常に解離を警戒したいと考えるが、中には、 「そのような極めて稀な例までは考える必要がなく、見落したとしても医師の責任ではない」とする意見もあるだろう。 これは、どちらが正しいといえるものではなく、個人の理念の問題なのかもしれない。 だが、私は、いかに稀な例であったとしても、警戒を怠って見落したのであれば、医師の責任であると考える。

2014/05/30 語句修正

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